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核心は謎のまま 日航機墜落事故から40年 なぜ「不適切修理」は行われた?

2025年8月12日 21時21分

 

 (前略)

123便の事故原因について、アメリカの調査チームが注目したのが、

墜落した123便の過去の修理記録だった。

事故の7年前、

123便の機体は大阪空港で後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こし、

機体後部の「ある部分」を損傷していた。

その部分とは「圧力隔壁」と呼ばれ、気圧の低い機体後部から客室を守るお椀型の壁だ。

 

123便圧力隔壁

 

この圧力隔壁の修理を製造メーカーのボーイングが行うことになった。

修理指示書では、壊れた隔壁の下半分を新品と交換し、

上と下の隔壁の間に1枚の「継ぎ板」を挟んで繋ぎ止めることになっていた。

 

圧力隔壁修理 正

 

1枚の「継ぎ板」を使った修理は「よくあることだ」と日米の調査官は言う。

しかし、実際の修理では、

この「継ぎ板」が2つに切断されて使われていた。

1枚の継ぎ板を使った修理と比べて、隔壁をつなぎとめる幅が短い。

加圧された客室側からの力に耐えるには、明らかな強度不足だったのだ。(!)

 

圧力隔壁修理 誤

 

FAAから日航ジャンボ機墜落の調査に派遣されたトム・スイフト氏は、東京・赤坂のアメリカ大使館にいた。

金属の亀裂が専門の彼は、不適切な修理が航空機に与える影響を分析していた。

隔壁の修理が不適切だった場合、航空機は何回まで飛び続けられるかという「仮説」を立て、

隔壁の耐久性を試算した。

その結果、隔壁の修理から墜落までの推定飛行回数は約1万3000回。

これに対し、123便の修理から事故までの実際の飛行回数は1万2184回だった。

2つの値は極めて近かった。

この試算結果は、隔壁の不適切な修理が墜落事故の原因である可能性を強く示唆するものだった。

NTSBのシュリード氏は、この事実をアメリカ大使館に集まったボーイングの技術者たちに説明した。

 

その時の様子についてシュリード氏は

「彼らは、かなり落胆していました。

実際、何か起きたのかを悟った時、涙を流す者もいました」

と語っている。

 

520人の命を奪うことにつながった隔壁の修理ミスは、なぜ起きたのか。

日本の事故調査委員会や警察は、修理ミスの原因解明のため渡米したが、

アメリカ側のガードは固かった。

アメリカでは、航空機事故の場合、

個人の責任追及よりも再発防止に向けた原因の究明が優先されるためだ。

そうした中、TBSは隔壁修理に携わった作業員への取材に成功している。

1978年に隔壁修理のため来日したボーイング社44人の名簿を独自に入手し、取材を行った。

多くが他界していたが、そのうちのひとりの男性が取材に応じた。

 

「確か、あの時は​​しり​​​​もち事故​​で、圧力隔壁の下半分を交換したんじゃないか」

フランクな受け答えの一方で、元作業員としての頑固な一面も垣間見えた。

​​男性は、今でも修理にミスはなく、指示通りに作業をしたと主張している。

​​「誰が言ったか知らないが、私たちは『継ぎ板』を切ったりしていない。

切ったんじゃなくて、初めから2枚だったんだ」

さらに、板を2つに切ったのではなく、別の板を足しただけだと説明した。

しかし、日本の調査官が撮影した未公開写真には、

2つの板を跨ぐように複数の引っ掻き傷のような痕が写っている。

もともと1枚だった「継ぎ板」が切断されたことを示唆するものだ。

この傷は「継ぎ板」を作る際に出来たものではないかと、撮影した調査官は話している。

 

圧力隔壁修理 切られた継板

 

またボーイングで事故調査を担当したパービス氏は、

修理ミスの背景について、作業者の名前は明かさずにこう証言している。

「担当者は、ただ隙間を埋めればいいという程度にしか考えていなかった」

 

修理には、ほかに多くの作業員が関与している。

男性には、修理で使用した「継ぎ板」が実際には切断されて出来たものという認識がなかった。

誰が「継ぎ板」を2枚に切断したか、男性への取材では明らかに出来なかった。

一方、作業をした男性は、

123便の事故原因をめぐって過去の修理が日米で問題視されていた事実を全く知らなかったという。

彼のもとに、そうした情報は届いていなかった。

もしひとりでも、修理ミスに気付いていれば、墜落事故を防ぐことが出来たかもしれない。

男性は、123便の事故について

「悲しいよ。

多くの人が亡くなったんだから、それは悲しい。

でも、事故は起きる。

受け止めるしかない」

と語った。

 

事故原因の核心は、40年経った今も解明されていないのだ・・・

再び K2で眠る中島建郎さんと平出和也さんのこと

2025年8月11日 01時14分

 

 9日午後、この前見たNHKスペシャルの再放送にまたも釘付けになりました。

「K2未踏のライン 平出和也と中島健郎の軌跡」

 

この挑戦を前に、涙を流しながら家族のことを語る中島健郎さんの表情と言葉を、もっと深く理解したかったんです。

そして、中島さんの心情を是非妻にも感じてもらいたかった。

2度目の放送を見て、自分はこの前の放送で見落としていることがかなりあったことに気付きました。

この計画を主導してきたように見えた平出和也さんが、テントの中で、

「これは、大変なところに来てしまった」

「行けるところまで行って撤退することを考える」

「生きて帰らなければならないんだ」

はっきりとこのように語って、それが動画に収められているんです。

現地の危険さ、恐ろしさの正確な事実は、その時の彼らだけが身体で分かっていたはずです。

残っている動画を見ただけでも、素人が見ても危険度が半端ないことくらい分かる。

「目の前の雪の壁はいつ崩れてきてもおかしくない。いつ崩れてくるか分からない」

急斜度の中で目の前にはだかるこの雪の壁の映像が、はっきりと映像に残されているんです。

 

この映像は、単なる記録ではない!

これは、その時この映像を見ていた人たちへのサインだ!

このチャレンジは危険すぎるんだと!

出発前の中島さんの涙、

テントの中での平出さんの言葉、

そして現場の映像、

サインはいくつもあった!

周りが止めるべきだったんだ!

チャレンジャーに期待する私たちも、2人を追い込んでしまったように思えてならない!

 

自分はそう感じています・・・

 

 

以下、登山家で平出和也さんとも親交があった

大石明弘さんのブログから引用させていただきます。

 

 大学4年生の秋。

私たちはチベットのチョ・オユー(8188m)にいた。

遠征をサポートしてくれたのは、お互いの大学だけだった。

7000mでさえも未知の世界だった私は、最終キャンプで高山病になりテントの中に倒れこんだ。

しかし無酸素登頂を目指していていたから、酸素ボンベは持っていなかった。

平出はスープを作り、苦しむ私に飲ませてくれた。

頭は朦朧としていたが、そこから下山しようとは全く思わなかった。

「登ってやる。絶対にやってやる」

そんな言葉しか、頭に浮かんでこなかった。

平出も遠征後に書いた登山報告書に、その時のことをこう書いていた。

「登りたいんだ。登りたいんだ」

翌朝未明、満点の星空の下、山頂を目指して二人で出発した。

気がつくと私たちより高い場所はエベレスト山群だけになっていた。

誰もいない山頂で私たちは、抱き合って喜んだ。

その時私たちが、遠く離れたチベットの山にいることは、日本の誰も知らなかった。

 

(中略)

 

平出と中島は、その後も世界の山々を登り続けた。

彼らの登攀方法は「アルパインスタイル」と呼ばれるもので、

軽量化した装備で、一気に壁を登り上がるというものだった。

先鋭的なスタイルだが、彼らはそれを世界の登山家が知らない未踏の壁で行い続けていた。

数々の輝かしい登攀。

栄誉あるピオレドール賞の受賞。

特筆すべきはそんな極限の登攀であっても、ふたりはカメラを携え映像表現をし続けたことだ。

ドローンも駆使した動画は、素晴らしいテレビ番組となった。

人々の心を動かしたのは、その壮大な風景ではなく、

平出たちが本気の挑戦をしている情熱的な登攀シーンだった。

平出の番組はどれも高視聴率をとり、回によっては異例ともいえるほど多くの再放送がなされた。

山に登らない人々までもが、彼らの挑戦に心を打たれ、日常生活を進めるエネルギーに転化していた。

もちろん彼らと同じように、私もふたりから影響を受けていた。

 

(中略)

 

だが、K2(8611m)西壁の登攀計画のことが発表されたときの反応は、

私はファンとは違っていたと思う。

登攀予定のラインを見て、直観的に思ったのは、

「これは無理だ」

と言う事だった。

平出の計画したK2西壁のルートは、

壁の「弱点」はついていたものの、氷雪がつながっていない岩の場所が何か所もある。

私は、アラスカのハンター北壁で、そのクラスの難易度の岩を登っていたから、

技術的な難しさは多少なりとも理解できた。

ただそれを、じっとしていても疲労する7000m、8000mの希薄な空気の中で行うというのは、

全く想像がつかなかった。

過去20年で、8000mの難壁をアルパインスタイルで登られた記録は、わずか6チーム。

平出と中島が彼らより劣っているとは思わなかった。

だが、K2西壁は、それらの壁よりも難しいのだ。

しかもK2は8000m後半の「超高所」。

8000m前半とはかなり違う。

K2西壁を二人だけで登れば、世界の登山史を塗り替えるような大記録になる。

しかし・・・

 

私はすぐに電話をして「大丈夫なのか?」ということを話した。

平出は明るいトーンで、

「そういうことを言うのは、大石さんくらいですよ」

と言った。

そして、

「登山専門のライターさんでも応援してくれるんですよ」

そんな風に続けた。

さらに、

「自分のこれまでの集大成として、行けるところまで登れればいいと思っています」

と、軽い感じで平出は話した。

その短い電話だけで私は、安心してしまった。

平出は登れるところまで登り降りてくるのだ、と。

 

平出と中島は、静岡に来て講演会をおこなった。

もちろん壇上では言わなかったが、

その時点でも、K2西壁は途中まで登って帰ってくるのだろうと私は思っていた。

しかし講演会を聞いた人々は、今回もふたりは、

「不可能を可能にしてくれる」

と感じていたのだろう。

 

その後、平出のK2西壁の計画は特設ページが石井スポーツによって開設され、

約40もの協賛メーカーのロゴがならんだ。

 

しかし私はもともと途中で戻ってくるものと思っていたから、

この時点でも、全く心配していなかった。

恐らくヒマラヤを知る登山関係者も、そう思っていたのではないだろうか? 

だが、私を含め、そのことを公に話す人は誰もいなかった。

一方で支援者の多くは、K2西壁完登を願っていたに違いない。

 

遠征がはじまると、活動記録は平出のインスタグラムを通じ、スタッフにより報告された。

協賛メーカーの商品が必ず掲載されていることは、これまでの平出のインスタとは違っていたが、

これだけ大きなプロジェクトになれば、それも当然の展開なのだろうと思った。

 

インスタによると現地では天候不順が続いていた。

もうこれはトライどころか、出発もしないのだろうと私は思った。

平出たちのルートはクーロワール(壁の溝状の部分)を通っており、

雪が締まってないと登攀が難しいからだ。

だが、雨がぱらつく中、ふたりはラストトライに向けベースキャンプを出発した。

 

そしてその3日後、まず海外メディアから遭難のニュースが届いた・・・

 

「まさか」としか思えなかった。

自分たちがコントロールできるところまで登り、降りてくるはずではなかったのか?

7月30日に救助活動は中止された。

いろんなことを憶測してしまい、紋々とした日が数日続いた。

何度もインスタを見返す。

見えてくるのは悪天候が続いていたことだった。

インスタによると二人は「ラストトライ」前に、6700mまで高度順化のために登っていた。

 

私には、その高度順化でふたりが、山頂への闘志をみなぎらせたとは、どうしても思えなかった。

ただでさえ完登の可能性が低い最難級の壁に、雪が積もっているのだ・・・

 

自分の登山経験とも照らし合わせてみた。

「完登」への強い想いがなければ、私は大きな壁には踏み込めなかった。

恐ろしさよりも、美しいラインを引きたいという思いが勝らなければ、冒険的な登攀はできない。

今となっては、平出がどのような気持ちでこの挑戦を始めたのかはわからない。

私に言ったのとは裏腹に「不可能を可能にしよう」と、

計画段階では本気で山頂を目指していたのかもしれない。

 

だが西壁の現場で、あの降雪では、登頂の可能性は見えてなかったと私は思う。

それでも一大プロジェクトであるがゆえに、

そこで簡単に切り上げることはできなかったのではないだろうか?

「行けるところまで登れれば」

あるいは、

「不可能を可能にする」

という主体的な気持ちは、

「行けるところまで登らなければ」

という義務感に変わっていたのではないだろうか?

 

山頂にはフォーカスできず、

クライマーとしての「スイッチ」が入らないなかで今回の遭難が起こってしまったように、

私は感じてならなかった。

 

私は、どうしても20年も前のチョ・オユー登山を思い出してしまう。

あの時は、日本人が誰も計画を知らない中での登山だった。

そして、ふたりで絶対に登りきってやろうと、純粋にそれだけを思っていた。

 

20年前のチョ・オユーと、今回のK2西壁は、難易度が全く違うだけではなかった。

遠征を取り巻く様々なものとの関係性や、山の中での心理状態も全然違っていたのだろう。

 

今回は、自然の脅威だけではなく、

人間側のさまざまな要素も絡み合い、

重層的な原因で遭難がおきてしまったとしか私には考えらない。

平出と中島は自然側だけでなく、

人間側のリスクをも受け入れる覚悟のうえで、

冒険への情熱の発露としてK2西壁へ向かったのだと思う。

 

それでも・・・

私は平出とのチョ・オユーを思い出してしまう。

ああいう誰も知らない、自分たちだけの完結型の登山だけでも十分良かったんじゃないかなとも思う。

 

挑戦とその表現は素晴らしいけれど、

そんなに頑張らなくてもよかったんじゃないか、と。

背負ったものをかなぐり捨てて、

ふたりは、帰ってくればよかったのだ。

 

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「占領者に領土を明け渡すことはない」  ゼレンスキー氏がトランプ氏らをけん制

2025年8月10日 14時32分

 

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 トランプ大統領とプーチン大統領が来週、

アラスカ州でウクライナ和平について協議する構えを見せる中、

ゼレンスキー大統領はソーシャルメディアで

「ウクライナ国民が占領者に領土を明け渡すことはない」

とけん制。

 

「ウクライナに不利ないかなる決定も、ウクライナ抜きのいかなる決定も平和に反する。

無意味に終わる」

「われわれウクライナ抜きでこの戦争を終わらせることはできない」

と付け加えた。

 

ゼレンスキー氏は、

ウクライナは「平和をもたらす真の決定を下す準備ができている」

と述べたが、詳細は明らかにしなかった。

 

トランプ氏は8日に、プーチン氏との首脳会談を発表し、

「ウクライナとロシア双方にとってより良い形となる領土交換が行われるだろう」

と述べたが、詳細は明らかにしなかった。

 

 

「単なる見せかけ」 ウクライナ国民は冷笑的

 

 今月15日に米アラスカ州でトランプ大統領とロシアのプーチン大統領の首脳会談が行われる見通しとなったことについて、

ウクライナの首都キーウの市民が取材班に反応を語った。

 

キーウでCNNの取材に応じたアルテムさん(33)は米ロ首脳会談について、

「単なる見せかけ」とコメント。

トランプ氏を「口先だけの腰抜け」と評した。

「向こうで何か交渉している間にも、人が死んでいる。

もし合意できる、あるいは合意したいのであれば、すでにそうしているはずだ」

とも語った。

 

トランプ氏は8日、戦争終結に向けた交渉の一環として、

ロシアとウクライナの間で「一部領土の交換」が行われることもあり得ると示唆した。

 

ナタリヤさん(48)は、和平実現のためドネツク州をロシアに割譲する可能性に触れ、

「不公平で恐ろしい」話だと形容した。

「どれだけ多くの男の子や女の子が亡くなったことか。

不幸にして脱出する機会がなく、占領下で私たちのことを待っている人がどれだけいることか。

彼らは死の脅威にさらされながら、ウクライナのことを待っているというのに」

 

スビトラナさん(57)は、プーチン氏に攻撃を停止する意思はないとの考えを語り、

ウクライナの勝利への展望は厳しいとの見方を示した。

「私たちには国土を守る武器がない。

タウルス・ミサイルも長距離兵器もない状況で、ドローンでは領土を奪還できない。

人口の規模では明らかに比較にならない」

とスビトラナさん。

「プーチン(大統領)が死亡していなくなるのを待つことにする。

そうすれば状況が変わるかもしれない」

と言い添えた。

永遠に 長崎を最後の被爆地にとの誓い 「長崎平和宣言文」

2025年8月9日 22時01分

 

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 【長崎平和宣言文】

 1945年8月9日、このまちに原子爆弾が投下されました。

あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか。

「武力には武力を」の争いを今すぐやめてください。

対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています。

このままでは、核戦争に突き進んでしまう。

そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです。

 

1982年、国連本部で被爆者として初めて演説した故・山口仙二さんは、当時の惨状をこう語っています。

「私の周りには目の玉が飛び出したり 木ギレやガラスがつきささった人、

首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若いお母さん 

右にも左にも、石ころのように死体がころがっていました」

そして、演説の最後に、自らの傷をさらけ出しながら、世界に向けて力強く訴えました。

「私の顔や手をよく見てください。

世界の人々、そしてこれから生まれてくる子供たちに私たち被爆者のような核兵器による死と苦しみを

例え一人たりとも許してはならないのであります」

「ノー・モア・ヒロシマ 

ノー・モア・ナガサキ

ノー・モア・ウォー  

ノー・モア・ヒバクシャ」

この心の底からの叫びは、被爆者の思いの結晶そのものです。

 

証言の力で世界を動かしてきた、被爆者たちの揺るがぬ信念、そして、その行動が評価され、

昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。

日本被団協が結成されたのは、1956年。

心と体に深い傷を負い、差別や困窮にもがき苦しむ中、

「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」

という結成宣言をもって、長崎で立ち上がりました。

「人類は核兵器をなくすことができる」。

強い希望を胸に、声を上げ続けた被爆者の姿に、多くの市民が共感し、

やがて長崎に「地球市民」という言葉が根付きました。

この言葉には、人種や国境などの垣根を越えて、

地球という大きな一つのまちの住民として、ともに平和な未来を築いていこうという思いが込められています。

この「地球市民」の視点こそ、分断された世界をつなぎ直す原動力となるのではないでしょうか。

 

地球市民である、世界中の皆さん。

たとえ一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば、未来を切り拓く大きな力になります。

被爆者は、行動でそう示してきました。

はじめの一歩は、相手を知ることです。

対話や交流を重ね、互いに理解し、小さな信頼を重ねていく。

これは、私たち市民社会の大きな役割です。

 

私たちには、世界共通の言語ともいえるスポーツや芸術を通じて、

また、発達した通信手段を使って、地球規模で交流する機会が広がっています。

今、長崎で、世界約8500都市から成る平和首長会議の総会を開いています。

市民に最も身近な政府である自治体も絆を深め、連帯の輪を広げています。

地球市民として、共感と信頼を積み重ね、平和をつくる力に変えていきましょう。

 

地球市民の一員である、すべての国の指導者の皆さん。

今年は、「戦争の惨禍を繰り返さない」という決意のもと、

国連が創設されてから80年の節目でもあります。

今こそ、その礎である国連憲章の理念に立ち返り、多国間主義や法の支配を取り戻してください。

来年開催される核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は、人類の命運を左右する正念場を迎えます。

長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠です。

先延ばしは、もはや許されません。

 

唯一の戦争被爆国である日本政府に訴えます。

憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、

一日も早く核兵器禁止条約へ署名・批准してください。

そのためにも、北東アジア非核兵器地帯構想などを通じて、

核抑止に頼らない安全保障政策への転換に向け、リーダーシップを発揮してください。

平均年齢が86歳を超えた被爆者に、残された時間は多くありません。

被爆者の援護のさらなる充実と、未だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。

 

原子爆弾で亡くなられた方々とすべての戦争犠牲者に、心から哀悼の誠を捧げます。

被爆80年にあたり、長崎の使命として、

世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける決意です。

永遠に「長崎を最後の被爆地に」するために、

地球市民の皆さんと手を携え、

核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くしていくことをここに宣言します。

 

2025年(令和7年)8月9日

長崎市長 鈴木 史朗

緑肥クロタラリアの種を撒きました

2025年8月8日 21時29分

 

 昨日の激しい降雨のおかげで、耕した畑がかなり水分を含んでくれました!

これは種まきにちょうどいいコンディションになったと思い、昼前に畑に出ていきました。

マメ科のクロタラリアの種をばら撒きしてみます。

 

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手でパラパラと適当に撒いていきました。

その後、レーキで土を均すようにして種が土を被るようにしていきました。

最後に、種を撒いた面を足で丹念に踏んでいきました。

 

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日中は陽射しが強く土がかなり乾いたので、夕方に水撒きをしました。

幸いにも農業用水が来ている場所だったので、これを使わせてもらいました!

 

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さあ、うまく芽を出してくれるでしょうか?

【速報】石破総理「日米間に齟齬はない」 相互関税15%について

2025年8月7日 21時37分

 

 石破総理は7日午後7時すぎに報道陣の取材に応じ、

相互関税について

「既存の関税率が15%以上の品目には課されない。

15%未満の品目は既存の関税率を含め15%が課される」と述べ、

「この認識について日米間に齟齬はない」と説明しました。

 

ただ、7日に適用が開始された大統領令にはこうした記載がなく、

これまでの税率に一律で15%が上乗せされているとみられます。

 

これについて石破総理は、

現在訪米中の赤沢経済再生担当大臣がアメリカ側と関税に関する今回の合意内容を改めて確認したとし、

「大統領令を修正する措置を直ちに取るよう強く求めている」と述べました。

 

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<解説 牧原 出 東京大学先端科学技術研究センター教授>

 トランプ政権では、そのときのトランプ大統領の思いつきで政策が決まることもあり得るが、

政府内が全体として調整されておらず、個別の項目でミスがある場合もあり得る。

実際に軽減措置が執られていないのであれば、政府に強く是正するよう求めるのは当然だが、

政府としてはアメリカと適切に交渉するという手立ても必要だろう。

訪米した赤沢大臣に対してアメリカ側がどう対応するかをまずは注視すべきだろう。

このあたりは、石破政権であろうがなかろうが、こうした対応をとることになるだろう。

だが石破首相退陣論などの国内の混乱は、当座のアメリカに向けた交渉力を損なう効果を持つ。

政権に要求するものは要求しつつ、国内の結束をどう保つか。

自民党にはそれだけの底力が残っているかも注視したい。

広島平和記念式典 広島県知事湯﨑英彦氏あいさつ全文

2025年8月6日 10時53分

 

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 被爆80年目の8月6日を迎えるにあたり、

原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表し謹んで哀悼の誠を捧げます。

そして、今なお苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。

 

草木も生えぬと言われた75年からはや5年、

被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、

世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。

 

しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、

剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、

私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。

 

このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。

しかし本当にそうなのでしょうか。

確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。

一方で、歴史が証明するように、

ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。

なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、

万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。

 

自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。

あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。

我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、

人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、

身を以て示しています。

実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、

核兵器使用手続の意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、

破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。

 

国破れて山河あり。

かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。

国守りて山河なし。

もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、

人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。

概念としての国家は守るが、

国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。

 

抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、

ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。

そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、

抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。

核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、

その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。

 

核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。

被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、

暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、

実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。

 

「諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。

そこに向かって這っていけ」

(2017年 ノーベル平和賞授賞式でサーロー節子氏のスピーチより 広島県が翻訳)

 

這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、

我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、

人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

 

広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、

平和へのメッセージといたします。

 

令和7年8月6日  広島県知事  湯﨑英彦

被爆から80年 広島原爆の日

2025年8月6日 08時15分

 

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「死んだ男の残したものは」 (谷川 俊太郎 作詞、武満 徹 作曲)

 

 
  死んだ男の残したものは

  ひとりの妻とひとりの子ども

  他には何も残さなかった

  墓石ひとつ残さなかった

 

  死んだ女の残したものは

  しおれた花とひとりの子ども

  他には何も残さなかった

  着もの一枚残さなかった

 

  死んだ子どもの残したものは

  ねじれた脚と乾いた涙

  他には何も残さなかった 

  思い出ひとつ残さなかった

 

  死んだ兵士の残したものは

  こわれた銃とゆがんだ地球

  他には何も残せなかった

  平和ひとつ残せなかった

 

  死んだかれらの残したものは

  生きてるわたし生きてるあなた

  他には誰も残っていない

  他には誰も残っていない

 

  死んだ歴史の残したものは

  輝く今日とまた来るあした

  他には何も残っていない

  他には何も残っていない

 

https://www.youtube.com/watch?v=BbaNcZTWImU&list=PLHML0VwIe8veDR8M2ksoMxbTJFkLKqQ_t&index=9 

 

8月 6日  8時15分 広島原爆

8月 9日 11時 2分 長崎原爆

8月15日        終戦の日

足が熱い!外気が熱風! 群馬伊勢崎41.8℃ 観測史上最高値

2025年8月5日 23時15分

 

 群馬県伊勢崎市では今日5日、国内統計史上最高気温の41.8℃を観測した。

極めて厳しい暑さのためか、飲食店の客の入りは少なく、

市民などからは「足が熱い」「外気がドライヤーのよう」などの嘆きが聞かれた。

 

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<コメント欄の補足より引用 大隅智子 気象解説者/気象予報士/防災士>

 5日(火)は、関東地方で気温が上がる条件がそろいました。

まず、関東地方の上空1500m付近に25℃以上の熱い空気が流れ込んだこと、

さらに、上空6000m付近の太平洋高気圧と上空1万m付近のチベット高気圧のダブル高気圧に覆われたことで下降気流が強まったこと、

そして、西風が顕著だったため、山を吹き下りる暖かい風が入ったことで、

群馬県伊勢崎市や桐生市などで40℃以上となりました。

熱風を感じる危険な暑さです。

近年、40℃以上になることは珍しくなくなりました。

命にかかわる危険な暑さに、私たちは対応をしなければならない時代となっています。

緑肥クロタラリアを撒く準備

2025年8月4日 21時22分

 

 毎日この暑さなので、クワで土を耕す作業は日中にはちょっとやる気が起こりません・・・

早朝にやるのがいいんですが、最近4時には起きれないんです。(笑)

夏の朝4時ごろとか、すごく気持ちいいんですけどね!

夜に調べ物や音楽の深掘りなんかに集中しはじめちゃうと、どうしても寝るのが遅くなっちゃって・・・

そこで、夕方5時半ごろから畑に出かけて、せっせと耕していました。

緑肥クロタラリアをまく場所の土を、2日間かけてざっと耕し終わりました。

 

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この作業は、耕うん機を使えばほとんど手間無しなんでしょうけど。

水田の作業もひと段落してる農家さんにお願いすれば、耕してくれそうだし、耕うん機を借りることも出来そうなんです。

でも、大変な作業だからとすぐに周りの人にお願いしたり、大きな機械を使おうとしたりせずに、

まずは、出来るだけ自分の力でやってみることが大切なんじゃないかと思っているんです。

色んな作業について、コツとか大変さとか、身体で実感して覚えておくことは凄く重要だと思います!

 

明日は、この耕した面をレーキで均して、水をざーっとまいて土を湿らせます。

その上で、クロタラリアの種をばら撒きしてみようと思っています。

久しぶりの清里 途中に立ち寄った南牧南小学校の野菜直売所

2025年8月3日 21時24分

 

 昨日は、妻をフィールドバレエの会場に送るために清里を訪れました。

本当に久しぶりでしたが、途中の小海から野辺山高原あたりにかけて、青い空と深い緑の鮮やかさには改めて感動させられました!

今回は清里駅付近は回りませんでしたが、以前より活気が戻ってきているような噂を聞きました。

良かったですね!

 

さて、野辺山高原駅の近くに、日本一標高の高い(1332m)小学校があります。

南牧南小学校といいます。

この小学校の駐車場にある高原野菜無人販売所「南小店」では、

児童が小学校の畑で作った高原野菜を販売しています!

この無人販売所に、皆さん、ぜひ立ち寄ってみて欲しいんです!!

 

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人気のようで、早い時間に売り切れになっている野菜がほとんどのようでした!

頑張れーっ!!

応援してるよぉー!!

清里フィールドバレエ会場より

2025年8月2日 19時24分

 

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もうすぐ開演です。

終演は22時半の予定です。

それまでもつかなぁ?

(ゴメンなさい!)

グリーンカーテン ゴーヤ7株植えてみました

2025年8月1日 22時02分

 

 この暑さですから、グリーンカーテンは魅力的です!

それに、暑い夏に特別美味しく感じるゴーヤも収穫できそうです!

早速100均で2m×5mのネットを買い、種家では「あばしゴーヤ」の苗を買ってきました。

ネットはまだ仮止めで、もっとしっかり固定しないと弦や実の重さに耐えられないでしょう。

ゴーヤは60cm間隔で7株地植えしました。

 

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土が硬く、元気に育ってくれるかが心配です。

毎日水をやりながら様子を見てみます!

ちょっと遅いけどゴーヤのグリーンカーテンやってみたい!

2025年7月31日 21時34分

 

 長岡市「グリーンカーテンを作ろう」より

 グリーンカーテンとは、

ゴーヤやアサガオなどのつる性の植物を、建物の窓や壁に沿わせて茂らせたものです。

夏の強い陽射しを和らげ、室内の気温が上昇するのを防ぐ効果があるので、

夏季のエアコンの使用量が抑えられ、地球温暖化防止や節電に役立ちます。

また、緑の葉を通してくる柔らかな光に、癒されること間違いなしです!

みなさんも、家庭で、職場で、グリーンカーテンづくりをしませんか?

 

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カムチャツカ半島付近でM8.7の巨大地震 日本の津波警報は夜に解除される

2025年7月30日 22時58分

 

 30日午前8時25分ごろ、

ロシアのカムチャツカ半島付近を震源とするマグニチュード8.7の地震があり、

気象庁は太平洋側を中心に津波警報と津波注意報を発表した。

岩手県の久慈港で最大1.3メートルを観測するなど、

同日夜までに北海道から沖縄県にかけて22都道府県に津波が到達した。

 

【一覧】各地の第1波到達時刻とこれまでの最大波

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Amazonに初めての電話連絡

2025年7月29日 20時56分
工作・修理

 

 今日は、暑くならないうちに早めに家の草刈りをしようと、

コータ散歩が終わって汗ビショのまま、草刈り機で2時間ほど作業しました。

 

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暑さは午後よりはマシでしたが、まあ午前中も中々のもんでしたね!(笑)

この地の気温が、昼過ぎに39.9℃とか言ってましたから、これまでの最高気温です!

 

さて、自分が使っている工進の草刈り機ですが、草の状況にもよりますが30分ももちません。

なので、バッテリーを交換しながら作業を続けるしかないんです。

それだけでなく、本体のモーターの温度が上がり過ぎると、40分ほどで停止するような設計になっているんです。

本体を休ませている間は、人力で刈った草を集めたりすることもありますが、作業を連続したい場合は困るんですね。

そこで、同じ草刈り機をもう1台用意してあります。

バッテリーを1個おまけで付けてくれるセール期間を狙って買ったので、それほどの出費ではありません。

エンジン式の方がパワーも運転時間もはるかに勝るんですが、騒音が近所迷惑になっちゃうんです。

また、この工進の18Vバッテリーは、トリマー、チェーンソー、掃除機、ブロアーなど共通して使えるので助かっています。

この工進というメーカーの製品は、地味ながらしっかりした造りで、基本的性能が良く、信頼性も高いと実感しています。

これが、マキタ、ハイコーキ、京セラ(リョービ)というメーカー品になると値段がかなり上がってしまうんです。

 

さて、この工進の草刈り機で畑の草刈りをやると、バッテリー5個は使い切ってしまう作業量です。

バッテリー使い切って、家に戻って休憩する時にバッテリーを数個同時に充電したい訳です。

充電器のACアダプターは、一般的な一体型でスペースを取るので、

アダプター4個同時に給電するとなると、1個口コンセントを組み合わせて作らないといけません。

こんな感じです。

パーツを並べて撮ってみました。

 

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アダプターが3つしか写っていません・・・

で、左側の薄型コンセントがAmazonに発注したELPA社のものです。

この注文したコンセント5個のうちの1個が割れて届いたんです。

 

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これは交換してもらおうと、Webサイトで操作していましたが、ちょっと分かりにくいんです!

今日になって、やっとカスタマーサービスに電話が繋がりました!

とても丁寧に対応してくれました!

破損状況と梱包の状況を尋ねられました。

 

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この薄い梱包材じゃ輸送中に積んだりぶつけたりすれば中の物は守れないでしょう。

緩衝材も入ってなかったし、ダンボールほどの厚みもありませんでしたから。

電材の樹脂部分は、フェノール樹脂、ユリア樹脂といった硬くてもろい樹脂なので、落としたりちょっと力が加わったりすれば割れてしまいます。

そのことを意見として伝えて、梱包について改善をお願いしておきました。

結局、コンセント1個分の金額をギフトカードとして返金してくれることになりました。

この割れたコンセントは、返品不要とのこと。

こちらとしては手間がかかりませんでしたが、

せめて割れたコンセントと梱包材の写真くらいはAmazonさん側で確認した方がいいと思うんですが・・・

緑肥クロタラリアの種 近くに在庫なかったので通販で注文しました!

2025年7月28日 21時01分

 

 今日は納屋に置きっぱなしになっていた大量の細断枝をせっせと畑に運びました!

90リットルポリ袋5袋分片付きました。

堆肥枠に入れ、しばらく雨ざらししながら保管してみます。

相当時間がかかると思いますが、すぐには使う当てがないので、気長に発酵するのを待ちたいと思います。

 

さて、今日は緑肥について調べてみました。

 

 ・根が地中深く入り、硬い土壌を砕く

 ・空中窒素固定菌と共生し、土壌に窒素分を供給出来る

 ・種まき時期が7月~8月

 ・育ったら刈りこんでマルチング材として使える

 

この条件を満たしてくれるのが、マメ科のクロタラリア・スペクタビリスです。

近所のお店を回ってみましたが、在庫が無かったので、Amazonで注文しました。

 

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種をまいて、生育させて、種が出来る直前に刈り込みます。

生育した場所は土壌改良されますし、この刈り草は、生育した場所もしくは他の場所のマルチング材になります。

面白そうですね!!

刈り草の運搬と畑へのマルチング これでひと段落?

2025年7月27日 18時57分

 

 農家のMさんが刈った雑草が新たに生じたので、今日もこれを車で運びました。

すごく暑い中の作業ですが、雨に降られると雑草は重くなったり腐敗しちゃったりするんですね。

この作業も真夏の作業の一つです!

さて、畑にたっぷりとマルチング出来ました!

 

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ちょっと思いついたことがあります!

この土地の空きスペースに、緑肥植物を育ててみてはどうだろう?

ただ、緑肥植物を土にすき込む耕うん機とかはありませんから、マルチング材に出来る植物を探そうと考えています。

台湾 野党24議員リコール投票全て不成立

2025年7月27日 06時28分

 

 台湾立法院で多数派を占める対中融和的な最大野党・国民党の立法委員24人に対し、

リコールの賛否を問う、台湾史上最大の住民投票が各選挙区で26日行われた。

 

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即日開票され、中央選挙委員会によると、24人のリコールは全て成立しなかった。

 

8月23日には別の国民党立法委員7人を対象とするリコール投票も予定されている。

 

頼氏は打撃を受けつつも26日夜、フェイスブックで

「選挙結果を皆さんは尊重し受け入れるべきだ」と呼び掛けた。

 

リコール投票を巡っては今月、民間団体「台湾民意基金会」が全土で世論調査を実施。

「不賛成」が約48%を占め、「賛成」の約42%を上回っていた。

与党に過半数の議席を与えると「一党独裁になる」という国民党側の主張が有権者に浸透したとみられる。

 

 

<コメントより引用させていただきます>

台湾の友人に聞いた話(もちろん全国民が同じではない)。

 

親中派の人がいるってのは事実。

でも大多数の台湾人は中国政府は大嫌い。

その中で、徹底的に中国政府に対峙し主権は守りたいという層と、

あまり刺激して本当に戦争になったら困るという層に分かれると。

よって、一部の親中派と上記の後者が野党支持者になるわけだが、

本質的な部分は違うということになる。

「本当に戦争になったら困る」という層は、老若男女、若い人も含め一定層いて、

それはそれで理解はできるのだが、そこで台湾人同士争っても、という考えもあって悩ましいと。

アメリカもトランプさんに代わって、政策が大きく変わり、

仮にアメリカは助けてくれない、ということになると、

事態が動きそうで、そこはかとない不安感を感じている層が増えているのでは?

とのこと。

台湾で「中国に融和的な野党議員のリコール問う」住民投票

2025年7月26日 16時07分

 

 台湾では26日、

「中国に融和的」とされる最大野党、国民党の議員を対象にしたリコールを問う住民投票が行われています。

台湾の議会、立法院では、

議員にあたる立法委員の半数近い議席を持つ最大野党の国民党が、

別の野党と連携して防衛費を含む予算を削減するなど、

少数与党となっている頼清徳総統の民進党は厳しい政権運営を強いられています。

 

こうした中、台湾各地の市民団体が、

国民党は中国が台湾で影響力の拡大を図る「浸透工作」に加担しているとして、

国民党の議員24人に対するリコールを行い、

この賛否を問う住民投票が26日に行われています。

 

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対象となる議員のそれぞれの選挙区で、

リコールへの賛成票が反対票を上回り、かつ有権者数の4分の1以上になれば罷免が成立します。

 

民進党は現在、立法院で51議席にとどまっていますが、

多くの国民党議員が罷免され、その後の補欠選挙で新たに6議席を獲得すれば、

単独過半数を確保できます。

 

一方、国民党は「民進党や市民団体が社会の対立を引き起こしている」と非難しています。

 

台湾で大規模なリコールが行われるのは異例で、議会の構図が変わるかどうかが焦点です。

投票は、日本時間の26日午後5時に締め切られ、即日開票されます。

大勢は26日の夜にも判明する見通しです。

 

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26日午前、台北市内の投票所では、投票に訪れた有権者が長い列を作っていました。

投票を終えた20代の男性は

「立法院の議員たちは、対中国政策について異なる考え方をもっています。

台湾の人々がみずからの選択を行うと信じています」

と話していました。

また、70代の女性は

「私たちはみな台湾の平和を望み、次の世代がよい教育を受けられることを願っています」

と話していました。