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故郷が消えてしまうということ

 明日3月11日で東日本大震災から10年になります。

あの大災害で故郷を景観と共に失ってしまわれた方々の心痛は、とても言葉では言い表せないものだと思っています。

 

 自分のことになってしまうんですが、ちょっと書かせて下さい。

自分は、父の仕事の関係で北海道夕張市鹿島町に住んでいたことがあるんです。

小学校2年生の時にはそこから北九州に引っ越してしまい、それから長い年月が流れました。

そして、今から10年ほど前のある時、ふと、このふるさとがどうなっているのか調べたくなったんです。

もう50年以上前のことを。

ネット検索してみると、すぐにたくさんの情報が見つかりました。

なんと、その時の夕張市鹿島町の人口はゼロ!

そして、ここ数年のうちにダム湖に沈み地図から消える運命だと!!

そんな ・・・!

なぜ? どうして? 

自分が通った鹿島小学校は多い時にはひと学年10クラス、町の人口は2万以上あったというのに・・・

 

 この夕張シューパロダムは2017年に完成し、ついに夕張市鹿島町はダム湖の中に沈んでいってしまいました・・・

学校も、公園も、商店街も、鉄道や駅舎も、道路も、郵便局も、病院も、役場も、そしてたくさんの家々も。

 

 夕張市鹿島町は最盛期には人口2万人を超え、夕張岳の麓の自然にあふれる町でした。

しかし、平成9年の人口はおよそ300人までに減り、1998年以降すべての人は立ち退いていってしまいました。

ダムの建設のために移住を余儀なくされたからです。

そして、とうとう地図の上から夕張市鹿島町は消えてしまったのです。

最後は湖の中に沈んでいきました・・・

 自分は、ここ鹿島富士見町に小学校2年生の6月まで住んでいました。

この地にたった1年6か月間しか住んでいなかったのに、その地でのたくさんの思い出は決して色あせることがないんです!

 

 このふるさとのことを思い出して検索したのは、今から18年ほど前でした。

毎晩毎晩、寝る時間も削ってフラフラになりながら自分が住んでいた町のことを検索し続けていたんです。

当時の鹿島富士見町の住宅地図がネット上に見つかり、ついにかつての自分の家も発見できました!

そして、ダム湖に沈む前のふるさとに何度出かけようと思ったことか。

すでに住宅は全部解体されていて雑草と荒れた更地が残っているだけだったのに、誰もいないその場所に逢いに行こうとしていたのです。

その時湧き上がってきた感情は、自分でも全く予期しないとても強いものだったことに驚かされました。

たった1年半しか暮らしていなかったのに。

大切なものが失われる時の悲しみがどれだけ強いものなのか・・・

 その地で生まれて、先祖代々何十年も過ごしてきた方々がふるさとを失う悲しみは、自分の体験とは比べ物にならないほど大きいものだろうと思ってしまうんです。