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2024年1月の記事一覧

12月に建てたばかりの娘夫婦の新居も全壊 オレ泣きました

 寒ブリ漁の盛んな珠洲市三崎町寺家地区だが、漁船はことごとく流され、大破し、使い物にならない。

 

 

「まぁ、想定外やね。

この辺りの寒ブリは、みんな船流されたり裏返ったりして、もうダメですわ。

でも、もうダメになったもんをどんだけ悲観しても変わんない」

辻さんは地震のあった元日は、能登半島の最先端にある須須神社にいたという。

「私は須須神社の氏子総代もやっとるもので、受付のお手伝いで上がっとったんよ。

それで『今日の神楽は終わり』と告げた途端にガーッと揺れ出した。

隣の区の集会所の高台に避難して、波が落ち着いてから歩いて自宅に戻ったんだけど、

道なんかずっと、水が高い位置まできとったから、やっとで家までたどり着いたわ。

ただおかげさまで怪我人はでましたが、寺家には犠牲者はいません。

犠牲者は出なかった。

しかし、津波が奪ったものはあまりにも大きかった。

娘夫婦の新築したばかりの家が、壊滅したのだ。

「ウチの娘と婿さんがクリスマス前に沿岸部に家を新築して、

12月10日に完成して入居したばっかのとこでよ。

娘は妊娠中で高台にあった実家に来とって、助かったんだけど、新築の家はダメになってますわ。

新居見てきてくださいよ。

俺泣きましたよ。

泣きました、俺。

娘と婿に『ここに土地あるさかいにこっちこいや』て建てさせたのに。

俺が呼んださかいにこんなんなってしもうた。

娘と婿は2日に大事なものだけ取り行くと新居行って、2人で泣いて帰ってきて・・・

『保険入っとんたんか』って俺もそこまで聞かれへんでね。

今は娘は金沢のほうに避難して、赤ちゃんも来月出産予定で落ち着いてるんだけどね。

娘さんはまだ20代で、大工の夫と直前までは珠洲市の飯田地区で暮らしていたという。

「3年前に結婚して、新居は大工の婿さんが自分で建てた家なんよ。

こだわって、でかいサッシ使ったり自分でいろんなもん選んで建てた家だったからなぁ」

氷見で積雪 つらい朝 避難所は毛布1枚に2、3人

 能登半島地震から1週間を迎えた8日、

最大震度5強の揺れに襲われた氷見市では断続的に雪が降った。

寒さの厳しさが増し、

避難所に身を寄せる市民からは

「朝の冷え込みがつらい」

との声が漏れた。

家屋の倒壊・損壊が激しい姿地区では

「雪の重みでさらに崩れていないだろうか」

と自宅の確認に訪れる避難者も。

被災者は見通せない先行きに苦悩を深めている。

 

石川県境に近い姿地区は午前10時ごろ、雪が降っていた。

「何もかもわやくそや(めちゃくちゃや)」

桑原桂子さん(88)は、雪の積もった全壊の母屋前で大きなため息をついた。

鉄筋コンクリート造の増築部分は形を残すが、断水で台所も風呂も使えない。

自宅は大工だった夫が生前に建てた。

「下手な父ちゃんが住民に協力してもらってできた家なんよ」

と寂しさを募らせた。  

桑原さんは自主避難所となっている姿集落農事集会所に、長男とともに発災時から身を寄せている。

外出していて無事だったが、生活用品や貴重品は全てつぶれた家の中。

この1週間、着替えることができず、風呂にも入れていない。   

集会所では避難者や集落の女性が交代で料理を作るなど住民が支え合っている。

「感謝でみんなに気の毒な」

と桑原さん。

今後は市が検討を進める避難住宅への入居を考えているとし

「自宅はつぶすしかない。周りに迷惑がかかり、早くしたいが、お金がなくどうしようか」

と途方に暮れた。

 

 

 

姿自治会集会所に避難している上田章枝さん(62)は、自宅が半壊した。

「きょうまで毛布は2,3人で1枚だった。

寒さと断水がきつい」

と厳しい表情。

飲料水の支援はあるが、

お湯を自由に使えず、冷水での洗い物に苦しんでおり、生活再建のめども立っていないという。

 

指定避難所の市ふれあいスポーツセンターには63人が避難している。

中央町の女性(81)は降雪による寒さに悩み

「重ね着してコートも着て、毛布と布団をかけて寝ても背中がゾクゾクする」

と漏らした。

市によると、センターには保健師2人が常駐しているが手一杯の状況。

高齢者ケアなど福祉面に課題があり、市が対策を考えている。

 

高岡市伏木地区では、住民や業者が復旧に追われた。

住民らは

「雪が積もる前に進めたい」

と黙々と作業に励んだ。  

金物屋を営む鍛治勇さん(79)は

「除雪も加わると負担が増える。このまま積もらないでほしい」

と話した。  

 

伏木古国府中部自治会では、麦谷久雄会長(73)が住民宅を訪ねてごみの出し方などを伝えた。

道路の液状化で融雪装置が埋まっているとし、

「雪が積もれば動けない可能性もあった。これから心配だ」

と語った。

「72時間と言われても諦めない」地震発生から124時間後に90代女性救出

 72時間を超えての救出は非常に珍しい事案だ。

地震の発生からおよそ124時間後の救出劇です。

これは非常に勇気づけられる事案で、避難者にとっても希望の光を灯せるのではないか。

 

警察によりますと、6日午後8時半ごろ、

珠洲市正院町で倒壊した家屋の1階部分からがれきにはさまれていた90代の女性が救出されました。

「かろうじてうめき声が出る状態。

『手を握ってください』と言うと、弱いが握ることができる。

半信半疑だったが、これはもしかしたら行けるかもしれないと思った」

女性は現在病院で治療を受けていて、容態は安定しているということです。

 

「72時間と言われているがまだまだ諦められない。

諦めずに救助活動を行っていかなければならない」

 

能登半島地震 震源の地震500回超に 避難所で眠れない日々

 気象庁によると、6日までに「能登半島沖」「能登地方」を震源とする地震は500回を超えた。

損傷した自宅から離れ、避難生活を送る住民らは不安を口にした。

「余震がやまず安心して眠れない」

石川県七尾市が避難所として開設する市立七尾東部中学校で1日から過ごしている佐味町の男性は不安を口にした。

自宅は、天井の梁が落ちてしまうなど一部損壊。

妻は避難所でのトイレが不安で自宅にとどまっており、男性は余震後、慌てて様子を見に行った。

 

 同中学校では、4日時点で約30世帯が利用している。

1日の地震直後から家族5人で過ごしている矢田新町、派遣社員は6日早朝の地震で跳び起きた。

「体育館全体が揺れていて、どうしたら良いか考えることもできなかった」とおびえた表情だった。

一部損壊した自宅に着替えや毛布を取りに帰っており、今後予想される降雪にも気をもんでいた。

 輪島市内でも6日の地震への恐怖の声が上がった。

避難所となっている市ふれあい健康センターにいた市内の女性は

「突然のことに顔を見合わせたり、体を寄せ合ったりする人がたくさんいた。

いつまで続くかわからない揺れが怖く、眠れない日々です」と話した。

 

 珠洲市宝立町鵜飼の宝立小中学校に2日から家族で同小学校に避難している女性は

「寝ていたら、急に大きな揺れが起きてすぐに目が覚めた。

体が休まる時がなく、もう勘弁してほしい。

物資も届き始めているが、大人数の避難所ではなかなか行き渡っていない」と嘆いた。

 

 同市内で写真館を営む男性は

「日がたってもまだ襲ってくる揺れに避難所内は騒然となった。

カメラは壊れ、思い出もがれきの下に埋まったままだ。

早く元通りの生活に戻りたい」とつらそうな表情を浮かべた。

 

 

 

 

 気象庁の地震情報によると、

1日午後4時6分から、6日午後0時59分までに、最大震度7を含む計580回の地震が発生。

このうち「能登半島沖」「能登地方」を震源とするものは502回で、

「石川県西部」「佐渡付近」など近隣日本海側が震源になったものを含めると

計568回の地震が起きているという。

誰の責任なのかということより、このような状況が改善されてこなかったことが問題なのでは?

 1月2日のJAL機と海保機の衝突事故ですが、

ほんのわずか海保機の位置が違っていれば、今回以上の大惨事となり、全員が助からなかったのではないか?

誰の責任なのかということより、このようなミスが起こり得る環境が存在していたことが問題だと思える。

これは本当に恐ろしいことではないか?

間違った操作、間違った動き、これらに対しての即座の警報、そして動きを止めるような仕組み、

鉄道にはこのような仕組みが存在しているのに、航空機の運用にはなぜないのか?

管制官の神業的な采配のおかげで事故が起こって来なかったのかもしれないし、

そのことには感謝しなければならないと思うけど、これでは、綱渡りと変わりないのでは?

過密ダイヤの現状ではなおさらだと強く思う。 

 

<コメントから引用させていただきます>

 ミスなら今までも起こってきたし、今後も起こり得る。

あえてつっこんだ調査と議論が必要なのは、

今までほぼ同じように、

管制と待機する離陸機の間で意思疎通のミスが何十回と発生し、

誤侵入が繰り返されてきて、

何故仕組みが改善されていないのか?

改善が不十分なのか? 

という点だ。