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2019年2月の記事一覧

使いたい情報端末は、タブレットか? スマホか?

 移動先での情報端末は、絶対に便利だし、利用する場面もたくさんありますね。

手のひらに持って操作するのでなければ、ノートPC、モバイルPC、タブレット、でもいいと思います。

そして、この3機種でも、回線契約するだけで電話できるものもあり、

またそうでなければ、SkypeやLineのアプリを使えば電話できるらしいと分かりました。

この中でタブレットは特に小型で気軽に持ち運べそう。

ということは、スマホよりタブレットを持っていた方がいいのかな? と考えていました。

スマホよりタブレットの方が、機械として無理がなく、性能も良く、拡張性も高いはずだと思うんです。

また、立っている時や歩きながら電話できなくてもいいんじゃないか、と思っていたので。

電話する時は、どこかに座って、ヘッドセットを使うとかどうかな、と考えていたんです。

しかし、今日、自分が使いたい素晴らしい機能(!)を発見して、考えがかなり固まってきました!

それは、登山で絶対的な威力を発揮してくれるGPS機能です!

GPS機能は、通話圏外でも上空が開けていさえすれば使えるんです!

登山では、間違いなく最高の助っ人になってくれますね!

これを搭載するタブレットはあるようなんですが、

登山では、スマホサイズで手に持てないと、リアルタイムで現在地等の確認が出来ません。

これは、自分にとって大きな決め手になりました!

あとは、android搭載機か、iphoneか、ということですが、現在、iphoneに気持ちが傾いています。

もう少し調べてから、機種を決めようと思っています!

仇討禁止令! 明治6年2月7日発令

 NHKの早朝AMラジオ放送の「毎朝ラジオ」で、「今日は何の日?」というコーナーがあります。

今朝、「1873年の今日、2月7日は、仇討禁止令が発令された日です」とのアナウンスが流れ、すごくびっくりしました!

自分は「仇討禁止令」なんて知りませんでしたし、

何より、「仇討禁止令」が出たということは、「それまでは仇討が認められていた」ということになりますよね?!

もちろん、「仇討が認められていた」なんて、自分には信じられないことでした。

 

<仇討とは?>

 主君・親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすこと。

江戸時代、武士階級で慣習として公認されていた(!)そうです。

 

<なぜ、仇討が認められていたのか?>

 江戸時代において殺人事件の加害者は、原則として公的権力(幕府・藩)が処罰することとなっていた。

しかし、加害者が行方不明になり、公的権力が加害者を処罰できない場合には、

公的権力が、被害者の関係者に、加害者の処罰を委ねる形式をとることで、仇討ちが認められた。

 

つまり、公的権力が力及ばずというか、機能していないケースがあったんでしょう。

そんな時は、公的権力の代わりが処罰をしても良い、ということなんでしょうね。

ここまでは、そうかもしれないな、と思います。

しかし、その公的権力の代わりが、当事者の被害者側というのが凄いですね!

被害者側の、消えることのない、悔しく悲しい気持ちに配慮している、ということなのか?

現代ではあり得ない法ですが、気持ち的には理解できるような気がするんです。

夕ご飯のさしいれ

月曜、火曜はカミさんの実家に寄って、そこでカミさんが作った夕食をいただいてます。

一昨日の月曜日、いつものようにカミさんの実家に寄ると、娘が来ていました。

「夕ご飯作ってみたから食べてみて」と言うんです!

玄米に鶏肉やごぼうなど入れた炊き込みご飯、チーズ入り生春菊のサラダ、ローストビーフ、など力作でした!

どれも美味しかったです! ごちそう様!!

玄米に少しだけ芯が残ってるとか、そのちょっとだけ未完成な所にミョーに親しみがわいて、心が温かくなりました!

そうなんです。むしろ、完璧じゃなくていいんですよね。本当に。

なぜって・・・ 自分はそういう時、余計にその人の気持ちを感じられるような気がするんです。

「一生懸命作ったんだよっ」という気持ちと、作ってる時のその人の様子を連想するからでしょうね。

 

で、その夕食の時を振り返ってみると、娘は、こんなものを持ってきていました!

これを使って、炊き込みご飯作ってたみたいなんだけど、厚い鉄製のすごく重い調理器具だったんです!

これを、自宅から抱えて、電車に乗って持ってきたとは・・・

ありがとう! !

自分と他の人と比べない

大阪選手へのインタビューがさかんに行われているようですが、

彼女が、本当に大切なことを、簡潔な言葉で言い表してくれました。

きっと、娘も聞いてくれていたと思うのですが・・・

少しだけ、くだけた言い方に直して、ここに書き留めておきたいと思います。

 

人それぞれに歩んでいく道があるんです。その道を一生懸命に歩んでいくだけです。

あきらめずにね。

そして、自分と他の人と比べない、ということです。