2021年3月の記事一覧
ドラム缶焼却炉とりあえず完成
前回、ドラム缶のフタを切り取って外しましたが、その後の工作の続きです。
売り物のドラム缶焼却炉がどういう感じになっているのか、ホームセンターで参考に見ておきました。
特にドラム缶下の空気取り入れのための開口部を写真に撮らせてもらいました!
スケール持っていれば寸法を測っておいたんですが。
それから、ドラム缶用ロストルも1000円弱で買えました!(ホームセンターで取り寄せ)
ドラム缶下部の開口部の高さがロストルより高くならないようにドラム缶に並べて確認しておきました。
では、開口部のケガキ線を黒マジックペンで書いておきます。
この線に沿って切るには、金属切断用の薄いブレードをセットしたディスクグラインダーを使います。
まあまあキレイに切れました。
切り口はバリが出ているので、ブレードを研磨用に取り換えてバリを削り取っておきます。
このバリで手を切るケガをしたりするので、めんどくさがらずにバリ取りをやっておいた方がいいでしょう。
これで使えますね!
さあ、物置きの中の落ち葉を燃やしていきます。
どんな感じに燃えるでしょうか?
これは、しばらく燃やし続けてから撮った写真ですが、ちょっと火の勢いが強いんです。
そこで、下の開口部をブロックで塞いで空気の取入れ量を制限してみました。
あとで下部開口部に開閉できるフタを付けてみようかと思っています。
さて、枯葉は物置に大量にあるんです。
土曜日にこれの半分近くを燃やすことが出来ました。
残りの灰は驚くほど少量になります。
そして今日日曜日はずっと雨だったので、物置の中の枯葉がまだ付いている枝から枯葉を取る作業を黙々と続けました。
この枯葉の量なら、あと1日あれば全部燃やせると思います。
あとは枝を短く切っていく作業をやるんですが、これが結構時間かかるんです。
今週末の外の作業は土曜日だけ
今週末は土曜日が曇り、日曜日は雨という予報だったので、外の作業を続けました。
まず、給湯器への電源ケーブル(PF管に入れた)の防水処理の仕上げです。
先週、このPF管内のケーブルの圧着端子の接続部分をやり直しておいたんです。
このスリーブの圧着がどうも甘かったなぁと気になっていました。
圧着ペンチは、やはり専用の工具がイイです。
仕上がりが良くコンタクトもバッチリなんです!
やり直した部分が汚いのは2度かしめているからです。
まあ、これでいいでしょう。
この接合部を絶縁処理したあとPF管に収め、管の端をシリコンシーラントで防水処理して、出来るだけ空気に触れて硬化するようにテープを巻かずに1週間放置しておきました。
明日雨が降るので、その前にこの部分をビニールテープで巻いて仕上げます。
この部分はこれでOKでしょう。
次は、ドラム缶の焼却炉を完成させたんですが、これについては明日書きたいと思います。
保健室から!
まず花粉症ですが、スギ花粉はもう少しの辛抱のようですね。(この後はヒノキ花粉ですが・・・)
スマホの使い過ぎ等でのストレートネックに注意しようと聞いたことがあるんですが、自分はストレートネックについて勘違いしていました。
下のポスターの図が分かりやすいです!
そして、以前皆さんに注意を呼び掛けた「ヘッドフォンやイヤフォンによる難聴」についてです!
「宣言解除して仕切り直す」? 具体的には?
政府は、新型コロナウイルス対策として首都圏1都3県に発令中の緊急事態宣言について、期限の3月21日で解除することを検討中です。
実現すれば、宣言は約2か月半で全面解除にこぎつけることになります。
1都3県の感染状況を示す指標は、解除に向けた基準を満たしており、政府内では解除論が大勢を占めています。
ただ、新規感染者数の下げ止まりが感染再拡大への懸念材料となっています。
閣僚の一人は16日、「宣言の効果が薄れている。解除で一度、仕切り直さないといけない」と述べました。
政府はこれまで、予定通り21日で解除できるかどうかを慎重に見極めていました。
政府は宣言解除に合わせ、感染再拡大の防止策として
〈1〉ワクチン接種の推進
〈2〉変異したウイルス対策の強化
〈3〉監視のための検査拡充
〈4〉医療提供体制の充実
を打ち出す予定です。
「うっせぇわ!」 良かった!若者たち正常だと思った!
通勤途中の朝のラジオで、若者たちに爆発的に人気になっている歌があると紹介されていました。
そして、親はその歌を子供に歌わせたくないらしいとも言っていました。
早速その歌を聴いてみたんですが、強烈な歌詞!
だけど、ものすごく鋭い!!
そう!!
いい子にしていないで、おかしなこと、言いたいこと、もっとどんどん言わなくちゃ!
喜怒哀楽を豊かに持った人間なんだから!
直感力もある人間なんだから!
心があるんだったら、黙ってないで言わなくちゃ!
まだ未熟であっても訴えていいんじゃない?
今、色んなことがどんどん違う方向に進んでいってる気がするんです。
「人間の生き方は元来こうじゃない!」っていう方向に・・・
これ、とんでもない歌なんかでは全然ないと思う!
凄く真っ当な歌でしょ!!
正しさとは 愚かさとは
それが何か見せつけてやる
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく
でも 遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
それもそっか
最新の流行は当然の把握
経済の動向も通勤時チェック
純情な精神で入社しワーク
社会人じゃ当然のルールです
はぁ?うっせぇ うっせぇ うっせぇわ
あなたが思うより健康です
一切合切凡庸な
あなたじゃ分からないかもね
嗚呼よく似合う
その可もなく不可もないメロディー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
頭の出来が違うので問題はナシ
オリジナル動画ちょっと怖い? じゃあ、これ聴いてみて!
めちゃくちゃ面白くてめちゃくちゃ上手いんだけど、歌詞をしっかり聞いてね!
納屋に積んだままの枝と落ち葉の処理
今日の作業時間は半日しかありません。
納屋に置きっ放しの栗の木の枝と葉を何とか処理しないといけません。
枝にまだ付いている枯葉を取り除いて、枯葉は製作中のドラム缶焼却炉で燃やそうと思います。
ドラム缶に合うロストル(焼却炉下に置いて燃焼用空気の通り道を作る網)も何とか安価に手に入りそうですし、ドラム缶本体を切ることも出来そうです。
枯葉は発酵させてたい肥にするか迷ったんですが、このような発酵ではメタンガスが発生するんです。
メタンガスにも温室効果があり、何と二酸化炭素の25倍もあるんですね!
このデータだけでは結果的にどうなのかがはっきりしないんですが、今のところは枯葉は燃やして、出来た灰を肥料にすることにしました。
枝の方は薪ストーブの燃料にするのがいいだろうと考えています。
今作業している地域では、落ち葉も伐採した枝も各家庭単位で処理しているんですね。
写真に撮ると、これだけ?って感じですが、この枝と葉を全部処理するには丸3日でも終わらないと思っています。
この枝ですが、短く切るにはどうやれば効率的だと思いますか?
最初は全部ハンディー電動ノコギリで切ろうと思っていました。
今日作業してみてだいたい分かったんですが、まずは出来るだけ手で折る!
太くて手で折れない枝は、手引きのノコギリで切る。
これで4時間近く作業を続けました。
次回は、手折りと電動ノコギリでやってみようと思っています!
今日は1日中雨で作業できませんでした・・・
今日は1日中強い雨が続いていました。
予定していた作業は全部中止・・・
納屋の中の作業が出来なくはなかったんですが、工具の忘れ物もあったため、仕事は明日やることにしました。
そんな中、これだけまとまった雨が降っていたので、広範囲に雨漏りを点検し、雨どいの詰まりを取り除く掃除はしておきました!
特に雨どいの弱い部分は、大雨の時でないと分からないんですね。
例えば、雨どいがこんな状態なら、天気がいい時に早めに掃除しておきます。
大雨の時でないと分からないのは、こんな部分の詰まりです。
こういう箇所を、雨水の流れ具合を見ながら、といの内部を長めの針金等を通して掃除してやります。
今日も詰まりがあったんですが、針金で詰まりを取ったら栗のイガとかが沢山流れ出てきて気持ちいいほど流れが良くなりました!
それと同時に、雨どいの水平部分からの水の溢れも解消されました。
さて、明日は汗をかくくらい沢山動きたいと思っています!
怒鳴りつけたのが妻と娘との最後の時間 消えない後悔
今朝配信されていた文章です。読んで下さい。
<怒鳴りつけたのが妻と娘との最後の時間 10年間消えない後悔>
10年たっても消えない後悔がある。
宮城県石巻市の消防士(39)はあの日の朝、妻を怒鳴りつけ、仕事に出た。
アパート1階のベランダで顔を紅潮させた妻。
抱かれた1歳2カ月の娘も大声に驚き、泣きだしそうだった。
それが、2人との最後だった。
内勤2年目、年度末で忙しかった。
「男は働けばいい」
一昔前の気質で子育てや家事はほぼ任せっきり。
小さな衝突が重なり、夫婦関係はギクシャクしていた。
その夜も送別会で遅くなる予定だった。
アイロンがけが苦手な妻が仕事着のほかに宴席用の柄シャツも準備してくれていた。
「こんなしわだらけのシャツなんて、恥ずかしくて着れねえべ」
よく確かめもせず、いら立ちをぶつけた。
車の窓から見えた妻は何か言いたげだった。
その数日前、妻から相談を受けていた。
「地震が続くから、実家に戻るのはやめておいた方がいいかな」
「避難は支所でいいよね」
妻の実家は北上川河口に近く、指定避難所は鉄骨2階建ての市役所北上総合支所だった。
「それでいいよ」
素っ気なく答えた。
妻に暴言を吐いた日の午後2時46分、東日本大震災が起きた。
騒然とした消防本部庁舎で妻からのメールを受けた。
「支所に避難しました」
一安心したがしばらくは会えないと思い、「子連れで大変だろうけど、頑張って」と送った。
<いつ戻ってきてもいいように>
被害状況の把握や職員の安否確認に追われ、現場にも出た。
支所周辺の惨状は無線で知っていたが、誰もが不眠不休で活動する中、自分のことはしまい込んでいた。
メールへの返信がない・・・
「どうしたのかな・・・」
「生きていてほしい」
「もしかして・・・」
1週間後、上司に促されて支所に向かった。
津波は想定された最高水位の2倍を超える13.8メートルに達し、一部屋根も流され大破していた。
「やっぱり、駄目だったんだ・・・」
身を寄せた市民や職員57人のうち生き残った3人のほかは津波にのまれた。
義姉と2人の子どもは遺体で見つかったが、妻と娘、義母の行方は分からなかった。
福岡や大阪の消防士の仲間が長期の休みを取って、入れ代わり立ち代わり捜索に駆け付けてくれた。
半年間、ヘドロや土砂をさらった。
陸地は調べ尽くし、義兄と入り江にも行った。
急な岩場を伝っていた時、海に転落。
何とか引き上げられ、顔面や頭の骨折、脳内出血したが助かった。
本当は海で死にたかった。
床上浸水したアパートは妻と娘がいつ戻ってきてもいいようにきれいに元通りにした。
おもちゃ箱も洗って乾かし、テープで補強した。
1人で毎日泣いた。
心配した上司に「実家に帰れ」と強く言われ、震災から3年後、遺品を手にそのアパートを引き払った。
<あの日の朝に戻りたい>
あの時の青のストライプシャツは妻からの贈り物だった。
葬儀で袖を通し、気付いた。
しわ一つなく、きれいにアイロンがかけられていたことを。
苦手なことを一生懸命してくれたのに・・・
仲直りのサインだったのかもしれないのに・・・
なぜ、あんな皮肉を言い放ったのか。
「ありがとう」「ごめん」がなぜすぐに言えなかったのか。
実家に向かうことをためらっていた妻はあの日、愚痴をこぼしに行こうとしたのだと思う。
「ひどいことを・・・」
「俺はくそ野郎だ・・・」
あの日の朝に戻りたい!
月命日には必ず2人が眠る追波湾を望む支所跡地の慰霊碑を訪れている・・・
災害から多くを学びたい
東日本大震災からちょうど10年目となりましたが、特に大切な人を亡くされた方の気持ちは全く癒えていないことが分かります。
この2011年の大震災のあとも、2012年5月栃木茨城の竜巻、2014年8月広島の豪雨、2014年9月木曽御嶽山の噴火、2016年4月熊本地震、2017年7月九州北部豪雨、そして2019年10月台風19号による東日本の豪雨。
私たちは休みなく大きな災害に見舞われていることを改めて思い知らされます。
特にこれからは、温暖化による豪雨、竜巻、台風といった災害は多発するだろうと言われています。
今後の災害に備えて、自分自身はもちろん、身の周りの人たちも守れるようになりたいと思っています。
故郷が消えてしまうということ
明日3月11日で東日本大震災から10年になります。
あの大災害で故郷を景観と共に失ってしまわれた方々の心痛は、とても言葉では言い表せないものだと思っています。
自分のことになってしまうんですが、ちょっと書かせて下さい。
自分は、父の仕事の関係で北海道夕張市鹿島町に住んでいたことがあるんです。
小学校2年生の時にはそこから北九州に引っ越してしまい、それから長い年月が流れました。
そして、今から10年ほど前のある時、ふと、このふるさとがどうなっているのか調べたくなったんです。
もう50年以上前のことを。
ネット検索してみると、すぐにたくさんの情報が見つかりました。
なんと、その時の夕張市鹿島町の人口はゼロ!
そして、ここ数年のうちにダム湖に沈み地図から消える運命だと!!
そんな ・・・!
なぜ? どうして?
自分が通った鹿島小学校は多い時にはひと学年10クラス、町の人口は2万以上あったというのに・・・
この夕張シューパロダムは2017年に完成し、ついに夕張市鹿島町はダム湖の中に沈んでいってしまいました・・・
学校も、公園も、商店街も、鉄道や駅舎も、道路も、郵便局も、病院も、役場も、そしてたくさんの家々も。
夕張市鹿島町は最盛期には人口2万人を超え、夕張岳の麓の自然にあふれる町でした。
しかし、平成9年の人口はおよそ300人までに減り、1998年以降すべての人は立ち退いていってしまいました。
ダムの建設のために移住を余儀なくされたからです。
そして、とうとう地図の上から夕張市鹿島町は消えてしまったのです。
最後は湖の中に沈んでいきました・・・
自分は、ここ鹿島富士見町に小学校2年生の6月まで住んでいました。
この地にたった1年6か月間しか住んでいなかったのに、その地でのたくさんの思い出は決して色あせることがないんです!
このふるさとのことを思い出して検索したのは、今から18年ほど前でした。
毎晩毎晩、寝る時間も削ってフラフラになりながら自分が住んでいた町のことを検索し続けていたんです。
当時の鹿島富士見町の住宅地図がネット上に見つかり、ついにかつての自分の家も発見できました!
そして、ダム湖に沈む前のふるさとに何度出かけようと思ったことか。
すでに住宅は全部解体されていて雑草と荒れた更地が残っているだけだったのに、誰もいないその場所に逢いに行こうとしていたのです。
その時湧き上がってきた感情は、自分でも全く予期しないとても強いものだったことに驚かされました。
たった1年半しか暮らしていなかったのに。
大切なものが失われる時の悲しみがどれだけ強いものなのか・・・
その地で生まれて、先祖代々何十年も過ごしてきた方々がふるさとを失う悲しみは、自分の体験とは比べ物にならないほど大きいものだろうと思ってしまうんです。
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