日ごろのこと、何でも!

緑肥、順調に育ってます!

2025年8月26日 20時39分

 

 気温がちょっとでも下がるように期待していましたが、今日も夕方まで暑いまま!

それでも、陽が陰ってから畑に出て行きました。

緑肥に水やりしとかないとね!

 

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イイ感じに育ってますね!

種蒔きしてから18日が経過しています。

大川原化工機えん罪事件

2025年8月25日 20時34分

 

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 横浜市の「大川原化工機」の社長など3人が逮捕され、

その後、無実が明らかになったえん罪事件で、

元顧問の相嶋静夫さんは勾留中にがんが見つかりましたが保釈が認められず、72歳で亡くなりました。

 

25日、警視庁の鎌田徹郎副総監、東京地方検察庁の市川宏次席検事、最高検察庁の小池隆公安部長が

横浜市内にある相嶋さんの墓を訪れ、遺族が見守る中、手を合わせて頭を下げました。

 

相嶋さんの妻は、

保釈請求が認められない中で、東京拘置所の所長に宛てて治療を受けられるよう求めた手紙を読み上げ

「命だけは助けて下さい」などと伝えていたと幹部らに訴えました。

 

このあと3人は、

相嶋さんの妻や長男、次男に対して深く頭を下げ、

違法な逮捕や起訴について「深くおわび申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」と謝罪しました。

 

これに対して相嶋さんの妻は、

「謝罪は受け入れますが決して許すことができません。

夫は面会が許されたときに

『何も悪いことをしてないのに何でこんな目に遭うのだろう』

と激怒していました」と述べました。

 

そのうえで遺族は、

今月7日に警視庁や最高検察庁が公表した検証結果は、

原因の追及が不十分で、警察官や検察官の処分も甘く受け入れられないとして、

再検討するよう求めました。

リコリス(ナツズイセン)

2025年8月24日 20時11分

 

 「あ、一番元気な時だ!」

と思い、写真に収めました。

 

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この暑さもあると思うんですが、もう次の日には、この花びらの勢いも陰ってきちゃうんです・・・

夕方なら畑仕事出来ますね!

2025年8月23日 18時46分

 

 昨日、陽がちょうど落ちた頃、

「あ、これなら少し畑仕事出来るな!」

と、畑に出て行きました。

気になっていた場所を耕したかったんです。

と言っても、人力でクワを使ってやります!

厚めに草マルチしておいた箇所だったんですが、土が柔らかくなっていてビックリ!!

刈り草の上からクワを入れていきました。

 

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草マルチの端の方は、土が柔らかくなっていなくて硬いままでしたね!

草マルチだけで土が柔らかくなるのは、微生物の働きによる効果ではないでしょうか。

このあとここを整地して、緑肥クロタラリアの種を撒いてみたいんですが、どうでしょうか・・・?

ゴーヤグリーンカーテンの手入れ

2025年8月22日 21時02分

 

 ゴーヤを這わせるネットですが、上部はビニール被覆の針金を補助に張りました。

 

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ゴーヤの弦は1.7m以上に伸びているものがありました!

 

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このまま放置しておくと、弦は上部に伸びていくだけで、このネットを覆うようにはならないんですね!

以前、このグリーンカーテン作りに挑戦した時は、何も手を加えず失敗しました。

ここで必要なのは「摘心」とよばれる作業です。

茎の先端の芽の部分を摘んでしまうんですね!

すると、脇芽が出て、茎が横方向に伸びていくんです!

これでネットの面を覆うように茂っていくらしいです!

 

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この先端の芽だけ摘んでしまいます。

 

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この後、脇芽が伸びてきたら、弦の張り方を観察しながら補正してやる作業が必要なんだそうです。

さあ、どうなっていくでしょうか?

草刈り 利用者がやらなければならない領域は?

2025年8月21日 20時40分

 

 先日、農家のMさんに教わったことがありました。

「2つの田んぼの境界面の草刈りは、上の方の持ち主がやるんだよ」

位置が高い方の田んぼの持ち主が草刈りをやるおきてになっているんですね!

もちろん、自分は知りませんでした。

 

あ、ということは、自分の畑の周りの草刈りもこれに準じてやらなくちゃね!

今日もまた猛暑の中、畑に出て行きました。

「まあでも、今日の作業はそんな時間かかんないよ!」

昨日もやった分がかなりあったので、結局1時間ほどで作業は終わりました。

 

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うん! イイ感じになりましたね。

汗ビショビショになりましたが、このあとのシャワーと冷たい飲み物が最高なんですよー!(笑)

クロタラリア発芽して生育順調!

2025年8月20日 21時01分

 

 久しぶりに畑仕事の時間が取れました!

凄く暑かったんですが、草刈り以外にもやりたいことが溜まっていたので、作業することにしました。

緑肥にするクロタラリアは、すでに発芽してかなり育っていました!

 

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日照り続きだったので、水やりをしておきました。

 

次は草刈りして、刈った草はすでに草マルチにしてある場所に更に積み上げていきました。

厚く草マルチを施してある面の土ですが、柔らかくいい感じになっていました!

糸状菌らしきものもかなり発生していました!

 

その次の作業は、保管してあった米ぬかを草マルチの上から撒いていきました。

この暑さで米ぬかが発酵して熱をもっていたので、利用するにはちょうどいい状態だったと思います。

畑全面に振りかけるほどの量はありませんでした。

次回は、米ぬかを納豆と混ぜて作る「米ぬか納豆菌ぼかし」を撒いてみようと思っています。

 

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米ウ欧州会談 米メディアは「驚くべき結束」と高評価

2025年8月19日 22時39分

 

 トランプ大統領とゼレンスキー大統領そしてヨーロッパ各国首脳で行われた会談について、

アメリカメディアは、その結束ぶりを高く評価する傾向が目立ちました。

 

CNNは

「プーチン大統領が先週の米ロ会談で西側同盟を分裂させようとした試みに対し、

今回ヨーロッパの首脳は結束を見せた」

と評価しました。

また、

「フランスのマクロン大統領のようなリベラル中道派からイタリアのメローニ首相のようなポピュリスト保守派まで、

各国首脳がイデオロギーを超えた驚くべき団結を示した」

と分析しました。

 

NBCテレビは

「ヨーロッパのリーダーに傲慢さは見られず、目的意識を持って団結した。

ヨーロッパ各国とゼレンスキー氏が自らの望みを叶えるために繰り広げたあの芸術は

信じがたいほど素晴らしい」

と伝えています。

 

ワシントン・ポスト紙は、

2月の会談でトランプ大統領から「感謝の気持ちが足りない」と諫められたゼレンスキー大統領について

「今回はトランプ氏にひたすら感謝の言葉を述べ、

会談の開催、メディアへの紹介、さらに地図をくれたことなど、

様々な場面で『ありがとう』と言った」

と態度の変化に着目しました。

また、ヨーロッパ各国首脳がこれに追随し、次々に感謝を述べたことから

「対トランプ外交の秘訣は『ありがとう』の言葉だ」

と報じました。

 

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「今まで大丈夫だった」は、これからもそうだとは限らない!

2025年8月18日 22時27分

 

 娘と孫たちはこの暑さの中でしたが、目いっぱい遊んで、元気に帰っていきました!

「楽しく元気に過ごして、無事に帰宅する」

引率の経験がある人は、これは当たり前のことだとは思っていないはずです!

「怪我したり病気に罹ることなく無事に帰れた」ということは、

支えて下さった多くの方々のおかげも大きいんです。

さらにあえて付け加えるなら、「運も良かった」と言えるのかもしれません。

そう思うのは、特に近年、災害が多発しているだけでなく、気象の激変等もあり、

昔のような見通しが効かなくなってしまったこともあるのでしょう。

そして、私たちが当たり前に利用しているインフラの事故もとても多くなっています。

高速道のトンネルが突然崩落して、車ごと潰されてしまうなんて、

そして、自分がそういう目に遭ってしまうなんて、誰が想像しただろうか・・・

 

自分は、年齢以上に「怖い」という感覚が強くなっていったような気がしています。

36年前、富士山の斜面を滑落したのは全くの自分のミスでしたが、

この失敗のおかげで、特に結婚後の自分は、怖いという気持ちをしっかりと持てるようになっていました。

家族が有る身で死ぬわけにはいかないからです!

あの滑落事故を思い出すたび、ゾッとして思わず目を閉じてしまいます。

未だにその感情は消えないんです。

そして、今でも必ず

「ん? オレは本当は死んじゃってて、これは空想の世界なんじゃないのか?」

という気になるんです・・・

「怖い」と感じる人を臆病だと思っている人がいますが、それは違います!

 

ここで足を踏み外してしまったら? 

ここで握っている手がすべってしまったら?

簡単な山でいいですから、登ったことのある山道を思い出してみて下さい。

もし滑り落ちたら、ただでは済まない・・・

ああ、落ちたらあっけなく死んじゃうだろうな・・・

山道だけでなく、ちょっと間違えただけで死んじゃう場面なんて、身近にいくらでもあるんですよ!

 

さっきテレビを見ていたら、

屋根の修理をしていた父親が、5歳の息子がハシゴをよじ登ってくるのに気づき、

「危ない! 降りなさい!」

と叫んだんだそうです。

「ハシゴから落ちてしまった子どもは、次の日、あっけなく息を引き取ってしまった・・・」

 

間違いであっけなく死んでしまう場面はいくらでもあると言いましたが、

特に子どもにとっての危険な場面は、大人の何百倍も多いでしょう。

中毒や感染についてもです。

これらの危険を回避させるのは、当然ながら保護者の役目です。

何よりも、これ以上重要なことはないほど大切な仕事ですよね!

自分は、わが子が小さい時、妻に何度も厳しく注意されたことがあります。

「危ないっ!!」

男は、これくらい大丈夫って思っちゃってることが多いですから。

もちろん、妻が特別なんかじゃありません。

例えば、動物の世界でさえ、

あの、子供たちを常に真剣に守ろうとする姿勢を見て下さい!

自分の命を捨ててでも子供を守るんだという本能!!

危険回避を繰り返し教える親鳥など・・・

本能が薄れて平和ボケしている自分は、ハッとさせられます。

そして、動物たちに、真の敬意を感じてしまうんですね!

無事や安全、そして健康。

決して当たり前などと思わず、これらのことを守るために真剣に考えて実践していきたいと、

最近、本当に良く考えるんですね。

 

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娘家族が来訪中! 今は更新する時間がありません!

2025年8月16日 22時04分

 

 14日から、娘と孫2人が来ています!

今まで3日間、ほぼ1日中、孫たちの体験の時間でした。

体験の時間で埋め尽くされた、合宿の引率みたいな感じかも!(笑)

明日も目一杯遊ばせてから、娘家族を駅まで送り届ける予定です。

 

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スイカの収穫時期がつかめない!

2025年8月13日 22時20分

 

 前回、庭の小玉スイカを早く収穫して失敗しました・・・

でも今度は、収穫が遅すぎました!

これは、もう皮まで傷んでしまっています。

見落としていました・・・

 

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中身は発酵してしまっていました。

食べられずに、堆肥の原料になっちゃいました・・・

 

次のは、弦の様子を見ながら気を付けていたんですが、やはり良く分かりません。

 

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切ってみたら、

 

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これは、1週間ほど収穫が遅かった感じでした。

 

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何とか、まあまあって感じで食べれました!

あーあ、今年は最良の状態で穫れるものは無いかもしれません・・・

収穫適期について、もっと調べなくちゃダメですね!

核心は謎のまま 日航機墜落事故から40年 なぜ「不適切修理」は行われた?

2025年8月12日 21時21分

 

 (前略)

123便の事故原因について、アメリカの調査チームが注目したのが、

墜落した123便の過去の修理記録だった。

事故の7年前、

123便の機体は大阪空港で後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こし、

機体後部の「ある部分」を損傷していた。

その部分とは「圧力隔壁」と呼ばれ、気圧の低い機体後部から客室を守るお椀型の壁だ。

 

123便圧力隔壁

 

この圧力隔壁の修理を製造メーカーのボーイングが行うことになった。

修理指示書では、壊れた隔壁の下半分を新品と交換し、

上と下の隔壁の間に1枚の「継ぎ板」を挟んで繋ぎ止めることになっていた。

 

圧力隔壁修理 正

 

1枚の「継ぎ板」を使った修理は「よくあることだ」と日米の調査官は言う。

しかし、実際の修理では、

この「継ぎ板」が2つに切断されて使われていた。

1枚の継ぎ板を使った修理と比べて、隔壁をつなぎとめる幅が短い。

加圧された客室側からの力に耐えるには、明らかな強度不足だったのだ。(!)

 

圧力隔壁修理 誤

 

FAAから日航ジャンボ機墜落の調査に派遣されたトム・スイフト氏は、東京・赤坂のアメリカ大使館にいた。

金属の亀裂が専門の彼は、不適切な修理が航空機に与える影響を分析していた。

隔壁の修理が不適切だった場合、航空機は何回まで飛び続けられるかという「仮説」を立て、

隔壁の耐久性を試算した。

その結果、隔壁の修理から墜落までの推定飛行回数は約1万3000回。

これに対し、123便の修理から事故までの実際の飛行回数は1万2184回だった。

2つの値は極めて近かった。

この試算結果は、隔壁の不適切な修理が墜落事故の原因である可能性を強く示唆するものだった。

NTSBのシュリード氏は、この事実をアメリカ大使館に集まったボーイングの技術者たちに説明した。

 

その時の様子についてシュリード氏は

「彼らは、かなり落胆していました。

実際、何か起きたのかを悟った時、涙を流す者もいました」

と語っている。

 

520人の命を奪うことにつながった隔壁の修理ミスは、なぜ起きたのか。

日本の事故調査委員会や警察は、修理ミスの原因解明のため渡米したが、

アメリカ側のガードは固かった。

アメリカでは、航空機事故の場合、

個人の責任追及よりも再発防止に向けた原因の究明が優先されるためだ。

そうした中、TBSは隔壁修理に携わった作業員への取材に成功している。

1978年に隔壁修理のため来日したボーイング社44人の名簿を独自に入手し、取材を行った。

多くが他界していたが、そのうちのひとりの男性が取材に応じた。

 

「確か、あの時は​​しり​​​​もち事故​​で、圧力隔壁の下半分を交換したんじゃないか」

フランクな受け答えの一方で、元作業員としての頑固な一面も垣間見えた。

​​男性は、今でも修理にミスはなく、指示通りに作業をしたと主張している。

​​「誰が言ったか知らないが、私たちは『継ぎ板』を切ったりしていない。

切ったんじゃなくて、初めから2枚だったんだ」

さらに、板を2つに切ったのではなく、別の板を足しただけだと説明した。

しかし、日本の調査官が撮影した未公開写真には、

2つの板を跨ぐように複数の引っ掻き傷のような痕が写っている。

もともと1枚だった「継ぎ板」が切断されたことを示唆するものだ。

この傷は「継ぎ板」を作る際に出来たものではないかと、撮影した調査官は話している。

 

圧力隔壁修理 切られた継板

 

またボーイングで事故調査を担当したパービス氏は、

修理ミスの背景について、作業者の名前は明かさずにこう証言している。

「担当者は、ただ隙間を埋めればいいという程度にしか考えていなかった」

 

修理には、ほかに多くの作業員が関与している。

男性には、修理で使用した「継ぎ板」が実際には切断されて出来たものという認識がなかった。

誰が「継ぎ板」を2枚に切断したか、男性への取材では明らかに出来なかった。

一方、作業をした男性は、

123便の事故原因をめぐって過去の修理が日米で問題視されていた事実を全く知らなかったという。

彼のもとに、そうした情報は届いていなかった。

もしひとりでも、修理ミスに気付いていれば、墜落事故を防ぐことが出来たかもしれない。

男性は、123便の事故について

「悲しいよ。

多くの人が亡くなったんだから、それは悲しい。

でも、事故は起きる。

受け止めるしかない」

と語った。

 

事故原因の核心は、40年経った今も解明されていないのだ・・・

再び K2で眠る中島建郎さんと平出和也さんのこと

2025年8月11日 01時14分

 

 9日午後、この前見たNHKスペシャルの再放送にまたも釘付けになりました。

「K2未踏のライン 平出和也と中島健郎の軌跡」

 

この挑戦を前に、涙を流しながら家族のことを語る中島健郎さんの表情と言葉を、もっと深く理解したかったんです。

そして、中島さんの心情を是非妻にも感じてもらいたかった。

2度目の放送を見て、自分はこの前の放送で見落としていることがかなりあったことに気付きました。

この計画を主導してきたように見えた平出和也さんが、テントの中で、

「これは、大変なところに来てしまった」

「行けるところまで行って撤退することを考える」

「生きて帰らなければならないんだ」

はっきりとこのように語って、それが動画に収められているんです。

現地の危険さ、恐ろしさの正確な事実は、その時の彼らだけが身体で分かっていたはずです。

残っている動画を見ただけでも、素人が見ても危険度が半端ないことくらい分かる。

「目の前の雪の壁はいつ崩れてきてもおかしくない。いつ崩れてくるか分からない」

急斜度の中で目の前にはだかるこの雪の壁の映像が、はっきりと映像に残されているんです。

 

この映像は、単なる記録ではない!

これは、その時この映像を見ていた人たちへのサインだ!

このチャレンジは危険すぎるんだと!

出発前の中島さんの涙、

テントの中での平出さんの言葉、

そして現場の映像、

サインはいくつもあった!

周りが止めるべきだったんだ!

チャレンジャーに期待する私たちも、2人を追い込んでしまったように思えてならない!

 

自分はそう感じています・・・

 

 

以下、登山家で平出和也さんとも親交があった

大石明弘さんのブログから引用させていただきます。

 

 大学4年生の秋。

私たちはチベットのチョ・オユー(8188m)にいた。

遠征をサポートしてくれたのは、お互いの大学だけだった。

7000mでさえも未知の世界だった私は、最終キャンプで高山病になりテントの中に倒れこんだ。

しかし無酸素登頂を目指していていたから、酸素ボンベは持っていなかった。

平出はスープを作り、苦しむ私に飲ませてくれた。

頭は朦朧としていたが、そこから下山しようとは全く思わなかった。

「登ってやる。絶対にやってやる」

そんな言葉しか、頭に浮かんでこなかった。

平出も遠征後に書いた登山報告書に、その時のことをこう書いていた。

「登りたいんだ。登りたいんだ」

翌朝未明、満点の星空の下、山頂を目指して二人で出発した。

気がつくと私たちより高い場所はエベレスト山群だけになっていた。

誰もいない山頂で私たちは、抱き合って喜んだ。

その時私たちが、遠く離れたチベットの山にいることは、日本の誰も知らなかった。

 

(中略)

 

平出と中島は、その後も世界の山々を登り続けた。

彼らの登攀方法は「アルパインスタイル」と呼ばれるもので、

軽量化した装備で、一気に壁を登り上がるというものだった。

先鋭的なスタイルだが、彼らはそれを世界の登山家が知らない未踏の壁で行い続けていた。

数々の輝かしい登攀。

栄誉あるピオレドール賞の受賞。

特筆すべきはそんな極限の登攀であっても、ふたりはカメラを携え映像表現をし続けたことだ。

ドローンも駆使した動画は、素晴らしいテレビ番組となった。

人々の心を動かしたのは、その壮大な風景ではなく、

平出たちが本気の挑戦をしている情熱的な登攀シーンだった。

平出の番組はどれも高視聴率をとり、回によっては異例ともいえるほど多くの再放送がなされた。

山に登らない人々までもが、彼らの挑戦に心を打たれ、日常生活を進めるエネルギーに転化していた。

もちろん彼らと同じように、私もふたりから影響を受けていた。

 

(中略)

 

だが、K2(8611m)西壁の登攀計画のことが発表されたときの反応は、

私はファンとは違っていたと思う。

登攀予定のラインを見て、直観的に思ったのは、

「これは無理だ」

と言う事だった。

平出の計画したK2西壁のルートは、

壁の「弱点」はついていたものの、氷雪がつながっていない岩の場所が何か所もある。

私は、アラスカのハンター北壁で、そのクラスの難易度の岩を登っていたから、

技術的な難しさは多少なりとも理解できた。

ただそれを、じっとしていても疲労する7000m、8000mの希薄な空気の中で行うというのは、

全く想像がつかなかった。

過去20年で、8000mの難壁をアルパインスタイルで登られた記録は、わずか6チーム。

平出と中島が彼らより劣っているとは思わなかった。

だが、K2西壁は、それらの壁よりも難しいのだ。

しかもK2は8000m後半の「超高所」。

8000m前半とはかなり違う。

K2西壁を二人だけで登れば、世界の登山史を塗り替えるような大記録になる。

しかし・・・

 

私はすぐに電話をして「大丈夫なのか?」ということを話した。

平出は明るいトーンで、

「そういうことを言うのは、大石さんくらいですよ」

と言った。

そして、

「登山専門のライターさんでも応援してくれるんですよ」

そんな風に続けた。

さらに、

「自分のこれまでの集大成として、行けるところまで登れればいいと思っています」

と、軽い感じで平出は話した。

その短い電話だけで私は、安心してしまった。

平出は登れるところまで登り降りてくるのだ、と。

 

平出と中島は、静岡に来て講演会をおこなった。

もちろん壇上では言わなかったが、

その時点でも、K2西壁は途中まで登って帰ってくるのだろうと私は思っていた。

しかし講演会を聞いた人々は、今回もふたりは、

「不可能を可能にしてくれる」

と感じていたのだろう。

 

その後、平出のK2西壁の計画は特設ページが石井スポーツによって開設され、

約40もの協賛メーカーのロゴがならんだ。

 

しかし私はもともと途中で戻ってくるものと思っていたから、

この時点でも、全く心配していなかった。

恐らくヒマラヤを知る登山関係者も、そう思っていたのではないだろうか? 

だが、私を含め、そのことを公に話す人は誰もいなかった。

一方で支援者の多くは、K2西壁完登を願っていたに違いない。

 

遠征がはじまると、活動記録は平出のインスタグラムを通じ、スタッフにより報告された。

協賛メーカーの商品が必ず掲載されていることは、これまでの平出のインスタとは違っていたが、

これだけ大きなプロジェクトになれば、それも当然の展開なのだろうと思った。

 

インスタによると現地では天候不順が続いていた。

もうこれはトライどころか、出発もしないのだろうと私は思った。

平出たちのルートはクーロワール(壁の溝状の部分)を通っており、

雪が締まってないと登攀が難しいからだ。

だが、雨がぱらつく中、ふたりはラストトライに向けベースキャンプを出発した。

 

そしてその3日後、まず海外メディアから遭難のニュースが届いた・・・

 

「まさか」としか思えなかった。

自分たちがコントロールできるところまで登り、降りてくるはずではなかったのか?

7月30日に救助活動は中止された。

いろんなことを憶測してしまい、紋々とした日が数日続いた。

何度もインスタを見返す。

見えてくるのは悪天候が続いていたことだった。

インスタによると二人は「ラストトライ」前に、6700mまで高度順化のために登っていた。

 

私には、その高度順化でふたりが、山頂への闘志をみなぎらせたとは、どうしても思えなかった。

ただでさえ完登の可能性が低い最難級の壁に、雪が積もっているのだ・・・

 

自分の登山経験とも照らし合わせてみた。

「完登」への強い想いがなければ、私は大きな壁には踏み込めなかった。

恐ろしさよりも、美しいラインを引きたいという思いが勝らなければ、冒険的な登攀はできない。

今となっては、平出がどのような気持ちでこの挑戦を始めたのかはわからない。

私に言ったのとは裏腹に「不可能を可能にしよう」と、

計画段階では本気で山頂を目指していたのかもしれない。

 

だが西壁の現場で、あの降雪では、登頂の可能性は見えてなかったと私は思う。

それでも一大プロジェクトであるがゆえに、

そこで簡単に切り上げることはできなかったのではないだろうか?

「行けるところまで登れれば」

あるいは、

「不可能を可能にする」

という主体的な気持ちは、

「行けるところまで登らなければ」

という義務感に変わっていたのではないだろうか?

 

山頂にはフォーカスできず、

クライマーとしての「スイッチ」が入らないなかで今回の遭難が起こってしまったように、

私は感じてならなかった。

 

私は、どうしても20年も前のチョ・オユー登山を思い出してしまう。

あの時は、日本人が誰も計画を知らない中での登山だった。

そして、ふたりで絶対に登りきってやろうと、純粋にそれだけを思っていた。

 

20年前のチョ・オユーと、今回のK2西壁は、難易度が全く違うだけではなかった。

遠征を取り巻く様々なものとの関係性や、山の中での心理状態も全然違っていたのだろう。

 

今回は、自然の脅威だけではなく、

人間側のさまざまな要素も絡み合い、

重層的な原因で遭難がおきてしまったとしか私には考えらない。

平出と中島は自然側だけでなく、

人間側のリスクをも受け入れる覚悟のうえで、

冒険への情熱の発露としてK2西壁へ向かったのだと思う。

 

それでも・・・

私は平出とのチョ・オユーを思い出してしまう。

ああいう誰も知らない、自分たちだけの完結型の登山だけでも十分良かったんじゃないかなとも思う。

 

挑戦とその表現は素晴らしいけれど、

そんなに頑張らなくてもよかったんじゃないか、と。

背負ったものをかなぐり捨てて、

ふたりは、帰ってくればよかったのだ。

 

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「占領者に領土を明け渡すことはない」  ゼレンスキー氏がトランプ氏らをけん制

2025年8月10日 14時32分

 

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 トランプ大統領とプーチン大統領が来週、

アラスカ州でウクライナ和平について協議する構えを見せる中、

ゼレンスキー大統領はソーシャルメディアで

「ウクライナ国民が占領者に領土を明け渡すことはない」

とけん制。

 

「ウクライナに不利ないかなる決定も、ウクライナ抜きのいかなる決定も平和に反する。

無意味に終わる」

「われわれウクライナ抜きでこの戦争を終わらせることはできない」

と付け加えた。

 

ゼレンスキー氏は、

ウクライナは「平和をもたらす真の決定を下す準備ができている」

と述べたが、詳細は明らかにしなかった。

 

トランプ氏は8日に、プーチン氏との首脳会談を発表し、

「ウクライナとロシア双方にとってより良い形となる領土交換が行われるだろう」

と述べたが、詳細は明らかにしなかった。

 

 

「単なる見せかけ」 ウクライナ国民は冷笑的

 

 今月15日に米アラスカ州でトランプ大統領とロシアのプーチン大統領の首脳会談が行われる見通しとなったことについて、

ウクライナの首都キーウの市民が取材班に反応を語った。

 

キーウでCNNの取材に応じたアルテムさん(33)は米ロ首脳会談について、

「単なる見せかけ」とコメント。

トランプ氏を「口先だけの腰抜け」と評した。

「向こうで何か交渉している間にも、人が死んでいる。

もし合意できる、あるいは合意したいのであれば、すでにそうしているはずだ」

とも語った。

 

トランプ氏は8日、戦争終結に向けた交渉の一環として、

ロシアとウクライナの間で「一部領土の交換」が行われることもあり得ると示唆した。

 

ナタリヤさん(48)は、和平実現のためドネツク州をロシアに割譲する可能性に触れ、

「不公平で恐ろしい」話だと形容した。

「どれだけ多くの男の子や女の子が亡くなったことか。

不幸にして脱出する機会がなく、占領下で私たちのことを待っている人がどれだけいることか。

彼らは死の脅威にさらされながら、ウクライナのことを待っているというのに」

 

スビトラナさん(57)は、プーチン氏に攻撃を停止する意思はないとの考えを語り、

ウクライナの勝利への展望は厳しいとの見方を示した。

「私たちには国土を守る武器がない。

タウルス・ミサイルも長距離兵器もない状況で、ドローンでは領土を奪還できない。

人口の規模では明らかに比較にならない」

とスビトラナさん。

「プーチン(大統領)が死亡していなくなるのを待つことにする。

そうすれば状況が変わるかもしれない」

と言い添えた。

永遠に 長崎を最後の被爆地にとの誓い 「長崎平和宣言文」

2025年8月9日 22時01分

 

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 【長崎平和宣言文】

 1945年8月9日、このまちに原子爆弾が投下されました。

あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか。

「武力には武力を」の争いを今すぐやめてください。

対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています。

このままでは、核戦争に突き進んでしまう。

そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです。

 

1982年、国連本部で被爆者として初めて演説した故・山口仙二さんは、当時の惨状をこう語っています。

「私の周りには目の玉が飛び出したり 木ギレやガラスがつきささった人、

首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若いお母さん 

右にも左にも、石ころのように死体がころがっていました」

そして、演説の最後に、自らの傷をさらけ出しながら、世界に向けて力強く訴えました。

「私の顔や手をよく見てください。

世界の人々、そしてこれから生まれてくる子供たちに私たち被爆者のような核兵器による死と苦しみを

例え一人たりとも許してはならないのであります」

「ノー・モア・ヒロシマ 

ノー・モア・ナガサキ

ノー・モア・ウォー  

ノー・モア・ヒバクシャ」

この心の底からの叫びは、被爆者の思いの結晶そのものです。

 

証言の力で世界を動かしてきた、被爆者たちの揺るがぬ信念、そして、その行動が評価され、

昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。

日本被団協が結成されたのは、1956年。

心と体に深い傷を負い、差別や困窮にもがき苦しむ中、

「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」

という結成宣言をもって、長崎で立ち上がりました。

「人類は核兵器をなくすことができる」。

強い希望を胸に、声を上げ続けた被爆者の姿に、多くの市民が共感し、

やがて長崎に「地球市民」という言葉が根付きました。

この言葉には、人種や国境などの垣根を越えて、

地球という大きな一つのまちの住民として、ともに平和な未来を築いていこうという思いが込められています。

この「地球市民」の視点こそ、分断された世界をつなぎ直す原動力となるのではないでしょうか。

 

地球市民である、世界中の皆さん。

たとえ一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば、未来を切り拓く大きな力になります。

被爆者は、行動でそう示してきました。

はじめの一歩は、相手を知ることです。

対話や交流を重ね、互いに理解し、小さな信頼を重ねていく。

これは、私たち市民社会の大きな役割です。

 

私たちには、世界共通の言語ともいえるスポーツや芸術を通じて、

また、発達した通信手段を使って、地球規模で交流する機会が広がっています。

今、長崎で、世界約8500都市から成る平和首長会議の総会を開いています。

市民に最も身近な政府である自治体も絆を深め、連帯の輪を広げています。

地球市民として、共感と信頼を積み重ね、平和をつくる力に変えていきましょう。

 

地球市民の一員である、すべての国の指導者の皆さん。

今年は、「戦争の惨禍を繰り返さない」という決意のもと、

国連が創設されてから80年の節目でもあります。

今こそ、その礎である国連憲章の理念に立ち返り、多国間主義や法の支配を取り戻してください。

来年開催される核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は、人類の命運を左右する正念場を迎えます。

長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠です。

先延ばしは、もはや許されません。

 

唯一の戦争被爆国である日本政府に訴えます。

憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、

一日も早く核兵器禁止条約へ署名・批准してください。

そのためにも、北東アジア非核兵器地帯構想などを通じて、

核抑止に頼らない安全保障政策への転換に向け、リーダーシップを発揮してください。

平均年齢が86歳を超えた被爆者に、残された時間は多くありません。

被爆者の援護のさらなる充実と、未だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。

 

原子爆弾で亡くなられた方々とすべての戦争犠牲者に、心から哀悼の誠を捧げます。

被爆80年にあたり、長崎の使命として、

世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける決意です。

永遠に「長崎を最後の被爆地に」するために、

地球市民の皆さんと手を携え、

核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くしていくことをここに宣言します。

 

2025年(令和7年)8月9日

長崎市長 鈴木 史朗

緑肥クロタラリアの種を撒きました

2025年8月8日 21時29分

 

 昨日の激しい降雨のおかげで、耕した畑がかなり水分を含んでくれました!

これは種まきにちょうどいいコンディションになったと思い、昼前に畑に出ていきました。

マメ科のクロタラリアの種をばら撒きしてみます。

 

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手でパラパラと適当に撒いていきました。

その後、レーキで土を均すようにして種が土を被るようにしていきました。

最後に、種を撒いた面を足で丹念に踏んでいきました。

 

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日中は陽射しが強く土がかなり乾いたので、夕方に水撒きをしました。

幸いにも農業用水が来ている場所だったので、これを使わせてもらいました!

 

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さあ、うまく芽を出してくれるでしょうか?

【速報】石破総理「日米間に齟齬はない」 相互関税15%について

2025年8月7日 21時37分

 

 石破総理は7日午後7時すぎに報道陣の取材に応じ、

相互関税について

「既存の関税率が15%以上の品目には課されない。

15%未満の品目は既存の関税率を含め15%が課される」と述べ、

「この認識について日米間に齟齬はない」と説明しました。

 

ただ、7日に適用が開始された大統領令にはこうした記載がなく、

これまでの税率に一律で15%が上乗せされているとみられます。

 

これについて石破総理は、

現在訪米中の赤沢経済再生担当大臣がアメリカ側と関税に関する今回の合意内容を改めて確認したとし、

「大統領令を修正する措置を直ちに取るよう強く求めている」と述べました。

 

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<解説 牧原 出 東京大学先端科学技術研究センター教授>

 トランプ政権では、そのときのトランプ大統領の思いつきで政策が決まることもあり得るが、

政府内が全体として調整されておらず、個別の項目でミスがある場合もあり得る。

実際に軽減措置が執られていないのであれば、政府に強く是正するよう求めるのは当然だが、

政府としてはアメリカと適切に交渉するという手立ても必要だろう。

訪米した赤沢大臣に対してアメリカ側がどう対応するかをまずは注視すべきだろう。

このあたりは、石破政権であろうがなかろうが、こうした対応をとることになるだろう。

だが石破首相退陣論などの国内の混乱は、当座のアメリカに向けた交渉力を損なう効果を持つ。

政権に要求するものは要求しつつ、国内の結束をどう保つか。

自民党にはそれだけの底力が残っているかも注視したい。

広島平和記念式典 広島県知事湯﨑英彦氏あいさつ全文

2025年8月6日 10時53分

 

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 被爆80年目の8月6日を迎えるにあたり、

原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表し謹んで哀悼の誠を捧げます。

そして、今なお苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。

 

草木も生えぬと言われた75年からはや5年、

被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、

世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。

 

しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、

剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、

私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。

 

このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。

しかし本当にそうなのでしょうか。

確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。

一方で、歴史が証明するように、

ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。

なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、

万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。

 

自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。

あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。

我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、

人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、

身を以て示しています。

実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、

核兵器使用手続の意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、

破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。

 

国破れて山河あり。

かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。

国守りて山河なし。

もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、

人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。

概念としての国家は守るが、

国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。

 

抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、

ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。

そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、

抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。

核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、

その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。

 

核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。

被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、

暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、

実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。

 

「諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。

そこに向かって這っていけ」

(2017年 ノーベル平和賞授賞式でサーロー節子氏のスピーチより 広島県が翻訳)

 

這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、

我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、

人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

 

広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、

平和へのメッセージといたします。

 

令和7年8月6日  広島県知事  湯﨑英彦

被爆から80年 広島原爆の日

2025年8月6日 08時15分

 

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「死んだ男の残したものは」 (谷川 俊太郎 作詞、武満 徹 作曲)

 

 
  死んだ男の残したものは

  ひとりの妻とひとりの子ども

  他には何も残さなかった

  墓石ひとつ残さなかった

 

  死んだ女の残したものは

  しおれた花とひとりの子ども

  他には何も残さなかった

  着もの一枚残さなかった

 

  死んだ子どもの残したものは

  ねじれた脚と乾いた涙

  他には何も残さなかった 

  思い出ひとつ残さなかった

 

  死んだ兵士の残したものは

  こわれた銃とゆがんだ地球

  他には何も残せなかった

  平和ひとつ残せなかった

 

  死んだかれらの残したものは

  生きてるわたし生きてるあなた

  他には誰も残っていない

  他には誰も残っていない

 

  死んだ歴史の残したものは

  輝く今日とまた来るあした

  他には何も残っていない

  他には何も残っていない

 

https://www.youtube.com/watch?v=BbaNcZTWImU&list=PLHML0VwIe8veDR8M2ksoMxbTJFkLKqQ_t&index=9 

 

8月 6日  8時15分 広島原爆

8月 9日 11時 2分 長崎原爆

8月15日        終戦の日

足が熱い!外気が熱風! 群馬伊勢崎41.8℃ 観測史上最高値

2025年8月5日 23時15分

 

 群馬県伊勢崎市では今日5日、国内統計史上最高気温の41.8℃を観測した。

極めて厳しい暑さのためか、飲食店の客の入りは少なく、

市民などからは「足が熱い」「外気がドライヤーのよう」などの嘆きが聞かれた。

 

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<コメント欄の補足より引用 大隅智子 気象解説者/気象予報士/防災士>

 5日(火)は、関東地方で気温が上がる条件がそろいました。

まず、関東地方の上空1500m付近に25℃以上の熱い空気が流れ込んだこと、

さらに、上空6000m付近の太平洋高気圧と上空1万m付近のチベット高気圧のダブル高気圧に覆われたことで下降気流が強まったこと、

そして、西風が顕著だったため、山を吹き下りる暖かい風が入ったことで、

群馬県伊勢崎市や桐生市などで40℃以上となりました。

熱風を感じる危険な暑さです。

近年、40℃以上になることは珍しくなくなりました。

命にかかわる危険な暑さに、私たちは対応をしなければならない時代となっています。