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2021年6月の記事一覧

東京オリンピック開催問題に、なぜ日本メディアは沈黙を続けるのか

 皆さんもオリンピックに関する今の状況に、何だかすっきりしない、不可解な、または恐ろしささえも感じている人がいるのではないでしょうか?

もちろん、この気持ちはアスリートの方たちへのものでは全くないのです。

自分の感じている「恐ろしさ」とは、感染拡大ということより、大衆の声とは全く別の方向に誘導していこうとしている得体のしれない闇の力のようなものに対する恐ろしさです。

こんなことが、戦時中以外で今まであったのでしょうか?

 

以下の記事をじっくり読んでみて下さい。

 

 私たちが実感している通りコロナ禍に終わりが見えていない。

予定されていたイベントの多くが、残念なことに中止を余儀なくされてきた。

若い世代もあおりを受け、学校では対面授業に制約がかかり、学校行事や部活動が大幅に縮小されている。

このような状況であるのに、東京五輪だけが特別扱いされていると多くの人が思っている。

このコロナ禍のなかで、数万人の選手と関係者を海外から受け入れて大会を実施することに、ほぼためらいなくゴーサインが下っている。

極めて異常な事態だ。

だが、それに輪をかけて異常なことがある。日本の主流メディアがこの状況を、まったくと言っていいほど批判しないのだ。

最大の問題は、主流メディアが東京五輪開催の是非について、自らの立場を明確にしていないことだ。

最新の世論調査では市民の7〜8割が今夏の開催に反対しており、ツイッターは政府や組織委員会やIOCへの批判にあふれている。

だが主流メディアはそうした状況について、開かれた議論を展開するイニシアチブをとろうという姿勢を見せない。

いったいなぜなのか。

東京五輪開催について、これまでメディアはただ「起きたこと」を伝えるだけだった。

開催に反対する市民の声を代弁して、「五輪は中止すべき」と主張することなどなかった。

これでは7〜8割の市民の意見を無視しているとみなされても仕方がない。

東京五輪開催問題について、メディアはその重要な働きと想定されている「アジェンダ・セッティング(議題設定)」の機能を放棄しているのだ。

いま何が重要な問題なのかを、受け手に向けて設定できないなら、メディアの基本的な責務を放り出しているとみられてしまう。

それは健全なジャーナリズムではない。

 

世界の一流紙は東京五輪について、こぞって「中止すべき」と主張する記事やコラムを掲載している。

ニューヨーク・タイムズは東京五輪が「3週間の一大感染イベントになる」と書き、

ワシントン・ポストはIOCのトーマス・バッハ会長を「ぼったくり男爵」と揶揄した。

こうした外国メディアの報道を、日本の主流メディアはきちんと伝える。

しかし、自らの立場は明らかにしない。

東京五輪の開催問題について、外国メディアの懐疑論・反対論は積極的に紹介しながら自分たちの意見は明らかにしない本当の理由はわからない。


ここしばらくIOCの要人たちから東京五輪開催の可否にかかわる発言が相次ぎ、大きな注目を集めた。

5月21日にはコーツ調整委員長が、東京に緊急事態宣言が出されている状況下でも五輪は開催できるという見解を示した。

「緊急事態宣言下でも開催するのか」という問いへの答えはイエスだ」と、コーツは語った。

翌22日にはバッハIOC会長がコーツの発言を後押しする形で、東京五輪は予定どおり開催されると宣言した。

「東京五輪がようやく間近に迫った今、最後のカウントダウンが始まった。

五輪の夢を実現するために、私たちはいくらかの犠牲を払わなくてはならない」と、バッハは語った。

五輪開催のために「犠牲」を払うことまで持ち出した発言に対し、SNS上では怒りと反発が渦巻いた。

ここでも日本の主流メディアはこの発言に目立った論評を加えていない。

コーツとバッハの発言は非常に重い。

とくに「緊急事態宣言が出ていても五輪を開催する」というコーツの言葉は、日本社会の安全に責任を持たない人物が口にすべきことではないように思える。

ところが、主流メディアは彼の発言に表立った批判をしていない。

これはどういうことなのか。

 

東京五輪の開催可否の問題について、主流メディアは既成事実を追うだけで、自身の意見を発しないのだ。

世論調査で市民の7〜8割が反対している五輪の今夏開催について立場を明らかにしなければ、7〜8割の意見を無視しているということになる。

世論調査で7〜8割が反対しているイベントが開かれることについてメディアが何ら意見を表明しないのは、自らの義務と責任を放棄していることにならないか。

 

五輪を開催すべきかどうかがこれだけ議論になっているときに、開催を前提としたニュースが伝えられると、自分のいる世界の足元が、ふらっと揺らぐような感覚さえおぼえる。

主流メディアはこのまま、どっちつかずの姿勢を続け、開催支持とも中止とも唱えずに、7月23日の開会式を迎えるのか。

大会が幕を開けたら、それまで自らの責務をほとんど果たさなかったことなど意に介さず、いつものようにアスリートの感動の物語だけを流すつもりなのか。

 

ここまで国民的な関心が高まっている問題についてメディアがはっきりとした立ち位置を示さないのは、異常事態と言っていい。

何も言わない裏には、何か理由や意図があるのかと思われても仕方がない。

このまま口をつぐんでいたら、メディアへの不信がさらに高まる要因にもなりうる。

 

だから、最後に書いておく。

 

あなたたちは、この問題に関して、まだ、しかるべき仕事をしていない。

それを残された時間で、やってくれないか。

まだ遅くない。

ギリギリではあるが、間に合う。

 

そう願いたい。

祝日が移動してる! 紙カレンダーや手帳は自分で修正しないと大変なことに!

 昨晩、7月の祝日のことを話していたら、「えっ、それ違ってるよ!」とカミさんに言われました。

「海の日は7/19ってカレンダーに書いてあるよ!」

そう言われて、慌ててネット上のカレンダーを確認してみました。

自分のHPのカレンダーは、職場の行事予定表を確認しながら祝日の設定は済ませてありました。

でも、今年だけの特例の変更だということは知らないままだったんです!

昨晩のこの話題で、

今年の7月、8月、10月の祝日は移動していて、印刷されたカレンダーのほとんどはこのことが反映されていない(!)

ことが分かったんです!

しかも!!

このことはまだあまり知られていないようで、半数以上の人たちがまだ知らないようだ(!)と書かれていました!

皆さんは大丈夫でしょうか?

 

池袋暴走事故 遺族の問いにも被告の返事はまるで他人事

 例の「赤木ファイル」ですが、明日にも公表される見通しのようです!

ただただ真実が曲げられないよう、真実が明白になるよう、そのことを切望しています。

このことだけが亡くなられた赤木さんの望み、気持ちでしょうから。

 

 さて、明日のニュースの前に、このことにも触れておかなければなりません!

池袋の暴走事故です。

法廷での、原告松永拓也さんと飯塚被告の質疑応答をじっくり聞けば聞くほど、第三者のこちら側にも強い怒りがこみ上げてきます!

 

松永さんは、亡くなった2人の写真を見たことがあるかと聞くと、被告は、

「かわいい方をなくしてしまって、本当に申し訳なく思っています」

と、表情一つ変えずに他人事のように淡々と答えた。

 

その後、松永さんは、今回の事故が起きた原因について被告の考えを問うた。

しかし被告は、ブレーキを踏んだことは間違いないと答えるなどと、これまで同様、あくでも悪いのは車だという主張を繰り返した。

後半、松本さんは心情を吐露する。

 

松永さん

「私はあなたに刑務所に入ってほしい。覚悟はありますか」

「(刑務所に入ってほしいと考えている)その理由は何だと思いますか」

「有罪になったら控訴しますか」

 

被告

「わかりません。ただ、なるべくしないようにしたいと思います」

 

続いて、真菜さんの故郷、沖縄に住む父親の上原義教さんが質問に立った。

黒いスーツに紺色のネクタイ姿の上原さんは言葉を詰まらせながら、被告に対し、あなたは人間の心を持ってないのか、過ちを認めずに車のせいにする、悲しみと怒りを覚えると訴えた。

 

「私には夢がありました。

真菜と莉子にも夢がありました。そのすべての夢が奪われました。

せめて、自分のやった過ちを認めていただきたい」

 

しかし被告は、

 

「お二人が亡くなられたことについては、本当に悔やんでおります。

車で出なければ事故が起こらず、お二人の命もそのまま大丈夫だったわけですから」

などと答えるだけ。

上原さんは、

 

「最後に一言だけ」

と、被告に向かってこう言った。

 

「もう一度、よく考えてほしい。

本当に自分は悪くなかったのか。

心の底から『ごめんなさい』と聞けることを切望しています」

 

このあと、松永さんは、

 

「いつもは冷静であろうと心がけていますが、今日は言います」

「あの人は2年間変わらなかった。

今日質問してわかりました、あの人は変わらないんだろうと。

本当に軽蔑しました」

 

と悔しさをにじませた。

 

「『クリスマスの写真と遊園地の写真がありました』と言っていたが、そんなのないんですよ。

『名前は分かりますか』と言ったら、『莉子の名前が難しくてわからない』と。

難しいですかね。

残念ながら、彼の2人の命に対する認識はその程度のものだった。

なんでこんな人に2人は命を奪われなければならなかったのかな。

裁判所が正しい判断をしてくれると思いますが、刑務所に入ってほしい」

 

上原さんが事故後の2年間どう過ごしていたか尋ねたのに対し、被告人が自分のことを話し始めたのにも衝撃を受けた。

 

「『リハビリが大変だった』『苦しい毎日だった』とか、そんなこと聞いているわけじゃないじゃないですか。

本当に自分が中心の方なんだなと。

毎日つらかったですなんて、よく言えたなと。

遺族が(それを聞いて)つらい思いするって考えられないのか」

 

上原さんは「今ここに座っているのも苦しくて。

自分の体じゃないみたい」と声を絞り出した。

 

「少しは響くかなと思ったんですけれども、私がバカでした。

本当に悔しい、悲しい、その辛さ。

ほんとうに理解していない。

あの態度を見ていると余計つらさが倍増してくる。

自分の人生は間違っていなかったのか、事故に対して向き合ってもらって反省していただきたい。

心から願っています」

 

会見の中で拓也さんは、終始「虚しい」と繰り返した。

 

それでも裁判に参加して「やってよかった」と話す。

「1つは将来やれることはやったと言いたいからです。

2つ目はこれだけ大きい事故で軽い罪となる前例を作ってはいけないということ、

3つ目はこの裁判で真実が明らかになることで、再発防止に活かしたいという思いを持って裁判に臨んでいる。

命は戻らない。

それでも私は自分で意味づけをしようと思っている」

 

どうか正当な裁きが下されますように!!

この事件を知る全ての人たちが切望していると思います。

雑草を堆肥に出来る?!

 古家の雑草抜きは今の時期ものすごく大変です!

汗だくになりながら半日では終わりません。

皆さんは庭の雑草を抜いたら、その後どう処理していますか?

我が家では大きなポリ袋に入れて燃えるゴミとして出しています。

ところが古家での雑草の量はハンパではありません!

最初は抜いた雑草を長いあいだ積み上げておいて、枯れてさらに水分が抜けてからドラム缶で燃やしていました。

燃えカスの灰は畑に還元出来ます!

ところが、最近調べていて分かったんですが、雑草も落ち葉と同じように堆肥に出来そうなんです!

雑草を積み上げて、踏んで、時々混ぜて、そして長いあいだ放置して・・・

簡単でしょう?

さて、雑草の保管場所ですが、今は使われていない鳥小屋に目を付けました。

雑草置き場として使用許可が出たので、ここを使わせてもらうことにしました。

上から写真を撮っているので良く分かりませんが、この根に土が付いた雑草の重さは150kgはあると思います!

さあ、かなり時間はかかると思いますが、雑草堆肥は出来るでしょうか・・・

水性ペースト状ニス

 刷毛(ハケ)ではなく、ウェットティシュなどにニスを付けて、木材にすり込むように伸ばしながら塗っていく。

こんな方法で塗りムラなく仕上がる新しい塗料です。

1ビン900円でした。

 

実際に桐材に塗ってみました。

色はダークブラウンです。

 

これをこんな風に使ってみたんですが、予想以上にいい仕上がりでした。

この塗料、使う場面によっては凄くいいと思います!