日ごろのこと、何でも!

何でも雑記

ただちに止めるべきだ! 遺伝子編集で人間を操作すること

中国の科学者が、HIV感染者の父親からの受精卵のゲノムを操作。

ゲノムの改変に成功し、ゲノムが人為的に改変された赤ちゃんが誕生した、とのニュースが発表されました。

依頼者側の、何とかしたいという強い気持ちがあったのだろうとは思います。

しかし、全く検証されていない、まさに実験段階(それも禁止されている実験)の領域です。

仮に検証が完璧に済んでいたとしても、自分は強く反対します!

今回のケースは、子供をHIVの感染から守りたいという願いから出たものだと思いますが、ゲノム操作で、完璧に狙った箇所だけを修正し、他への悪影響は全くない、といった事ができるのでしょうか?

さらに、この件が、悪影響なく完璧だと検証されたとしても、このような技術は「生まれてくる人間をデザインしよう」という考えに必ず繋がっていってしまうのではないでしょうか?

 

誰もが「世界に一つだけの花」じゃないんですか?

「オンリーワン」じゃないんですか?

突然こんなことを言われても、ピンとこないかもしれません。

では、好きになった人のことを思い出してみて下さい。

最初は、かっこいいからとか、綺麗だからとか、頭がいいからとか言ってるけど、そんなことはちっちゃなことですよね? そんなことはどうでも良くなってきますよね?

そのうち、なぜ好きなのか、自分でも説明が出来なくなってきます。

結局、「その人の個性」に惹かれていくんだと思います。

「その人の個性」を上手に説明するのは難しいと思うんだけど、はっきりしていることがあります!

「その人の個性」はその人にしかないんです!

 

そのかけがえのない「個性」を人為的に操作しようとするんですか?

ちまたで言うような「優秀」などという薄っぺらい人間でも作りたいんですか?

子供でも分かるようなことを、なぜ、分からない大人がいるんですか?

ニュースで、こうも言っていました。

「倫理観は科学の進歩を妨げる」という意見もあったと。

怖いです ・・・ そして本当に情けないと思います。

科学で何でも出来ると思いあがっていないか? 

科学で何でもやっていいと思っていないか?

いったい、科学が何のためにあるのか? 考え直して欲しい。

 

遺伝子編集で人間を操作することを、ただちに止めて下さい!! 

陽の光が顔を出す時の素晴らしさ

自分は、太陽が顔を出す時の瞬間が、すごく好きです!

山頂でその瞬間を待つ時などは本当ににわくわくしますよ! (冬はめちゃくちゃ寒いんですが!(笑))

これから一日が始まるぞっ! というような感覚ももちろんあるんですが、

何というか、こう、陰なもの、マイナスなものを、ドカーンと蹴散らして吹き飛ばしてしまうような感じ、と言えばいいでしょうか。

希望が満ちてくるような、本当に力強い光。

トップページに使った写真は、もう10年以上前に、前の職場の時に撮ったものです。

朝の勉強会のために毎朝始発電車で出勤していたんですが、

冬に東上線が東松山橋に差し掛かると、日の出か、日が出る前のシーンが見れたんです。

そこで、わざわざ休日に車でこの場所にやって来て、日の出の瞬間を撮ったんですね。

結構、気に入ってる写真なんです。

だんだんと形になっていくのがうれしい!

職場のグランドの電気関係の修理を続けています。

3連休も、2日ほど作業しました。

始めたころは、ああした方が、こうした方が、と悩むばかりでした。

工具もそこそこにはあるのですが、住宅より大きい相手なので、同じ方法では歯が立たない場合が多いんです。

バラック風の屋根からは雨漏りなんかもあります。

100メートルもある距離の配線はやり直すべきか?

鉄の角パイプが骨組みになっている所に照明器具を取り付けたいが、そこにまず木の板材をどうやって取り付けるか?

2ミリ厚の鋼材相手にスムーズにたくさんの穴を開けるのは難しい。1穴、2穴くらいならいいんですが。

試行錯誤の末、一昨日、ようやく効率的に作業できるようになりました!

まずは4か所ほど、直管のLED照明が着くと、部員たちがとても喜んでくれました!

大きな声で口々にお礼を言ってくれるので、とっても嬉しかったです!

しかし、やることはまだまだあるんです。

そして、最後には水銀灯をどうするのかが難題です。

今後のこともあるので、絶縁抵抗計を自分用に買ったのですが、水銀灯周りの絶縁抵抗値が良くないんです・・・

気持ちを開放する特効薬は

ここしばらく頭から離れないことがあって、うじうじした気分になっています。

皆さん、こんな時の特効薬は何ですか?

自分の場合は、ただひたすら汗をかくことですね!

昔は、すぐにジョギングに外に出ました。新任の時、仕事がひと段落してから7kmコースを良く走りました。

嫌なこともイライラすることも吹き飛ばしてくれるんです!

得意な競技がなかった自分には最高の運動だったように思います。

その後、持久力を身につけるには、速足ウォーキングの方が適しているように実感してきました。

このトレーニングで職場のマラソン大会で上位に入ったこともあるんですよ。(ランニングトレーニングの人より速かったりした!)

前の職場の時、東松山のスリーデーマーチで1日50kmを3日間続けて歩いたこともあります。

小さな大会ですが、ハーフマラソンまでは出たことがあるんです。

今年は犬の散歩を終わらせたあと、早朝の1時間の早歩きを休まずやってきました。

特に今年の夏は猛暑でしたが、疲れずに暑い中元気に活動できました!

良く食べて毎日の運動を欠かさないことがポイントです。

元気でもいれるし、うじうじした気分からしばらくは逃げられるんです!

杉の胴縁(どうぶち)板

今日も、半日職場で電設やろうと家を出ました。

早朝のウォーキング出発前と帰って来てから、この前出会ったシバ君居ないかあたりを探してみました。

 

・・・シバ君、止めている自分の車の後方から車道に飛び出していって、

背の高い自分の車からは見えなかったけど、車にドンッとぶつかった音がしたんです。

自分から車にぶつかっていったのならそうでもないと思うんだけど、車が犬を跳ね飛ばしたのならダメージ小さくないよね・・・

 

とにかく元気ならそれだけでいいんですが。

 

さて、職場に着いて、現場を見て、5センチ幅くらいの長い板が欲しいな、と思い、スーパービバホームへ。

ちゃかちゃか動き回って小物を揃えてから、板を探すと、えっ、こんなに高いの? という値段。

おしゃれな室内用の板ばかり。工事現場で使うような、昔の杉板の箱に使うような板はありますか?と聞いてみると、屋外に置いてありました!

1.5センチ厚、4.5センチ幅、長さは3.6メーターもある杉板が1本何と148円!

喜んで5本をレジに抱えていって、「えーっと、杉板のみどり何とかいう板・・・」等と言ってるうちに、慣れた店員さんが「杉のどうぶちね」とか言ってました。

緑(みどり)じゃなくて、縁(ふち)でした・・・恥ずかしい・・・

胴縁(板)は、壁の下地を作る時に使われたりする材料なんだそうです。勉強になりました!

で、これを店内の工作室に持って行って切ってもらおうという考えでした。

板を抱えて工作室に行ってみると、休日という事もあるのでしょう。混んでいて30分待ち!

30分も待てないんです。昼には家に帰らなくちゃ。

切らずに持って帰るには、長すぎて車に入りません。じゃあ、窓から出して注意しながら走れば・・・と思ったんですが・・・

車に持って行ってみると、とんでもない長さがはみ出ることが分かりこれもダメ。板を預かってもらうことも出来ないし、こりゃあ困った!

待てよ、自分で切れば? この幅ならすぐ切れるし、小型のこぎりなら安く買える。切る場所が外にないか聞けばいいや。 

で、長ーい板を置き去りにして、速攻でのこぎりを500円ほどで購入。

さあ、切るための場所が問題です。やはりお店に聞いても困るだけだろうなぁ、と思いながら、外を眺め回したら、駐車場の脇に植え込み発見! 

ここだ!と即断して、板5枚を肩に乗せて運び、サッサと切り始めました。怒られないうちに切っちゃえ、と5本すべてすぐに切ってしまいました! 半分に切るだけだから簡単でした。

うまくいきましたね。 あー、結構楽しかった!(笑)

宇都宮脳脊髄センターへ行ってきました

栃木県宇都宮市一番町に、「宇都宮脳脊髄センター」という比較的新しい病院があります。

妻を脊椎の難病から救って下さった、我が家の救世主とも言える病院なのです。

執刀して下さったのは、日本脊髄外科学会理事長、獨協医科大学脳神経外科主任教授、を主に務めておられる、金彪医師です。

金先生は、エリートとか名医とかの枠を超えたすごい先生だと、私たちは実感しています。

 

妻は、「筋層構築的棘突起椎弓形成術」いう、金先生が開発された術式で後縦靭帯骨化症のオペを受けました。

後縦靭帯骨化症は、「脊髄(中枢神経)が通る脊椎管中の後縦靭帯が骨化肥大して、脊髄を圧迫したり傷つけたりする」という恐ろしい病です。

 

この病は進行すると手術以外有効な治療法はありません。

術式は、大きく分けて、2つです。

首の前から切り込んで、骨化靭帯を取り除く前方法。この方法では病巣は除去できますが、椎間板を取り除くため、その部分を固定する手段が必要になります。

もう一つは、首の後ろから切り込んで、頸椎を割り、脊椎管を広げて神経の圧迫を解除する後方法。この方法では病巣は除去しませんが、首の運動機能にとって重要な椎間板は温存できます。しかし最も問題になるのは、首の後ろから切り込む際に脊椎から筋肉をはがすため、首の運動機能が損なわれ、頭が垂れていくといったような後遺症が出ることです。

「筋層構築的棘突起椎弓形成術」は上記後方法を改良した、非常に精密な手技による、首の運動機能を損なわない画期的な手術法なのです。

 

このことを書いたのは、金先生の手術の腕の素晴らしさを知って欲しかったからです。

しかし、手術が成功したあとも、長期にわたって、患者の予後を心を込めて診続けて下さる先生はどれほどいらっしゃるでしょうか。

考えてみて下さい。

素晴らしい手法で手術を受け、成功した! それだけで医師は患者に充分に尽くして下さったのですから、予後を他の医師に任せても不満を言う患者はいないでしょう。

腕のいい先生には、次々に患者が訪れます。難しい病気もたくさん引き受けるでしょう。さらに、力のある先生の仕事は手術や治療だけではないはずです。

しかし、金先生は、若い時の対談の中で、手術した患者の経過をずっと診ていくべきだ、と力強くおっしゃっていたのです。

 

実は、昨日の通院は、頸椎ではなく、腰椎のひどい痛みのための急な診察でした。

妻は、9年前に埼玉医科大学総合医療センターで腰椎脊柱管狭窄症の手術を受けているのですが、この先生も脳神経外科の名医でした。

金先生に初対面した時に、自分は口下手なので、妻の病気の経緯と家族の気持ちを手紙に書いていきました。(今でも毎回手紙を書いているんですよ)

埼玉医科大学と書いていただけなのに、すぐに手術した医師が分かり、しかも、非常に良い手術だと言われました。

そして、中枢神経の末端が腰で、現在頸椎も観察中なので、脊髄は全部自分が診よう、とおっしゃって下さったのです!(埼玉医科大学の先生の診察は終了していて、また、金先生とは学会では同僚のような感じの関係なので、問題ないと思います)

しかも、昨日は金先生が手術をされる日で、その後に無理を押して診て下さったのです。画像診断もその場でやって下さいました!(シーメンスの高解像度MRI、CT等が病院内にあるんです) 

 

この病院は、金先生の奥様が院長で、奥様と先生の会話を妻が聞いたのですが、とても夫婦仲が良く、金先生の人間臭いところが見えて心が温まった、と言っていました。 

自分は、「温かい」では表現不足で「人間的にとても熱い方」だと思っているのですが!

さらにスタッフの方々もすごく温かいんですよ! 気配りも対応も素晴らしいんです。

それに病院内は木質主体で、照明なども工夫されていて、私たち患者が安心して医療を任せられる空間になっています。

脳疾患、脊髄疾患で悩まれている方、特に難しい治療の場合は、連絡を取られてみてはいかがでしょうか?

早朝のシバ君、大丈夫だったかな・・・

今日は県民の日ですが、カミさんの腰痛も少し落ち着いたので、職場の電気関係の修理を半日やることにしました。

いつもの速足ウォーキングをまずやろうと、新河岸川近くに来た時、まだ暗い歩道に、柴犬が1匹だけでトコトコ歩いてたんです!

あれあれ? と、車を停めてそっちを見ると、トコトコトコと柴犬が走り去ろうとしていくところでした。

「脱走してる! 飼い主に戻してやらなきゃ」と急いで車を降り、

「ホォーッ!」と呼び声(山で合図を送る呼び声)をかけると、柴君こっちを振り向いて、一瞬警戒してから、

すぐこっちに駆け寄ってきました!

「どうした!どうした!」と話しかけると、飛びついてきました。

何度も顔をなめられそうになりました。我が家の柴犬コータ君の臭いもするんでしょうね。

「どうしたんだよ! おまえは! どこから来たん? 暗い中一人(?)でダメだろ?」などと話をしていましたが、飼い主はいっこうに現れません。

そして何度も、「お座り!!」と言いましたが、全く分からないようでした。

この子、お座りは教わってないねぇ。

首輪はしていて、きれいな毛並みでした。元気そうな顔で生き生きしてましたよ!

手はうちの豆柴より太かったです。体も温かくて大きかったなあ。

いつまでもしょうがないので、さあ戻れよ! と、元来た歩道の方に追いやったんです。

そしたら! あろうことか、自分の車の後方から車道の方に飛び出ていってしまいました!

あー、そっちはだめだ!! 車が来るっ!

そして ・・・ ちょうど車が来ちゃって ・・・ 車にぶつかっちゃったんですよ!

わあーっ!! と叫んでしまいました。

自分の車の影で良く見えない ・・・ でも、倒れてはいない ・・・ だけど、また次の車が。

だめだっ! こっちにこいっ!! こっちくるんだよっ!! とかまわず大声で叫び続けました。

車が行ったあと、柴君は大丈夫そうに立っていました。

そして、こっちをちょっと見たあと、元気そうに走り去って行きました。

大丈夫そうに見えたんだけど、ホントに平気かな? 大丈夫でいてくれよ。

また、あいつに逢いたいな ・・・ 

Yumirose の 道

「棒人間」を紹介されたあと、色んなことを思い起こしていました。

そうだ、この曲をぜひ聴いて欲しい! と思い、書くことにしました。

この曲は、2004年4月のある日、突然、テレビの「みんなのうた」から流れてきました。

すぅ~っと自分の中に浸み込んで来て、思わず涙が出てしまいました。全く予期しなかったことでした。

今、歌詞だけを追っても、いじらしいだけでなく力強さもあり、グッと来るものがあります。

強く共感できるんです。

歌詞の下に動画のリンクを貼っておきますので、ぜひ、観て聴いて欲しいです。

 

道 (作詞 作曲 歌 yumirose)

 陽が沈み また昇ったら
 あの山を越え あの谷を超え
 あの丘の花のように             
 美しく強く咲きたいわ

 陽が沈み また昇ったら
 あの山を越え あの谷を超え
 あの川のせせらぎのように
 淀みなく強く流れたい

 いつまでもここにいたい
 どこまでも駈けていたいわ
 ずっとずっと
 ららららららららら

 ふらふらと歩いてきた
 ゆらゆらと歩いてきた
 ずいぶん遠回りして
 たどりついた道

 泣きながら帰ってきた
 へとへとで帰ってきた
 何度もふりかえり
 たどりついた道

 陽が沈み また昇ったら
 あの虹を越え あの月を超え
 あの空の星のように
 光り輝いていきたいわ

 陽が沈み また昇ったら
 あの虹を越え あの月を超え
 あの空の鳥のように
 自由に美しく飛びたいわ

 いつまでもここにいたい
 どこまでも駈けていたいわ
 ずっとずっと
 ららららららららら

 とぼとぼと歩いてきた
 ぼちぼちと歩いてきた
 ずいぶん遠回りして
 たどりついた道

 泣きながら帰ってきた
 へとへとで帰ってきた
 夜空の星だけが
 頼りになっていた

 ふらふらと歩いてきた
 ゆらゆらと歩いてきた
 ずいぶん遠回りして
 たどりついた道

 泣きながら帰ってきた
 へとへとで帰ってきた
 何度もふりかえり
 たどりついた道

https://www.youtube.com/watch?v=BhLoJCRF4H8 みんなの歌バージョン(3人の表情も・・・)

https://www.nicovideo.jp/watch/sm18015611 フルバージョン(歌詞は上記)

 

  

「棒人間」を初めて読んだ。初めて聴いた。

棒人間 (RADWIMPS 野田洋次郎 作詞作曲)

 ねぇ 僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい

 そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

  : 

 手に入れた幸せは忘れるわ 自分のことばかり棚にあげるわ

 怒らせ、苛つかせ、悲しませ 僕はいったい誰ですか?

 どうせこんなことになるのなら はじめから僕の姿形を

 人間とは遥か程遠いものに してくれりゃよかったのに

  :

 僕も人間でいいんですか ねぇ誰か答えてよ

 見よう見まねで生きてる 僕を許してくれますか

  :

 

人間じゃないって言ってるけど、「俺、まともになりたいんだ!」って切望する人の詞だな、と思いました。

自分もこんな風だったような・・・ と、いろいろと思い起こしていました・・・

いや ・・・ こんな風じゃなくて、全くこうだったと、数日経ってから気づきました。

長らく忘れていたんです・・・

優等生と、でくの坊、どうしてこんなに違うのかって毎日悲しかった。

今は出来ないことは減ったけど、やっぱり出来ないことはある。

皆は出来るのに、自分には出来ないことがある。

でも、出来ないならどうしよう? と考えることにしています。

悲しむだけというのは、自分は卒業できたのかもしれません。

そして、出来ないことを一生懸命何とかしようとしている人を応援する気持ちが強くなりました。

できないけど一生懸命、っていう人が好きなんです。

「できない」って、本当に色んな「できない」があると思いませんか?

 

ちょっと恥ずかしいけど、正直に書いてみました。 

 

現在の生活

早起きして、道がすいているうちに家を出て、職場の近く新河岸川沿いを1時間ほどウォーキング。

退勤後は、カミさんが義母の世話で泊まり込んでいる日は、カミさんの実家に寄って食事。

帰宅すると、宿題を片付けて風呂に入ると、もう寝る時間。

週末も早起きして、柴犬コータ君と入間川沿いウォーキングor高麗の日和田山登山。

その後は、カミさんを青梅のカフェや買い出しに連れて行きます。

義母の介護、その他諸々で疲れ切っているカミさんの、貴重な気分転換の日なんです。

週末には、古くなった実家や自宅の家の修理をあちこちやっています。

介護用の手すり設置、トイレ風呂場の修理、蛇口や排水管交換等の水回りの修理、ドアナンバーロック鍵の設置、天井や外壁のの照明の交換増設、屋内配線の交換増設、エアコンの設置、天井の塗装と、まだまだあるんですが、修理は出来る限り自分が引き受けてやるようにしています。

出来るだけ自分でやると、その箇所を良く観察して頭に入れる訳ですから、その後の不具合や改善などにもすぐに対応できます。

痛みがひどくなる前に早く対処できるので、結果安上がりで確実なんです。愛着がわくから、しっかり面倒見るようになるってことなんですね。

上記の電気系統の修理(直付け照明の交換、屋内配線の修理増設など)は電気工事士の免許がないとやってはいけないのですが、この件についてはあとで書きたいと思います。

こんな感じで日記が書けないでいました。書くことは沢山あるんですが・・・

 

後悔すること

義理の父が昨年9月に亡くなりました。
初めて会った時、自分を、昔から知っていたかのように受け入れてくれました。
普通だったら、娘の相手をすんなり受け入れることはないのでは。
自分は、この時のおとうさんの対応が忘れられません。

昨年まで、毎週末必ず妻の実家に行き、妻と一緒に食事作りをしました。
自分は、専門店で鮮魚を選び、さばいて料理する役でした。
春先のメバルの煮付けは、いつもすごく喜んでくれました。
入院中も、春になったら、大きいメバル買って、煮付けにして食べてもらおうと思っていました。

薬をキチンと服用し続けるため、昨年1月に入院することになり、転院もしました。
自宅には短い期間だったけど1度だけ戻りました。
病院の食事を食べなかったんです。凄く嫌がっていた。
でも、食べていれば、きっと何とかなっていたはず。低栄養にはならなかったはずです。
周りでも、何とか食べさせようとしてはいたんです。
「食べない時は点滴が代用になる」というのは、短い間だけです。
点滴だけで長く過ごすと、血管は痛み、低栄養になり、
低栄養が続けば、体が元に戻れなくなるという、絶望的な状況に陥ります。
自分は、このことを知らなさ過ぎました。
点滴、高栄養カテーテル、胃ろうで少しずつでも回復すると思っていました。
もちろん、これらの手はすべてやってもらいましたが、手を打った時が遅すぎました。
食べれなかっただけでなく、最初はハンガーストライキもあったんじゃないか、と看護師さんは言っていました。
自分は、どれだけおとうさんの本当の気持ちを分かっていたのか?

妻は、毎晩のように後悔し涙を流しています。
今、出来ることは、残された義母の世話をしてあげることです。
義母の世話を、失敗しないように、し続けてあげることだけです。
今の時点では、出来ることはそれしか残っていません。

2017年度センター入試化学の解説

 今年は本当に余裕がなく、こんな時期になってしまいましたが、
まとまった時間ができたので、ようやく、2017年度の化学・化学基礎センター入試問題の解説をアップできました。
いつもは解くスピードを主眼にした解説でしたが、
今年は、いつもより丁寧に解説を記してみました。
参考になれば嬉しいです。

 
2017センター化学・問題
 2017センター化学・解答解説

 2017センター化学基礎・問題
 2017センター化学基礎・解答解説

記事の左下の、
<前の記事へ>

をクリックしてたどると、順番に見れるようにしてあります。
逆順で解きながら、解説をタイピングしていったんですが、
毎度のことながら、タイピングにはすごく時間がかかります。

また、図を載せた方が分かりやすい問題も沢山あります。
後で図を挿入したいと思います。

また、東進予備校のシンプルな解説も参考にしてみて下さい。

 2017センター化学・解答解説 <東進予備校> 
 2017センター化学基礎・解答解説 <東進予備校> 

1年ぶりに更新

 夏休みが来て、やっとまとまった時間が取れるようになりました。 
今、我が家にも、大きな心配事が一度に出てきている状況です。
親の体調、特に義父、義母が良い状態ではありません。
また、それを世話するカミさんの体調も心配です。
カミさんは手術で安定しているとは言っても、頸椎、腰椎に爆弾を抱えているような状態です。
娘の進路のことも心配です。
カミさんと一緒に、義父のお見舞い、義母の生活介助をしながらの毎日です。
そんな生活の中でも、欠かしてはいけないことが沢山あります。
その一つが、我が家の柴犬コータの散歩です。早朝に起きて4時半ごろに出かけています。
これは自分の仕事なんです。
週末に時間があれば、近くの山にコータを一緒に登らせています。
犬も外で運動させないと、心身共に病気になるんですよ。
今の我が家は、色々な病気の克服が目標になっています。

久しぶりです

かなり、色々なことがありました。

まず、3月に川越から入間市に引っ越しました。
マンションを出る時に、厄介なことがかなりあって大変でした。
仲介の大京穴吹不動産の担当者の方に大変お世話になりました。感謝しています!
これで、入間と川越を行き来していたカミさんが楽になり、一安心です!
自分は職場が遠くなりましたが、車で何とか通えています。

引っ越しとは別に、家族の中で色々と心配事が解消されず、落ち着きません。
まあ、一喜一憂の繰り返しで、憂の方が今は多いんですが、祈りながら前向きにやっていくしかありません。
この歳になったら色々あって当然でしょうから!
川越の神様方にも何回も助けていただいたと実感しています。
またお世話になります!

さて、また少しづつでも更新していきますね!

2016年度センター入試 化学・化学基礎 解説

2016年度のセンター入試の、化学、化学基礎について
問題、解答、簡単な解説を載せました。
参考にして下さい。

「化学」問題 2016kagaku.pdf
              解答、解説

「化学基礎」問題
 2016kagaku-kiso.pdf
解答、解説
 http://www.9monotaira.pgw.jp/?page_id=183

今年は、問題公開が遅かったです。
また、逆順で解きながら、解説をタイピングしていったんですが、
やはり、タイピングには時間がかかってしまいますね ・・・

身内の病(2.脊柱管狭窄症)

(前回からの続き)

 本人は7年前、腰椎脊柱管狭窄症の手術を受けています。
この時も、手術をする段階まで悪化していたため、どう手術するのかかなり迷い、web検索で埼玉医科大学脳神経外科の実績のある先生にたどり着いたのです。
この時も紹介状はありませんでしたが、メール、電話で連絡を受けて下さり、とても丁寧に診察していただきました。
手術リスクの説明も細かくしていただき、また、先生側から手術をせかしたりすること等は全くなく、誠実さを強く感じました。

脊柱管狭窄症手術から7年以上経ちますが、痛み、しびれ共に全くなく、最高の手術をしていただいた結果だと思っています。

7年前当時の脊柱管狭窄症の一般的な手術の一例は、脊椎を大きく切り取り、不安定になった脊椎を固定するためにチタン等の金属を用いて骨にボルト締め(!)を行ったりするようなものでした。(下図のような術式)



 本人が受けた手術は、これとは全く異なり、椎間板や脊椎はできる限り温存し、脊椎の削除も最小限にとどめる、という方法でした。金属等での骨の固定も一切していません。(下図の術式)




 顕微鏡手術は、術野を大きく明るく見ながら精密で正確な手術ができるのですが、
その手法を用いる医師の手術法、そして治療への姿勢にも、慎重で「精密で正確」なものを強く感じます。
私たちが脳神経外科の先生をとても信頼している理由です。
もちろん、顕微鏡手術は、現在は他の科でもどんどん使われるようになってきているそうです。
(続く)

身内の病(1.後縦靭帯骨化症)

 家族の病気が完治して欲しいと願うのは、誰でも当然のことです。
「後縦靭帯骨化症」は国指定の難病です。
以前、術後80日めのことを簡単に書かせていただきました。
本人は、ここで術後11ヶ月を迎えましたが、今までの経過を記しておこうと思います。




 この病名を告げられた時、本人はどれほどショックだったでしょう。
自分は、本人と一緒に、この病気のエキスパートである病院と医師を探し回りました。
その中でも、特に有名な、整形外科の都内K病院、脳神経外科の都内K大病院には直接電話で診察して下さるようお願いしました。
しかし、「紹介状がないとダメです」とはっきりした返事でした。紹介状が書いてもらえない状況を説明して強くお願いしてもダメでした。2つの病院共に同じ返事でした。

 紹介状がない私たちは、希望を閉ざされた感じになりガックリと落ち込みました。
とにかく、この病気をたくさん手がけている病院でないとダメだと思っていましたから。
web検索でも、術後が思わしくなかったり、四肢麻痺になってしまった方もいらっしゃるのです。

 そうこうしているうちにも、毎日のように症状が出て、しかも少しずつ進行しているようでした。
紹介状がないまま、2つの病院を訪ねてみました。ここには整形外科の専門医がいらっしゃいました。
どちらの専門医も、手術する段階という診断でしたが、手術法は全く違っていました。
私たちもこの病気と治療、手術についてかなり調べていましたから、帰宅してからじっくり考えました。
また、この病院の後縦靭帯骨化症の手術件数と実績も調べてみました。
結局、手術件数が多くなく、手術法に対する不安が残ったので、手術はお願いできませんでした。

 不安が増す中、身内がある医師に相談したところ、栃木県の独協医科大学病院脳神経外科に脊髄治療の名医がいらっしゃる事を教えて下さいました!
しかし、紹介状はありませんから多分診察はしてもらえないだろうと思っていたのです。
でも、とにかくアタックしてみなくては分かりません。
この先生と病院のことをwebで充分調べてから、電話をかけてみました。
やはり、紹介状のことを言われました。
紹介状は無いが、レントゲンとMRIの画像は持参できることを伝えると、「では、〇日の〇時においで下さい」という返事!
もう、飛び上がるほど嬉しかったです!
ここまで来る間に、検査機関も訪れていたので、検査画像を入手できていたのも幸いでした。

 脊髄関係の疾患は、日本では昔、整形外科が扱ってきた領域ですが、外国では脳神経外科が専門に担当してきたのです。
脳神経外科の手術は、顕微鏡手術(マイクロサージャリー)を基本にした精密な手技です。
(顕微鏡手術と内視鏡手術は全く別物です。念のため。)

   *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 本人は7年前、腰椎脊柱管狭窄症の手術を受けています。
この時も、どう手術するのかかなり迷い、web検索で埼玉医科大学脳神経外科の実績のある先生にたどり着いたのです。
(続く)

原爆の日

毎年8月、
6日の8時15分、
9日の11時2分、
昨年まで、朝の勉強会のこの時間に、黙とうのあと話をしてきました。
そのあと、谷川俊太郎作詞 武満徹作曲 「死んだ男の残したものは」 を一緒に聴きました。

特に、自分の希望をかなえるため勉強していただろう当時の仲間たちの気持ちを
勉強会のメンバーと共に考えるようにしてきました。

今年は猛暑の中、冷房のない一室での作業中に
広島原爆の日8時15分になりました。
静かに1分間黙とうしました。
一人きりでこの時間を迎えたのは、本当に久しぶりでした。

「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎)
1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

DDNSサーバーまたdown

 MydnsのDDNSサーバーが、またまたダウンしました。
今回は4時~9時までと長く、お詫びのメールが早々に来ました。
無料サービスなので文句は言えませんが、障害の回数が頻繁です。

こちら側の対策として、以下のような手を考えました。
 ①2つめの別DDNSサイトに、別ドメインを登録
  別ドメイン名は、 labo2.dip.jp です。
     ieサーバーのサービスに登録をしておきます。 
 ②自webサーバーに、「別ドメイン」から「元ドメイン」にredirectするよう設定
現在、この設定を済ませ、動作確認もしてあります。

このtopページ左上にも、別URLを記してあります。
正常時にこのURLをクリックしても、変化がないように見えますが、
 labo2.dip.jp → redirect → labo.mydns.jp と応答しています。
元DDNSがダウンすると、元URLからのアクセスは出来なくなるので、
このページにもたどり着けなくなる訳ですが、
キャッシュページを見に行けば、この別URLにたどり着けると思います。
2つのDDNSサービスが同時にダウンする確率ですが、
ゼロではないと思いますが、非常に低くなるはずです。

この方法では、サイトの正常動作は望めません。
webサイトにはIPアドレスを指定すればたどりつけますが、特定のURL情報でないとサイトが正常に動作しません。
ただ、サーバーが動いていそうだな、ということしか分かりません!(笑)
まあ、とりあえずはこれで運用してみることにします。

なお、DDNSサイトへのIPアドレス通知は、
メール通知方式からwgetコマンドによるbasic認証方式に変更しました。

再びDDNSserverダウン?

 本日、mydnsのDDNSサーバー13:20ごろ、再びダウンしたようです。
この時刻にwebサイトが見えなくなったので、
nslookupコマンドを打ったところ、応答がありませんでした。

しかし、13:50には復旧したようでした。
というのは、13:50にwebサイトが見えたかは確認していないんです。
この時刻は外出していました。
自サーバーのログからの推測です。

今気づいたんですが、こちらからのメールが送信できていなければ、
同様の状況になる?
いや、固定IPでなくても、
こちらのIPアドレスはそうは変動しないはず。
だとすれば、こちらからのメールがしばらく送られなくても大丈夫なのでは?

今回は、mydnsからお詫びの連絡がまだ来ていません。
エラーログをきちんと読めないと、正確なところがつかめませんね・・・

もりそばトマト風味

 変わり種ですが、お手軽ですぐできて、美味しいんですよ。
この暑い時期にピッタリなんです!!
とにかく、手をかけられない、すぐ食べたい時にどうぞ。

シマダヤの「流水麺そば」、キッコーマンの「ざるそばつゆストレート」、
それと100%トマトジュース。この3つだけ用意して下さい。
良く冷やしておいて。
そばつゆは上記のものにして下さいね。
それと、トマトジュースは無塩のストレートタイプですよ!

涼しげな小さなガラスの器に、
冷やしておいた「そばつゆ」「トマトジュース」を混ぜ合わせます。
半々くらいの割合で。つゆがかなり薄まるくらいでOKです。氷を入れてもいいですね。
流水麺そばは、さっと流水でもみ洗いして水を切って、ざる等の入れ物に盛ります。
これだけです。
さあ、すぐに召し上がれ!
そばにもみ海苔、つけ汁にすりごま、も合います。

そばとトマトって、相性いいの ? ・ ・ ・
ところが、作ってみてビックリ!
カミさんにも合格もらってますので(笑)、ぜひお試しください!

弱っていたスズメ

今朝、こんなことがあったんです。
川越駅寄りのクレアモールの端っこの歩道橋でのこと。
そこを上って行ったら、階段にスズメがいました。
動きが悪く、飛ぼうとしないんです。
「これじゃあ踏まれちゃう」と思って
手で包むように捕まえました。
元気が無くて、逃げようとしません。

 「何とかして」っていう目をしているようにも見えました。
弱ったスズメを身近で見かけたのは初めてです。
さて、どこに放してやろうか、と思い、
アトレの脇の、道を隔てた向こう側に小さな緑地帯を見つけて、
そこの背の低い木立の葉が茂る木陰の中で放してやりました。
あとで気づいたんだけど、熱中症だったのかもしれません。
連日、この暑さですからね。
 水飲ませた方が良かったかな。
ネットで調べたら、鳥たちの熱中症は珍しくないみたいです。

仕事帰りに、その緑地帯を眺めましたが、
もう見つかるはずもありません。
元気になっていて欲しいんです!

川越菓子屋横丁の火事

 今日の昼過ぎでした。
サイレンを鳴らした消防車の音が何回も聞こえました。
それも、そんなに遠くない所で。

ついさっき、webで偶然見つけたのですが、
今日の正午ごろ、川越の名所「菓子屋横丁」で火事があり、
11棟が焼け、うち5棟全焼、1人が亡くなったとのこと。
亡くなったのは、室岡製菓の店主さんだそうです。
お菓子を作っている最中に、プロパンガスの爆発で出火したようです。
店主さんは90歳だそうで、きっと元気にお菓子を作り続けてきたのではないでしょうか。

ここからは自分の勝手な想像ですが、
周りの家族たちも、このおじいちゃんを応援していたんじゃないかと思うんです。
おじいちゃんは、仕事してるから元気でいられるんだって。

この菓子屋横丁の一角に、おばあちゃんが焼いてくれる凄く美味しいお好み焼き屋さんがあるんです。(ここは無事だったと思うのですが)
以前、そのおばあちゃんも言っていました。「お客さんのために頑張るんだよ」って。
その時、家族もこのおばあちゃんを応援しているんじゃないかな、と感じたんです。
本当に心が痛む事件です。

奇跡の名演奏!

 ブラスバンドで奇跡の名演と言えば、これ!!
と語り継がれている伝説の録音があるんです。

Howard Snell 指揮

Britannia Building Society Band が

1992年 European Brass Band Championship で

優勝した時のライブ録音です。

演奏曲は、

Philip Sparke の

The Year of the Dragon です。

(フィリップ・スパーク作曲「ドラゴンの年」)

この演奏は ・ ・ ・

もう、凄いなんてもんじゃない! 人間業を越えていると感じます!!

何度聞いても、この思いを強くします。

鳥肌が立ち、目頭が熱くなり ・ ・ ・

超快速でダイナミックな両端楽章も、恐ろしいほどに決まっているんですが、

自分は、そこよりも ・ ・ ・

第2楽章Interlude を、みんなに聴いてもらいたい!!

もはや、演奏者が音をコントロールしているといった次元ではなく、

player全員に何かが乗り移ったかのような、魂のこもりきった熱い演奏 ・ ・ ・ !

この優勝パフォーマンスの数か月後に

Howard Snell と Britannia Building Society Band は、

同じ曲をスタジオ録音しました。

しかし、神がかった演奏は再現されなかったのです。

(この時のCDも出ています)

この奇跡の名演奏は、ブラスバンドの分野だけでなく

すべての分野の音楽好きを唸らせるものだと信じています。

是非、聴いてみて下さい!

ココです!!

  https://www.youtube.com

目を閉じて聴いてみて・・・

 

全曲通してはこちらです!

  https://www.youtube.com


 職場で吹奏楽の話題が出たので、

突然ですが、書いてみました。

DDNSサーバーダウン

 4日の昼過ぎ、自作のwebサイトが見えない、リモートアクセスもできない、という状況が突然発生しました。
nslookupコマンドを打っても、IPアドレスが返ってきません。

1.一番あやしかったのは、設置場所の停電を含めた、自鯖(myserver!)のダウンです。これは現地に行くか、現地の人間に確認してもらうしかないのですが、現地には誰もおらず確認できませんでした。

2.次はNTTの外部光ケーブルの断線等を疑いました。日中非常に強い風がずっと吹いていたんです。またはこれらも原因となる現地付近のネットワーク回線の遮断。これは以前実際に発生してネットで調べることも出来ました。しかし、今回は違いました。

3.あとは、職場のDNSサーバーの不調ですが、他のwebページは問題なく見えているのでこれも原因ではなさそうです。

色々と悩んでいるうちに、自鯖の3つのドメインのうちの1つのアクセスが突然戻ったんです! 残り2つのドメインは依然としてアクセス不能のまま。(??)
nslookupコマンドでも、2つのドメインのIPアドレスだけ返ってきません。
これで、1.の予測は間違っていたことになります。
幸いリモートアクセスは回復していたので、委託DDNSサーバーへのメール送信のログを調べてみました。利用中のDDNSサービスは、自鯖からメールを送る(15分間隔で自動送信)ことで、自鯖のIPアドレスを知らせるしくみになっています。
すると、12:20 頃からメールが処理されていないことが判明! これが14:20 までのログに残されていました。また、復旧直前には3通のメールのうち、1通だけ処理されていた模様。原因がはっきりしました!
復旧後 1時間ほどして、「システム障害のお詫び」のメールが届きました。
内容は以下のようです。

 本日正午すぎより、MyDNS.JPにシステム障害が発生しておりました。
    障害発生日時 : 2015/06/04 12:04~14:20
    対象者    : 全てのお客様
    障害内容   : DNSサーバー停止
 一部の自動通知が停止してしまっている場合がありますので、ご確認いただけますようお願いいたします。
ご利用のお客様には、ご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした。

このトラブルは自分には初めての経験でしたが、再発への対応を考えている最中です。
最後の手段は、「固定IPアドレスにする」ということなんでしょうか。

渥美清さんの思い出

 「今日は久々に空気もカラッとしてるね~」
そう言われて、「ホントだね!」と答えました。
ここしばらく蒸し暑い日が続いたりしていましたから。

 木曜日に、渥美清さんの思い出がテレビでチラッと流れました。
真剣に見ましたよ。今でも寅さん大好きですから。

平成8年の夏、渥美さんが肝臓がんで亡くなり
渥美さんのニュースや関連番組がいくつも流されました。
「もう寅さんに逢えないんだ・・・」 自分はとてもショックでした。
そんな中でNHKの「素顔の渥美清」といった題の特番があったんです。
頭が空っぽになりました ・ ・ ・
そして自分は、渥美さんのこと、いや芸能人のことをまったく理解していなかったんだと気づかされました。

渥美さんは寅さんのような人ではなかったんです。
神経質で、感覚が鋭くて、気難しい面もあり孤独で・・・
いや、自分は今でも渥美さんが大好きだし、渥美さんの録画をもっともっと見たいんです。

渥美さんは、インタビューは好まない方で、個人的な話はほとんどしないと言われていました。
前述のNHK特番は、渥美さんが今まで決して語らなかった本音を、「自分の素顔を知ってもらいたい」と、遺言のように残したものなのではないでしょうか。
元気そうな表情は影をひそめ、淡々と、どこか遠くを見つめるように穏やかに語っていました。
「寅さんはどこに行っても一日中笑っていなけりゃいけないんだよね」と言って静かに笑っていましたが、自分には寂しそうにも見えました。
国民的俳優として名前が残るほどの渥美さんがさらに欲しかったのは、プライベートな自由? それとも他の作品に出演して色々な役者を演じること?
今の自分にはまだ分かりません。

小林信彦さん著の「おかしな男 渥美清」が昨日届きました。
小林さんは渥美さんと親交があった数少ない一人です。
「虚構に殉じた男の若き日の素顔を丹念に浮かび上がらせる、実感的人物伝」
食い入るように読み始めました。

最後に。
「渥美さん、本当にお疲れさまでした。画面の渥美さんにこれからも逢いにいきますからね!」

扁桃腺炎・・・

 喉が痛くて、結構高い熱があり、
身体がフラフラするようなだるさがある。
連休最終日の6日にこんな症状になってしまいました。
でも、10年以上も風邪ひかなかったくらい元気なんですよ!
何が原因なのか、分からないんです・・・

どうも喉の炎症っぽい? でも風邪の感じじゃないなぁ。
昨日帰宅途中に、川越丸広近くの耳鼻科に18時ぎりぎりセーフで到着。
「あと1時間は順番が回ってきませんね」と言われ、一旦自宅に帰り、40分後に再度病院に。
いつもすごく混んでいて、信頼されてる病院という感じがします。

Doctor : どうしました?
自分 : 喉が痛くて、昨夜39℃近くありました。寒気も少しあります。舌の根元に口内炎が出来てるんですが・・・
Doctor : 口内炎は熱でないよ! どれ、口大きく開けて! ああ、扁桃腺腫れてる! ここ痛いでしょ? (と、首のリンパ節を押す)
自分 : 痛いです!
Doctor : 抗生剤出しとくけど、今大人のB型インフルエンザ流行ってるから、熱下がらなかったら、もう一度来てね。
自分 : ありがとうございました!

こんな感じで病院を出たのは20時過ぎ。
そして、近くの薬局も混んでいて、薬をもらって帰宅したのは20時40分でした。
扁桃腺炎って、子供の病気じゃない? かっこわる~い!
でも、仕事帰りに、しかも土日の前に診察してもらえたので、本当にありがたかったです。

昨夜は良く眠れたし、今日の仕事はふらつきませんでした!(笑)
でも、まだ完全に治っている感じじゃないんです。
皆さん、喉の周りの炎症とかは気を付けて下さい!
高熱が出るし、すぐには治らないようですから。

でも、ホントに何が原因なのかなぁ? ・・・
あ~ ・・・ ! そう言えば ・・・
トビウオさばいて、お刺身とお吸い物作ったんです。
これ、ほとんど全部自分一人で食べたんだっけ。
トビウオは、小骨がすごく多いんです! 小骨を喉に引っかけたのかも?
やっぱり、かっこわるぅ ~ !!

小淵沢のペンション Pollyanna

 小淵沢のGarden Cottage 「pollyanna」 に3日から4日までお世話になり、カミさんと2人で大満足で帰ってきました!
小淵沢は、八ヶ岳南麓、山梨県北西部(長野県との県境)に位置する、大自然に抱かれたエリアです。
ペンションとは、低価格で泊まれる西洋風のお洒落でこじんまりとした宿、といったイメージですね。
この小淵沢に、この地区第1号の老舗のペンション「ポリアンナ」が建っています。
 http://www.pollyanna.gr.jp/index.html
Garden Cottageと謳っていることもありますが、
他のペンションとはまったく異なっているところがあります!
それは ・・・ 

2千坪もの広大な庭!
手入れの行き届いたその庭園に、1千種もの植物が!!
手入れは行き届いているんですが、人工臭がしないんです。
本当に素晴らしい!!
後で気づいたんですが、この庭園は四季の変化と共に表情が大きく変わっていくんです!
自然を愛する人には、この説明だけで充分ではないでしょうか。

もう一つ、この宿には大きな魅力があります。
そうなんです。 オーナー夫妻の人がらです!!
オーナー夫妻に関しては、ホームページ、ガーデニング誌ビズ2014盛夏号などで少しは分かるんですが、
何より、実際に逢われて話をされるといいと思います。

確か、宿泊だけでなく母屋で休息も出来たと思います。
同じ敷地内に、お洒落なカフェもあるんです。
 http://www.pollyanna.gr.jp/cottonweed.htm

最後に。
これだけ自然が豊かな場所なのに、交通アクセスしやすいんですよ!

 1.JR中央線小淵沢駅から歩いて20分。
   途中、大きなフラワーガーデンもあります。
 2.小淵沢駅までの高速バスもあります。JRより安い。
 3.高速道路を使ってマイカーなら小淵沢ICから5分。

後縦靭帯骨化症、術後80日め

 最近は、カミさんの体調が良くなってきたかどうか、現在の調子はどうか、
これらの事が良ければ、嬉しい気持ちで過ごせるんです。
そうでなければ、不安な一日になります。
現在、カミさんの「後縦靭帯骨化症」の手術後の経過を、本人も含めた家族で観察しています。
術後の検診では、執刀医の先生も心配そうな顔をされたりして
かなり落ち込んだ日もありました。
「一進一退」っていう感じなんです。
一進一退ということは、将来、良くなっていきそうなのか、悪くなっていきそうなのか、
時間が経たないと実感できませんよね。

今日で、術後80日なんですが、
いい方向に向かっている、と思える日が多くなってきました!!
痛みで眠れない、という日も確実に減ってきています!

暖かい日でした!

 朝の空気はヒンヤリしていましたが、

日中は、窓から暖かくてさわやかな風が入り込んできました。

ちょっと変な表現だけど、今まで寒くて窓も開けられませんでしたから。

今度、南側の5階の窓からの展望を報告しますね。

4月10日にオープンしたららぽーと富士見が見えるかもしれません。