日ごろのこと、何でも!

何でも雑記

ゲームがもたらす害は、とても深刻だと自分は感じています!

ちょっと過激な言い方を許してもらえるなら、自分は声を大にして言いたい!

ゲームは、この世の中に不必要なものです!!

不必要どころか、百害あって一利なしと言い切ってしまいたい!!

あれほどゲームに依存してしまうのだから、自分からやめればいいのに、いつまでもやめられないでいる。

ゲームの中のバーチャルな体験は、本物の体験さえ色褪せさせてしまう。

こんな体験なんて、むしろ、しちゃいけないですよね?

これらの状況って、麻薬などと同じなんじゃないですか?

 

実は、自分もゲーム依存症にかかったことがあるんです。

大学時代でした。

熱中してしまう性格だったので、依存症の程度は重かったですね・・・

でも、ここでハマり込んだことが良かったと思っています。

気づいたんですね。

これは、ゲームから一切足を洗わないと、絶対にダメだと。

 

この中学生は、うすうすゲームの害があると分かっているけど、現状は簡単にゲームから抜けられないようですね。

何とかゲームをさせないような環境づくりを期待しているようです。

まっとうな感覚がまだ残っていると思います。

我々が早く気づいて、このイラストを描いたSONOさんのように、

ささやかな、身近な変化や趣きなんかを感じれるような感覚を取り戻しましょう!

人間本来の感覚について、もっと考えるようにしましょう!

 

カア助たちのこと

小学校前で、毎日のように自分を威嚇してきたカラスの夫婦ですが、

あれから、ぱったりと逢えなくなってしまいました・・・

あの、「小学校正門前のカラスの死骸事件」があった時からです。

正確に言うと、死骸事件後の数日間は、あの夫婦たちと逢えていたんです。

自分の最初の心配は当たっていなかったので、それは本当に良かったんです!

あの夫婦が死んじゃったんじゃないかと、最初は思ってたんですね。

 

でも、あの事件から4日後くらいから、ぱったりと逢えなくなってしまいました。

小学校の正門前の木に巣を作って、そこを通る人たちを威嚇していたんですから、

カラスと巣を駆除しようと思う人がいても不思議じゃないですよね?

自分は、そうなってしまうんじゃないかと心配していました。

自分が見ていた限りでは、威嚇されているのは自分だけでしたが、他の誰かも威嚇されていたかもしれません。

そして、あの夫婦たちがいなくなってからしばらくは、「やっぱり駆除されちゃったんだ・・・」ととても悲しい気分でした。

あの夫婦たちは自分のすぐそばまで飛んできたんです。

そして、顔も目も表情もハッキリとこちらに見せてくれたんです!

笑われるかもしれませんが、可愛かったし、一生懸命な表情でしたよ。

それが分かってから、あの夫婦が好きになりました。

そして、子育てを応援していました。勝手に自分の友達にしちゃっていました・・・

 

最近、カラスが三羽で揃っているところを何度か見たんですが、子供を連れているように見えたんです。

「ああ、カア助たちも子供が巣立って引っ越したのかもしれない」と思いあたりました。

きっとそうです! どこかで子供と元気に生活しているんでしょう!

でも、カラスは七つの子がいるくらい多産だとすると、ちょっと自信がなくなってくるんですが・・・ 

樋口一葉の残簡より

 我は人の世に

 痛苦と失望とをなぐさめんために

 うまれ来つる詩のかみ(神)の子なり

 をごれるものをおさへ

 なやめるものをすくふべきは

 我つとめなり

 このよ ほろびざる限り

 わが詩は

 人のいのちとなりぬべきなり

 

松平アナウンサーの朗読だったんですが、思わず、涙がこぼれました・・・

あの境遇の中で、

何という愛情の深さでしょう。

何という強さでしょう。

自分の使命を自覚して、全うしようという強い決意も感じられます。

哀れを誘うなど、微塵もない。

気高くさえあります。

紙幣の肖像画に選ばれる理由が、少しは理解できたように思います。

 

NHKの番組「その時歴史は動いた」がYoutubeにアップされていました。

樋口一葉の特番だったんですが、じっくりと見させてもらいました。

ほたる、光って飛んでくれました!

今日は日中暑かったし、夜も気温が下がっていませんでした。

カミさんが、「今日はいそうだね! 行ってみる?」と、珍しく自分から言い出したので、

入間市牛沢のほたる生息地「ホタルの里」に、夜8時に着くように出かけてみました。

地元の方らしき先客?が2人。

ん~ ・・・ 今日もいないかなぁ ・・・

・・・ あっ! 居たよ! 光ってる!

ああ、飛んだ!

こんな感じで、光る時は一匹か二匹でしたが、何回も光を見せてくれました!

この場所で初めて観れたんです!

写真を何とか撮ったんですが、画像はこれが限界ですね・・・

 

暗いけど、黄緑っぽいホタル特有の化学反応による発光です。

これは、ちょっと赤みがかってる?

すみません!

今回は、この2枚の写真が精一杯でした!

ほたるくん、ありがとう!

また逢おうね!

埼玉西所沢産の生落花生

先週土曜日のことです。

その日はすごくのんびりと起きて、コータ散歩のあと12kmウォークに出発。

折り返し地点西所沢駅近くの、落ち着いた住宅街にさしかかった時、

殻付き落花生が二握りほど入ったビニール袋が、玄関先にいくつか並べてあるのが目に留まりました。

ああ、大きくてきれいな実だなぁ、と思いながら通り過ぎたんですが、

そうだ! 豆好きな我が家のお土産にできないかな? と思い直して引き返しました。

まず、売っているのか尋ねないといけませんね。(笑)

尋ねてみると、やはり、前の畑で採れた野菜や豆を売っているとのこと。

おばさんとしばらく会話してから、生落花生の殻付きと殻を剥いたもの、合わせて2袋を600円でいただきました。

実のしなり方から生だと分かるでしょう?

以前、生落花生を自宅で炒ったことがあるんですが、とっても美味しかったんです。

で、家に帰ってネット検索で調べてから、電子レンジで加熱してみました!

手軽に美味しく出来ましたよ!

そして、塩水に漬けて乾かしてから炒る、という手がより美味しそうですね~!

次はこの手にトライしてみます! 

パウル・ヒンデミットと樋口一葉

昨日、従妹に会いに行こうと車で職場まで行って、車を停めてそこから駅に歩いて行きました。

車中、FM放送でヒンデミットの交響曲「画家マチス」をやっていました。

ヒンデミットは、1963年没のドイツ近代の作曲家です。

ワーグナー、R・シュトラウス、マーラー、ブルックナーといった、成熟しきったロマン派から抜け出した音楽を書き、またロマン派の次の世界を開拓していった人です。

と言っても、自分はこの「画家マチス」に少し馴染んでいるくらいで、それも、今まで頻繁に聴こうと思う曲ではありませんでした。

しかし、終楽章のフィナーレ! この素晴らしく荘厳なクライマックスはとっても感動的なんです!!

ロマン派から後期ロマン派へと、ある意味人間の感情表現が極められていって、そして、その後の音楽はいったいどういう姿になっていったのか?

とっても興味深いですよね? 

少なくとも私たち聴衆には、ロマン派の音楽は最高の世界の一つであるし、これからも、そこから全く離れてしまうことは出来ないと思っています。

だから、余計にその後の音楽に関心が湧くんですね。

とっつきにくくても、もっと聴き込んでいってみたい・・・

 

ああ、それで、話を戻しますが、車を置いて駅まで歩きだした時、ヒンデミットの音楽がまだ終わっていなかったんです。

そこで、思いついて、スマホにNHKラジオ放送が聞ける「らじるらじる」をインストールして、ヒンデミットを最後まで聴くことが出来たんです。

そして、電車に乗ったあと、らじるらじるのメニューを見ていたら、聴き逃した放送が聞ける項目があって、その中に「朗読」がありました。

樋口一葉の「たけくらべ」「にごりえ」「わかれ道」の朗読が聴けるようになっていました。

自分は、こちらの世界はほとんど無知で、樋口一葉のことをスマホ検索で調べているうちに、

ああ五千円札肖像の人物だったなとか、「たけくらべ」が教科書で紹介されてたかなぁ、とやっと気づくくらいの知識しかないんです・・・

でも、樋口一葉という人のこと、作品のことを紹介している文章を読んで、彼女の小説を読んで少しは理解したいという気持ちが強く湧いてきました。

 

凛とした表情。こちらの身も引きしまるような気がします。

何より厳しく、でも優しさや女性らしさも感じられ、そして悲しみを封じ込めたような表情・・・

 

早速「わかれ道」は朗読を録音しました。

あとは、「たけくらべ」、「にごりえ」を録音して聴いてみたいと思います。

そして、没後に発表された「一葉日記」も読んでみたいと思っています。

「集団左遷」最終回、やっぱり観ました!

全編じっくり観たかったドラマなんですが、次の日の朝早いので所々しか観てきませんでした。

でも、今日は最終回。

どんでん返しで、悪が成敗を受け、正義が勝つ最高の場面なんです!

くさくたって、かっこ良すぎたって、きれいごとだって、いいじゃないですか!

絶対に、これでいいと思います!

今の世の中だって、これが正しくなくちゃ!

片岡さん(福山雅治)、真山さん(香川照之)、頑張れ! 負けるな! と言いながら観てました。

横山(三上博史)も、鮫島(小手伸也)も、絶対に許されてはならない!

今でも、ちゃんとこういうドラマをやってくれるんですね!

嬉しかったです! ありがとうございました!

母方の従妹と40年ぶりに再会

大宮在住の母方のいとこが、生まれ故郷の九州に帰るというので、

集まれる親戚一同で会食しよう、という話が急に持ち上がりました。

妹が色々とセッティングしてくれ、今日、浦和パルコのさかえやでお昼ごはんパーティーとなりました!

叔父がガンで入院した時、その家族の手伝いをしに、大学生だった自分と母で佐賀県の唐津に行ったのですが、

その時中学生だったいとこです。

一目ですぐに分かりました!

色々な話をしましたが、従妹も自分の親戚の記憶をはっきりさせておきたいと思っているようでした。

「自分のルーツを正しく知っておきたい」と、誰でも考えるようになっていくんだと思うんですが、

自分は、特に母方のルーツをしっかりとたどって、母方の佐賀県唐津市のお墓にお参りしたいと強く願っているんです。

そのお墓には、叔父が眠っており、母も分骨されて入っています。

自分は、そのお墓が手入れされていないんじゃないかと、ずっと気になっていたんですが、

とんでもない! 従妹の息子さんを中心に、しっかりと守られていました!

こんな風に思っていた自分が恥ずかしく、しかし、とっても嬉しい気持ちにもなりました!

早く自分の足で唐津に出向き、母方の墓所で手を合わせたいと、強く願っているんです。

「物を直しながら使い続ける」は、地球も救うし、人間らしい心も取り戻せる

今、自分がそうした方がいいと、強く思っていることがあります。

それは、「物を使い捨てにせず、出来るだけ手入れして直して使う」ということです。

新しい物をどんどん作って使うスタイルは、資源だけでなくエネルギーも消費するということですが、これはすぐに分かると思います。

地球に負担をかけるスタイルですね。

そして、あまり考えもせずに「古いものは捨てて、新しいものを買ってくればいいよ」とすぐに決めてしまう。

この考え方が寒い。

ただ、LED照明のように、エネルギー効率のいいものに取り換えていくというようなことは、また別の話ですけど。

 

今使っている物を、観察しながら、手入れしながら、不具合を直しながら使っていくスタイルでは、

自然と、物に愛着が湧いてくるようになります。

いつも、気にしながら使ってるから、故障が大きくならないうちに直せます。

気にするって言っても、ちょっとだけでいいんですよ。

物なのに、相棒みたいに思えることもある。

いつも黙って役にたってくれてるんだね・・・

そういえば、これ、あの人にもらったんだっけ・・・

子供の頃は、あんなに愛着を感じながら、物を使ってたのにねぇ・・・

 

今、愛着を感じながら物を大切に使うことが、本当に少なくなったと感じます。

そして、その物がどんな役割をしてくれているかも深く考えたりしない。

人が考えながら、特に気持ちを込めながら作ったものは、役割も機能も一つの面だけじゃない。

 

そして、それと同じように、周りの人の気持ちについても、あるところばかり気にはしても、

大切な部分を考えなくなってしまっているような気がするんです。

黙って色々なことをやってくれている人は、実はたくさんいるんです。

そういう人のことを、せめてそういう人の気持ちだけでも、感じられるようにしておきたい。

 

物を大切に使おうとする姿勢は、地球に優しいということだけでなく、

他人の心、他人の思いやりを考えようとする姿勢にも繋がっていくのではないか?

いつも、自分が強く感じていることなんです。