日ごろのこと、何でも!

何でも雑記

久しぶりです

かなり、色々なことがありました。

まず、3月に川越から入間市に引っ越しました。
マンションを出る時に、厄介なことがかなりあって大変でした。
仲介の大京穴吹不動産の担当者の方に大変お世話になりました。感謝しています!
これで、入間と川越を行き来していたカミさんが楽になり、一安心です!
自分は職場が遠くなりましたが、車で何とか通えています。

引っ越しとは別に、家族の中で色々と心配事が解消されず、落ち着きません。
まあ、一喜一憂の繰り返しで、憂の方が今は多いんですが、祈りながら前向きにやっていくしかありません。
この歳になったら色々あって当然でしょうから!
川越の神様方にも何回も助けていただいたと実感しています。
またお世話になります!

さて、また少しづつでも更新していきますね!

2016年度センター入試 化学・化学基礎 解説

2016年度のセンター入試の、化学、化学基礎について
問題、解答、簡単な解説を載せました。
参考にして下さい。

「化学」問題 2016kagaku.pdf
              解答、解説

「化学基礎」問題
 2016kagaku-kiso.pdf
解答、解説
 http://www.9monotaira.pgw.jp/?page_id=183

今年は、問題公開が遅かったです。
また、逆順で解きながら、解説をタイピングしていったんですが、
やはり、タイピングには時間がかかってしまいますね ・・・

身内の病(2.脊柱管狭窄症)

(前回からの続き)

 本人は7年前、腰椎脊柱管狭窄症の手術を受けています。
この時も、手術をする段階まで悪化していたため、どう手術するのかかなり迷い、web検索で埼玉医科大学脳神経外科の実績のある先生にたどり着いたのです。
この時も紹介状はありませんでしたが、メール、電話で連絡を受けて下さり、とても丁寧に診察していただきました。
手術リスクの説明も細かくしていただき、また、先生側から手術をせかしたりすること等は全くなく、誠実さを強く感じました。

脊柱管狭窄症手術から7年以上経ちますが、痛み、しびれ共に全くなく、最高の手術をしていただいた結果だと思っています。

7年前当時の脊柱管狭窄症の一般的な手術の一例は、脊椎を大きく切り取り、不安定になった脊椎を固定するためにチタン等の金属を用いて骨にボルト締め(!)を行ったりするようなものでした。(下図のような術式)



 本人が受けた手術は、これとは全く異なり、椎間板や脊椎はできる限り温存し、脊椎の削除も最小限にとどめる、という方法でした。金属等での骨の固定も一切していません。(下図の術式)




 顕微鏡手術は、術野を大きく明るく見ながら精密で正確な手術ができるのですが、
その手法を用いる医師の手術法、そして治療への姿勢にも、慎重で「精密で正確」なものを強く感じます。
私たちが脳神経外科の先生をとても信頼している理由です。
もちろん、顕微鏡手術は、現在は他の科でもどんどん使われるようになってきているそうです。
(続く)

身内の病(1.後縦靭帯骨化症)

 家族の病気が完治して欲しいと願うのは、誰でも当然のことです。
「後縦靭帯骨化症」は国指定の難病です。
以前、術後80日めのことを簡単に書かせていただきました。
本人は、ここで術後11ヶ月を迎えましたが、今までの経過を記しておこうと思います。




 この病名を告げられた時、本人はどれほどショックだったでしょう。
自分は、本人と一緒に、この病気のエキスパートである病院と医師を探し回りました。
その中でも、特に有名な、整形外科の都内K病院、脳神経外科の都内K大病院には直接電話で診察して下さるようお願いしました。
しかし、「紹介状がないとダメです」とはっきりした返事でした。紹介状が書いてもらえない状況を説明して強くお願いしてもダメでした。2つの病院共に同じ返事でした。

 紹介状がない私たちは、希望を閉ざされた感じになりガックリと落ち込みました。
とにかく、この病気をたくさん手がけている病院でないとダメだと思っていましたから。
web検索でも、術後が思わしくなかったり、四肢麻痺になってしまった方もいらっしゃるのです。

 そうこうしているうちにも、毎日のように症状が出て、しかも少しずつ進行しているようでした。
紹介状がないまま、2つの病院を訪ねてみました。ここには整形外科の専門医がいらっしゃいました。
どちらの専門医も、手術する段階という診断でしたが、手術法は全く違っていました。
私たちもこの病気と治療、手術についてかなり調べていましたから、帰宅してからじっくり考えました。
また、この病院の後縦靭帯骨化症の手術件数と実績も調べてみました。
結局、手術件数が多くなく、手術法に対する不安が残ったので、手術はお願いできませんでした。

 不安が増す中、身内がある医師に相談したところ、栃木県の独協医科大学病院脳神経外科に脊髄治療の名医がいらっしゃる事を教えて下さいました!
しかし、紹介状はありませんから多分診察はしてもらえないだろうと思っていたのです。
でも、とにかくアタックしてみなくては分かりません。
この先生と病院のことをwebで充分調べてから、電話をかけてみました。
やはり、紹介状のことを言われました。
紹介状は無いが、レントゲンとMRIの画像は持参できることを伝えると、「では、〇日の〇時においで下さい」という返事!
もう、飛び上がるほど嬉しかったです!
ここまで来る間に、検査機関も訪れていたので、検査画像を入手できていたのも幸いでした。

 脊髄関係の疾患は、日本では昔、整形外科が扱ってきた領域ですが、外国では脳神経外科が専門に担当してきたのです。
脳神経外科の手術は、顕微鏡手術(マイクロサージャリー)を基本にした精密な手技です。
(顕微鏡手術と内視鏡手術は全く別物です。念のため。)

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 本人は7年前、腰椎脊柱管狭窄症の手術を受けています。
この時も、どう手術するのかかなり迷い、web検索で埼玉医科大学脳神経外科の実績のある先生にたどり着いたのです。
(続く)

原爆の日

毎年8月、
6日の8時15分、
9日の11時2分、
昨年まで、朝の勉強会のこの時間に、黙とうのあと話をしてきました。
そのあと、谷川俊太郎作詞 武満徹作曲 「死んだ男の残したものは」 を一緒に聴きました。

特に、自分の希望をかなえるため勉強していただろう当時の仲間たちの気持ちを
勉強会のメンバーと共に考えるようにしてきました。

今年は猛暑の中、冷房のない一室での作業中に
広島原爆の日8時15分になりました。
静かに1分間黙とうしました。
一人きりでこの時間を迎えたのは、本当に久しぶりでした。

「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎)
1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない