日ごろのこと、何でも!

何でも雑記

WBCイタリア戦!

 サムライジャパン選手たちの気迫が凄かった!!

応援してる方、ずっとドキドキ・・・

こんなに心臓に悪いとは!

ましてや、監督や選手たちは・・・

アスリートたちの心身ともに過酷な状況を、今更のように実感しました!

5回裏で7ー2になってから、ようやく落ち着いて観戦できるようになったんです。

 

カタクリの花を意識して眺めたのは初めて

 自分にとってカタクリの花は、

奥多摩の御前山、奥武蔵の武川岳で見られる春の花と教わっていました。

あとは、栃木県佐野市の三毳山(みかもやま)の群生が有名なようですね。

カタクリと聞けば、自分はすぐに片栗粉を想像していました。

実際、元々の片栗粉はカタクリの地下茎から作られていたのですが、

現在はジャガイモのデンプンで作られていて名前だけが残っているそうです。

 

さて、この前中之条ガーデンズで見たカタクリの花は、とてもキレイでした!

 

 

今度は、山中でもう一度見てみたいと思っています!

形がちょっと良くないだけ!

 代休の日に、渋川市小野子の道の駅に寄りました。

ここには、田舎のこじんまりした直売所があるんですが、野菜や果物がすごく新鮮で安い!

それだけじゃなくて、B級超お買い得品とかを時々出してくれるんですね!

お買い得の定義は人それぞれかもしれませんが、

「すごく美味しいんだけど形が良くない」なんて、期待できそうでしょ?

昨日は、色や形がちょっと良くないイチゴ「やよいひめ」が1パック280円で売ってました。

こういうのを買って、店の外の水道を借りて洗ってすぐ食べてみるのが楽しみなんですね!

 

ビックリでした!!

香りも風味もとても良く、甘みも強く、もちろん鮮度も良く、傷んでもいないんです。

鮮烈な美味しさ!!

速攻で1パック平らげて、もう一度買いに行きました!

今度は4パック入り1箱をかかえてレジへ。

「ものすごく美味しかったですよ!」

と言ったら、

「値段もオイシイしねっ!」

とおばさん言うので、

「そうそう!」

と相槌を打ちました。(笑)

そして、

「形がちょっと良くないだけなんですよ!」

と返したら、おばさん真顔で

「ホント、そうなんだよ」

 って。

 

今日一番書きたかったのは、このやよいひめの鮮烈な美味しさなんですが、

もう一つは、

「本質に気付くようにしたい」

「意識して本質を見るようにしたい」

ということも。

物だけじゃなく、色んな価値感、考え方なども。

人だってそうです。

表層的に捉えたり評価したりしないようにしたいんです。

どうしてこんなに減りが違う?

 今日、花粉症でグショグショになりながら、2台の車のタイヤを夏タイヤに戻す作業をやりました。

カミさんの日産マーチに装着していた14インチのスタッドレスタイヤですが、

トレッドの減りがどうしてこんなにも違うのか・・・

この2本はどちらも右側で、1シーズンごとにローテーションして使っていました。

2本とも写真上側が車の外側になっていました。

 

夏季の保管は、日光を当てないように注意していたんですが、

屋内保管とかにしていれば結果は違ったかもしれません。

引き渡した園児9人が津波に 保育園長の後悔

 東日本大震災当日、

保育園や幼稚園が保護者に引き渡した園児が、

その後の避難中、津波にのまれて亡くなった例が相次ぎました。

岩手県大槌町の認可保育園「大槌保育園」もそうでした。

八木沢弓美子園長は、8年を経て初めて朝日新聞の取材に応じ、

胸に秘めていた後悔と問いかけを口にしました。

 

>震災前から、熱心に避難訓練をしていたと聞きます。

 定期訓練とは別に、事前に職員にも知らせない抜き打ち訓練もしていました。

一度はお昼寝中にいきなり始めました。

 

 町が一次避難場所として指定していた空き地は雨風もしのげず、

子どもの足で歩いて15分はかかった。

自治会と相談して、高台のコンビニを独自に津波避難場所と決め、

5分で走って逃げる訓練を繰り返していました。

 

>震災当日は、そのコンビニにも津波が?

 当日は揺れを感じてすぐ、

「地震です。先生のそばに集まって下さい。大丈夫、こわくないからね」

と園内放送し、

揺れが収まったらすぐ職員が園児に防災ずきんと上着を着せました。

園庭に整列させ点呼をとる決まりになっていましたが、そんな時間はないと判断。

職員20人で、110人ほどの子どもを準備できたクラスからすぐ避難させました。

 コンビニの駐車場にいると次々に保護者が迎えに来ました。

約70人の子を引き渡した時点で、ふと水門の方を見ると、決壊し、電信柱がなぎ倒されていて津波と気づきました。

 残った40人ほどの子どもと国道を駆け上がり、国道沿いの山の急斜面を四つんばいになって必死に登り、何とか助かりました。

 暗くなってきたころ火災が起こり、また内陸側へ避難しました。

子どもたちは誰1人泣かず、しーんとして、街が津波にのみこまれ、火に巻かれる様子をじっと見ていました。

歩いて迎えに来た保護者に全員を引き渡し終えたのは2日後のことです。

 

>一方で、当日、コンビニで引き渡した園児のうち9人が犠牲となりました。

 多くが保護者とともに亡くなりました。

最後に引き渡した子は、遺体安置所で小さな右手を見たとき、すぐわかりました。

保育士を辞めなければならないと思った。

 今でも、

その子が「こわい」と言って私の左足にしがみついていたあの日の感触がよみがえることがあります。

ご遺族の気持ちを思えば、自分がした判断は許されないものです。

 

>ほかの子どもたちに変化はありましたか。

 震災から半年後、親子遠足を計画した時、

「行かない」という子がいて、子どもたちみんなで話し合うことになりました。

その中で、初めて亡くなったお友達の名前が出ました。

 ある年中の女の子が、「なんで津波が来たんだろう」と語り始め、

「園長先生がさ、(犠牲になったTちゃんたちに)『おうちへ帰らないで!』って言えばよかったじゃん!」と言いました。

初めてぶつけてきた本心でした。

「Tちゃんに会いたい」と言って、私も含めたみんなで号泣しました・・・

 

震災後に園で決めた災害時への備えは?

 いつでも避難できるように昼寝時のパジャマへの着替えをなくし、

入園式の時には、保護者の方たちに「引き渡しはしません」と明確に言って了解を得ています。

何度も職員どうしで話し合って決めたことです。

 

 津波などの災害時、安全な場所や避難経路は刻々と変わります。

現場にいる私たちが、そのつど判断をし、行動をとらないと、子どもの命を守ることはできません。

迎えに来る保護者が、途中で被災するリスクもあるうえ、

前線で誰かを助けなければならない仕事の保護者もいるでしょう。

保育園や幼稚園に子どもがいる間は、

そこにいる大人は100%子どもを守るというスタンスに立たないといけない。

 

もちろん、津波などの水害と他の災害は違いますし、保護者の理解も必要です。

全国全ての園で引き渡さないことが100%よいとは思っていませんが、

うちの園では引き渡さないことが「ベスト」だと思っています。

(犠牲になった)9人のことを思い返しながら、職員どうしで何度も話し合って決めました。

 

子どもの命を預かる施設で、どう対応するかを本気で議論するのは完全に大人の仕事で、大人の責任です。

私は、自分の判断の責任を一生背負っていかなければならないと思っています。

 

希望

 穏やかな春らしい今日3月11日に生徒たちは卒業していきました!!

本当に様々な行動が3年以上も新型コロナ感染症に束縛されてきました。

まだ終息し切ってはいないものの、

ついに、出口らしきものが見えてきたような気がしています!

今年の卒業生は「希望」を強く感じれるのではないかと、自分は嬉しい気持ちでいるのです!!

 

 昨日、スケートの羽生結弦プロが「希望」をテーマにアイスショーを披露しました。

羽生さんは仙台市のリンクで練習中に被災し、

それからちょうど12年後の今日3月11日に合わせて、

多くの人たちに「希望」を届けてくれたのです!

 

笑顔で爽やかに去って行った NHK堀菜保子アナウンサー

 この明るく元気で晴れた表情がパワーを与えてくれていました!

 

 

ミス東大すごいとか、いや美人じゃないよとか・・・

そんなこと本当にどうでもいいことだとつくづく思います。

もっと大切な視点で人を見て下さい。

 

才女はもっと活躍できる世界を求めたのでしょうね。

笑顔を残して爽やかに去って行きました・・・

どこに居ても、いつまでも元気で、その明るく晴れた女性のままでいて欲しい!!

ラブロフ外相「ウクライナ戦争はロシアを狙って始まった」・・・国際会議で失笑を買う

 ロシアのラブロフ外相は3日、

インド外務省と同国のシンクタンクが共同で主催した政治安全保障フォーラムに出席し、

ロシアによるウクライナ侵攻について

 

「ロシアが止めようとしている

ウクライナ国民を利用しロシアを狙ってはじまった戦争・・・」

と発言した。(!!!)

 

 すると会場は

ラブロフ外相がこの発言を終える前から失笑に包まれた。  

ラブロフ外相はとまどった様子を示しながら

「ウクライナ戦争は

エネルギー政策を含むロシアのさまざまな政策に影響を及ぼした」

とも述べた。

灯油キャップのパッキン裏返し 効いた?

 灯油ポリタンクのキャップですが、

キャップの中のパッキンは、潰れたり弾力性が無くなったりと徐々に劣化していきます。

こうなってしまったパッキンを取り替える前に、最後の延命処置があります。

以前書きましたが、

「パッキンを取り出して、裏返しにして入れ直す」

という方法です。

で、自宅の灯油ポリタンキャップのパッキンを裏返しにしてみました。

もちろん、パッキンがへたっているものだけです。

昨日、いつものようにポリタンに20リットル目いっぱい灯油を入れて車で運びました。

灯油の漏れは全くありませんでした!

 

パッキン裏返しが効いたようですね!

このあと灯油が漏れ出すようになったら、その時はパッキンを新品に交換しようと思います。

短歌「東日本大震災を詠む」

 昨日の車中で聞いていた放送「文芸選評」

 

この日のテーマは、短歌「東日本大震災を詠む」でした。

胸に刺さる強烈なものばかりでした・・・

「先生」が題材にもなっていました。

正確に覚えていないんですが

二首、ここに紹介させていただきます。

 

 

おかあさんを 

海にさらわれて 

泣いていたのは

みさきせんせいでした

 

問うてみる

あの時

山に逃げろ と言えたのか

三方一両損

 今日も車で遠方におつかいに行ったんですが、車中でずっとNHK第1放送を聞いていました。

昼過ぎに真打ち競演の落語になりました。

初めて聞く「三方一両損」という題目でした。

「ナンセンスでくだらない」とか言わずに、

リラックスして情景を思い浮かべながら聞いてみて下さい!

 

やり取りの口調は乱暴なのに、血が通ってる!

(どうです? 口調はていねいだけど、心がないことが多い現代と正反対でしょう?)

かっこつけて見栄っ張りだけど心がある。

金太郎の正義の心にも打たれる。

出てくる人たち皆温かい。

役人なんて杓子定規で、人の心なんて理解もせず考慮もしないんだろう、と思いきや、

大岡越前は、

「あっぱれな二人のあずまおとこに感じ入った!」と言い、

「三方一両損」を提案して、この二人の喧嘩を解決するのです!

 

 

 左官の金太郎は、三両の金が入った財布を拾い、一緒にあった書付を見て持ち主に届けに行く。

財布の持ち主、大工の吉五郎はもはや諦めていたものだから金は受け取らないと言い張る。

しかし、金太郎も、何としても吉五郎に返すと言って聞かない。

この二人の江戸っ子が互いに大金を押し付け合うという奇妙な争いは、

ついに奉行所に持ち込まれ、名高い大岡越前が裁くことになる・・・

 

このあとは、名人の噺をぜひ聞いて下さい!

自分の大好きな古今亭志ん生の音源は見つかりませんでした。

息子の志ん朝も悪くないと思うんですが、今日見つけた春風亭一朝の小気味よい名人芸をぜひ!

 https://youtu.be/ElHLgDMSYz4?t=17

埼玉県運転免許センター 行き帰りの時間

 埼玉県西部から運転免許センターに行くのは、かなり大変で時間もかかります。

電車でもそうですが、車だとなおさらです。

そして、免許センターからの帰りが夕方になってしまうと、

ものすごく混んだ道をグッタリしながら帰ることになってしまいます!

 

また、混む時間帯のカーナビは、狭くて危ない道を案内されることがあります!

免許センターに行くのは、出来れば午前中がいいと思います。

予想通り日曜日は激混みだそうですので、避けた方が良さそうです。

そして土曜日は休みです。

時間に余裕を持って、気を付けて行ってきて下さい!

しばらく留守にする時の屋外給湯器への対処は?(3)

 この写真は、給湯器内部の給水管を何とか形だけ復旧させたあとのものです。

しかし、接続部分が凍結によって損傷しています。

当初、その損傷に気付かなかったので、

使用再開時に給水栓を開けた直後、この部分から勢いよく漏水し、

点火系エラー「720」が出て、給湯器は動作不能になってしまいました。

 

 

もう深夜でしたが、その時、自分で出来ることがあれば何とか対処したいと色々考え続けました。

で、やってみたことは、

・給湯器内部配線の接続部分チェック

・通電ラインのオンオフ、リセットボタンのオンオフ

・給湯器内部にヘアドライヤ-で温風を10分ほど送り続けた

点火系センサーが水をかぶっているかもしれないと考え、

給湯器内部をヘアドライヤーでしばらく乾かしてみたんです。

10分くらい高温の強風でやってみましたが、「720エラー」は直りませんでした•••

今回は自分で何とかするのは無理だと思い、力が抜けて座り込んでしまいました。

 

しばらくして、やっと、中古機の相場や修理情報などweb検索する気になり、

「そうだ! サービスセンターに電話だけでもしてみよう」と思い立ちました。

遅い時間でしたが、幸運にも担当者に電話が繋がり、やりとりが出来たんですね!

そのやりとりですが、非常に丁寧で、状況の詳細まで聞き取ってくれたのです。

冬季の凍結事故が多いと思われる時期ではありましたが、

この丁寧な対応にはとても驚き、本当にありがたい心持ちになりました。

そして、次の日の朝に技術系の方と相談する約束をして、電話を切りました。

 

この電話のやりとりで気分が前向きになり、

自分で出来ることは残っていないか、もう一度考えてみることにしました!

この「720エラー」は、点火炎誤認識ということなので、

噴き出した水が炎検知センサーか配線系を濡らしたことが原因だと思われます。

なので、

「給湯器内部を充分に乾燥させてみよう」と、

今度は石油ファンヒーターの温風を送ることを考えつきました!

ヘアドライヤーよりはよほど強力ですし、時間をかけて温風を当てることが出来ます。

寒くて真っ暗な中、石油ファンヒーターを外に持ち出し、延長コードでAC電源を引いてきました。

で、ファンヒーターはすぐには動かせなかったんですが、

これはファンヒーターが水平面に置かれていなかったのが原因でした。

何とか水平面を作って、ヒーターの温風を送り出すことに成功しました!

 

この深夜の悪戦苦闘の結果ですが、次回に書きたいと思います。

嬉しからぬ切符・・・

 先月、カミさんが仙台の娘宅に行くための予約キップを受け取りに行こうと、

急いで車で帰る途中に事件は起こってしまったのでした!

恥ずかしい内容なので、古文調で・・・

(web上で変換してもらいました)

 

 先月、妻の分の契り切符を取りに行かむと、とみに帰宅する半ばなりき。

辻にさしかかると、運良く(?)、こなたの道に平行なる横断歩道の信号青なりき!

「やりき!」とその辻を、サッとわたりしかな。

あれ? 鏡に赤色点滅光の写れる・・・

後方より「前の車、止まりたまへ!」

「あ〜あ・・・」

「一時止むべき箇所と知れりや?」

「今、切符を切れば、少し待ちたまへ」

かくて、青色の切符をもらひゆきし・・・!

けふ、妻にその切符代を支払はせき。

あ、もとより、切符代はおのれの小遣ひぞ!

 

中之条ガーデンズ

 群馬中之条に大きなフラワーガーデンがあります。

旧称は「花の駅美野原」です。

以前は無料で園内が散策が出来たんですが、リニューアルオープンされて入場料が必要になりました。

が、入場料に見合うくらい園内は整備されたと感じています。

現状では、バラの時期がひときわ見事です!

さて、冬はどうでしょう?

先日行ってみたんですが、この時期の花木は全くありませんでした・・・

その代わりというか、入場料は格安の300円。

しかも、その300円分の利用券がサービスでもらえる(!)んです。

 

花が無い時期だけのサービスだとは思うんですが。

そして、この、お客さんがほぼいない時期に、

客席に座ってボーっとしてるのもいいよね!

ってことに気付いてしまいました。(笑)

 

特にバラの時期は素晴らしい!

そして、閑散期の静寂感もまたいい。

ということで、ぜひ足を運んでみて下さい!

 https://nakanojo-g.jp/

 

PS.自分が今すごく気になっているのは、中之条山の上庭園なんです。

 冬季休業中なので、春になったら必ず行ってみようと思っています!

 https://yamanoueteien.nakanojo-g.jp/

スタインウェイ社のアップライトピアノ!

 JR両毛線とわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線は桐生駅で接続しています。

この駅のJR側にもストリートピアノが置いてありました。

ステーションピアノ「キリピア」って名乗ってましたよ。

 

このピアノですが、

自分が見た時は、何とスタインウェイ社製のアップライトだったんです!

 

聴いてみたかったんですが・・・

 

やってみたい 杉無垢単板を根太張り

 飯能のスーパービバホームに、杉無垢板のフローリング材が特価販売されてました!

 

触ってみた感じもいいんです!

6畳間なら、3坪分あれば張れるので、2万円ほどですね!

激安とまではいかないけど、手を出せる範囲です。

 

でも、この板材は、合板を下地板にした捨て張り用だと思います。

さすがに、12ミリ厚の単板で根太張りというのは、普通は無理だと言われそうです。

それを、失敗覚悟でやってみたいんですね!

とっても美味しい自然派ベーカリー発見!!

 混んでいた梅林を敬遠しながら、付近を散策していました。

偶然発見!

 

周りの景色はこんな感じです。

杉も多いけど、梅がいっぱい。

越生の梅林のすぐそばです!

 

肝心のベーカリーの中と、美味しいパンは写せませんでした•••

お店の中は遠慮したんですが、

パンは写真撮っとけば良かったなあー

美味しくて、どんどん食べちゃったんですね!苦笑い

ロシアのウクライナ侵攻 明日24日で1年

 我々にとってのコストはお金だが、

ウクライナの人々は

日々人命でコストを支払っていることを忘れてはならない。

 

我々は支援の負担に関する文句をすぐに止めて、

支援を強化すべきだ。

NATO ストルテンベルグ事務総長

 

トルコ、シリア大地震から2週間

 トルコ南部のシリア国境付近で大地震が発生してから、20日で2週間になり、

トルコでは、特に被害が大きかった一部の地域を除き捜索活動が終了しました。

一方、現地では、多くの人たちが住む家を失い避難生活を続けていて、

厳しい寒さの中、被災者の住まいの確保が急務となっています。

 
これまでに死亡が確認されたのは、

トルコで4万1020人

シリアで5814人、

合わせて4万6千人を超えています。

トルコ政府によると、

倒壊した建物と、倒壊のおそれがあり取り壊す必要がある建物は、

少なくとも11万8千棟に上っていて、

100万人以上がテントなどでの避難生活を続けています。

高齢の両親を含め、家族5人で入居することになった女性は

「テントは寒く、暖をとるために使っていたストーブもとても危険でした。

ここに入れて、とても感謝しています」と話していました。

トルコの防災当局によりますと、

被災地では100万人以上がテントなどで避難生活を続けているということで、

すべての被災者が入居するには、まだ時間がかかる見通しです。

 

 

一方、内戦が続くシリアの北西部は、

アサド政権と対立する反政府勢力の支配下にあり、

地震の前は人道支援のルートが1か所に限定されていましたが、

国連がアサド大統領との交渉の結果、

支援ルートを3か月の間、3か所に増やすことで合意しました。

国連の担当者は20日、

「今週5日間で3か所の支援ルートからトラック200台で支援物資を運ぶ予定だ」と明らかにしました。

ただ、「すでにシリア北西部に運び込んだ支援物資はすぐに使い果たされた」と述べ、

支援の拡大を急ぐ考えを強調しました。

シリア北西部で被災者の救助にあたっているボランティア団体「ホワイト・ヘルメット」は、

「この数日間受け取った国連の人道支援物資は全く十分ではない。

いまだに多くの人が食料や医薬品、テント、それに暖をとるための燃料の不足に苦しんでいる」

と指摘しました。

そのうえで「必要な30%程度の物資しか受け取れていないといえる」と述べ、

まだ十分に物資が行き届いていないとしてさらなる支援を呼びかけています。


多くの地域で捜索活動が終了する一方、

行方不明者の家族たちは、今も生存を信じ、がれきの撤去がすすむ現場で待ち続けています。

この母親は

「地震のニュースを知ってここに駆けつけてからずっとこの場所にいます。

娘を助けてほしいんです。

ほかにも行方不明になっている人がたくさんいます。

私は娘が生きていると信じています」

と声を振り絞っていました。

 

 

避難生活の長期化で、被災者の健康をどう守っていくのかが課題になっています。

医師によりますと、

地震発生直後は建物の倒壊などによるけがの治療が多かったものの、

テントでの避難生活が長期化する中、発熱やせきなどの症状のほか、

地震発生から一度もシャワーを浴びられず着替えもないといった衛生環境の悪化から、

皮膚の病気になる人が増えているということです。

子ども3人を連れて診療所を訪れた母親は

「テントの中はとても寒く、子どもたちが全員体調を崩した。

手を洗うことも難しく、非常に厳しい環境だ」

と話していました。

避難生活を続ける49歳の男性は

「食料や毛布などがもっと必要です」

などと話していました。

また、48歳の女性は

「多くのものが必要ですが、自分たちだけでなく、支援物資が必要なすべての人に行き渡るように、

必要なものだけをもらうようにしています」

と話していました。

 

家族を失った人たちは、

深い悲しみと今後の生活への不安という二重の苦しみに直面しています。

メフメドさんが外国で働いて建てた自宅は全壊し、

今は近くの空き地に設置された1つのテントに家族7人で暮らしています。

朝晩は氷点下近くまで冷え込みますが、

人数分のマットはないうえ、トイレやシャワー、それに手を洗う場所さえありません。

メフメドさんが特に心配しているのが60歳の母のファトマさんです。

ファトマさんは夫と息子1人を一度に失ったショックから立ち直ることができず、

1人で歩くこともできないほど憔悴しきっていますが、

精神的なケアなどの支援は全くない状態だといいます。

メフメドさん自身も、

ともに一家の生計を立てていた父と弟の収入が断たれ、

小さい子どももいる中で不自由なテント暮らしがいつまで続くのか、

今後の生活に大きな不安を抱えています。

それでも家族と過ごしたこの土地から離れたくないという母の思いを受け止め、

仮設テントに残ることにしたといいます。

母親のファトマさんは

「私の人生は終わってしまいました。

夫と息子を失いまるで悪夢のようです。

今も朝が来るたびに本当は2人が生きているのではないかと考えてしまいます」

と涙を流しながら話していました。

 

メフメドさんは

「私はすべてを失いました。

最愛の家族と、一生懸命外国で働いて建てたわが家も失いました。

もう涙も出ません。

これからどうすればいいかもわかりません」

と話していました。