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尊富士 スイッチが入って第二の自分がいるみたいに急に歩けるようになった・・・

 大相撲春場所で、24歳の尊富士は、

新入幕として、大正3年の元関脇の両國以来、110年ぶりの優勝を果たしました!!

 

尊富士は大阪市内で記者会見し

「夢のまた夢だったので、まさかここまでできるとは思っていなかった。

15日間やってよかった」

と心境を話しました。

 

14日目の取組で右の足首を痛めた尊富士は、千秋楽の休場を考えたということですが、

兄弟子の横綱照ノ富士から

「お前ならやれる。

記録ではなくて記憶に残りたいんだろう?

このチャンスはもう戻ってこない」

と言われて出場することを決めたということです。

尊富士は

「スイッチが入って第二の自分がいるみたいに急に歩けるようになった。

自分で自分が怖かった」

と笑顔を見せました。

 

そして、初優勝を決めた千秋楽の一番については

「気持ちで負けたくなかった。

自分の手で優勝をつかみたかったので自分から動こうと思っていた」

と振り返りました。

 

Q.当日は痛み止めなどは?

A.当日も本当に正直歩けないじゃないですか。

実質痛いには変わらないので。

でも自分で言った以上、土俵に恥ずかしい姿をあまり見せるもんじゃないですけど、見せてもおかしくない状況の中で、

でも俺は気持ちで絶対に負けたくなかったですし、

ここまでやってきたことが意味がなくなる。

逆に自分の中では出た方が今後の相撲人生に大きく変わってくると思ったので、

もう気合いでやりました。

Q.その痛みの中でよくあんな相撲がとれた。

A.自分でも怖いぐらい、

いや本当にいろんなパターンとか、けがしてるので相撲のとりくちを考えたが、

やっぱり気持ちで負けたら見てる人にも残念だと思いますし、

変な相撲取ったら、自分が師匠に言った「自分から出ます」というのが僕がうそついていると思ってしまうので、

これは負けてもいいから記憶だけで、

もう相撲はもう覚えてないですよね。

Q.今場所はじめての張り差し。

それもいろんなパターンを考えた1つ?

A.本当に自分でもよく分からないぐらい体が無意識だった。

Q.安易に変化で勝とうかそういう思いも?

A.それもありました。

ここまでけがをして実際に勝てばいいっていう気持ちも少しはあるわけじゃないですか。

でも自分の手でどうしても優勝をつかみたかったですし、

誰が勝って負けて優勝しようが、

自分の手で優勝をつかみたかったので自分から自分から動こうと思って。

 

Q.津軽弁で喜びのひと言を。

A.津軽弁で言うと「さっぱりしたじゃん」

スッキリしたっていう意味です。

青森県の市とかまったく知らなくて、いろんな人が応援してくれるのわかんなくて、

前の日に出るか出ないかの状況の時に、応援してる映像を見たんですよ。

みんな僕が負けたことに対して不安そうに、明日出てくれるかな、みたいな。

その時に、不安なのは僕じゃないんだと、

周りの人が不安ですし、何より周りが一番自分の状況を気になっていたので、

自分ではまったく弱音とか吐きたくないんで、大丈夫大丈夫と思って、

休むことは僕の中では最終的には選択できなかったですね。