音楽日記
城ヶ島の雨(1)
毎朝の2匹の犬の散歩の前に雨雲レーダーを確認するようにしています。
今朝は、雨が降り出す予報時刻の前に家を出たんですが、強めの霧雨(?)が降っていました。
そんな散歩の途中でふと思い出したのが、北原白秋作詞・梁田貞作曲の「城ヶ島の雨」です。
この曲を知ったのは、母が父の転勤先で入院していた頃でした。
父が病床の母にオルゴールを贈ったんです。
初めて目にした「ちょっとした大きさのオルゴール」で、三協精機製の立派なものでした。
入っていたのは、「城ヶ島の雨」と「波浮の港」(野口雨情作詞)の2曲でした。
このオルゴールが鳴ったとたん、すぐに虜になってしまいました!
まず、オルゴールとは思えない豊かな響き!
キレイだけど柔らかい高音域、豊かな中音域、手応えのある低音域
そして、あまり聴いてこなかった日本のメロディー
「特有の音階の移り変わり」と言えばいいんでしょうか。
日本人なのに、こういう音楽にそれほど馴染んで来なかったんですね・・・
でも、確実に心の深いところに浸み込んでくる・・・
歌詞を知らないまま、何度も何度も聞かせてもらいました。
母が亡くなった今、このオルゴールは自分の宝物になっています。
さて、この曲の歌詞は・・・
<城ヶ島の雨>
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる
雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓(ろ)でやる
櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ
(続く)
共生へのアンサンブル
3月12日のクラシック音楽館は、
『共生へのアンサンブル』コンサート ~「孤独のアンサンブル」をこえて
の演奏会を中心に構成された番組でした。
新型コロナによるパンデミックになった2020年から3年弱経った昨年の12月1日に開催された演奏会で、
緊急事態制限で外出もままならない孤独な練習から、
ソーシャルディスタンスの制約での演奏を経て、ようやく以前の状況にもどるまでを、
各楽器奏者の独奏から共生へのアンサンブルへと繋いでゆく趣向のコンサートでした。
クラリネットソロで、チャイコフスキー「花のワルツ」
オーボエフルート2重奏で、グノー「アヴェ・マリア」
ソロやデュオでは、奏者の技量がないと、すぐに退屈になってしまうんですが、
花のワルツ、クラリネット1本であれほどの表現が出来るとは!!
後半は4曲しか聴けなかったんですが、大オーケストラ用の3曲とハイドン、本当に素晴らしかった!!
編成は確か、ヴァイオリン3、チェロ2、フルート1、オーボエ1、クラリネット1、ファゴット1、トランペット2、ホルン1、トロンボーン1、打楽器なしだったと思います。
これでマーラー(第6のアンダンテ)もやったんです!
シベリウス「フィンランディア」、ムソルグスキー「展覧会の絵からキーウの大門」は、ウクライナの勝利を願って演奏されたんじゃないでしょうか?
そして、私たちの「コロナの克服」が見えてきた希望としても。
最後は、ハイドンの告別交響曲を奏でることによって、各プレーヤーが元のオーケストラに帰っていくという趣向でした。
まず、これほどの小編成で「聞かせる演奏」になっているというのは、
各プレーヤーの最上の技術、それに、これも最上のアンサンブル能力がないと不可能なのです!
そして、決してオーケストラの演奏に負けていない!
オーケストラ演奏の代用でもない!
自分は、小編成のアンサンブルは大オーケストラより上の表現が出来ると思っています!
小編成では大音量は出せませんが、細やかな彫りの深い表現に驚かされます。
立体的な表現も、実は小編成の演奏の方が上手なんです。
例えば、水戸室内管弦楽団のマーラーのCD!(音源が直接紹介できないのは残念です・・・)
サンサーンス「動物の謝肉祭」10名ほどの編成なんかも良く分かると思います。
Youtubeなら、篠崎さんのマロオケの演奏がいくつか聴けます!
安直な効果なんか全くないので、物足りなく聞こえるかもしれません。
でも、
「基本に忠実に、誠実に音を彫琢していく」
これが真の迫力に繋がっていくことにいつか気付くと思います!!
さらに、ここに奏者の感興が乗ってきた時、
鳥肌が立つような演奏に出会うことがあるんです!!
ぜひぜひ、上質の小編成の演奏を聴いてみて下さい!!
1つ、この演奏を紹介したいと思います。
チャイコフスキー「弦楽セレナード」
演奏:サイトウキネンオーケストラ(小編成)
そして、第2楽章だけでなく、第3楽章エレジアもお聴き逃しなく!
素晴らしく感動的なフィナーレまで続けて聴けます!
きれいであってはならない!
「芸術はきれいであってはならない」
「芸術はここちよくあってはならない」
岡本太郎氏の有名な言葉ですが、自分にはピンとくるものがあるんです!
「きれいだけではつまらない」
「ここちよいだけではつまらない」
と、自分流に言い替えてみました。
芸術はもちろんですが、全てのことに通じるような気がしています!
食べ物でさえ、この名言が当てはまるのではないでしょうか?
自分が一番大切にしたいものは「生命力」です。
多くの人たちがチヤホヤする「儚いキレイさ」なんて、どうでもいいとさえ感じることがしばしばです。
キレイなもの、力強いもの、二者択一なら、
自分は迷わず「力強いもの」に目を向けます!
そして、
「キレイ」は儚く表層的なもの、「美しい」は生命力を併せ持った力強く内面的なもの。
自分はこんな風に捉えています。
感動的な音楽は、決して「キレイ」だけでは言い表したり出来ません。
美しいと表現される音楽には、様々な形の生命力が必ず宿っていることに気付くはずです!
先日、ドラマの中の尼将軍の名言に触れ、やはり同じようなことを感じました!
力強さ、生命力がないとダメなんだと。
二人の指揮者 文字通り命をかけたウクライナ人と、私欲を捨てられなかったロシア人
ウクライナ人の指揮者ユーリ・ケルパテンコ氏が、ロシア兵に射殺された。
彼は、紛争開始以来占領されているウクライナ南部の都市ヘルソンで、
「占領軍への協力を拒否した」ために、
自宅でロシア兵に射殺された。
ロシア側は、
ヘルソンにおける、自称『平和な生活の回復』のデモンストレーションとして、
オーケストラコンサートを利用したかったのだ。
しかし、ケルパテンコ氏は、
「占領軍との協力をきっぱりと拒絶した」
ケルパテンコ氏は、1976年ヘルソン生まれ。享年46歳。
1991年にへルソン音楽学校に入学し、
在学中、民族楽器の演奏家による地方および国のコンクールで受賞を重ねた。
2000年、キーウ国立音楽アカデミーのアコーディオン科を、
2004年には、オペラ・交響楽指揮科を卒業。
ヘルソン音楽・演劇劇場の首席指揮者を務めていた。
国際的に派手なキャリアではないが、
地元の伝統楽器を愛し、地元の芸術の発展に貢献するという、
生まれ故郷のために働いた音楽家だった。
ヘルソン地域は、
かつてクリミア半島やザポリージャ地域と一緒に「タヴリダ」と呼ばれる、
独自の歴史をもつ土地だった。
戦争が始まる前、
ヘルソンに住み音楽を愛した人の中には、ロシア語話者やロシア人もいたはずだ。
もちろんタタール人や他の人たちも。
ヘルソン音楽・演劇劇場が彼らを排除していたとは、とても思えない。
しかし戦争で、
ヘルソンは銃弾と砲撃に踏みにじられ、分断されてしまった。
ケルパテンコ氏は、侵略者のプロパガンダの手先になるのを拒絶して殺された。
ウクライナの敵国ロシアに、対照的な指揮者がいる。
今年10月13日、
ロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフが、
スウェーデンの王立アカデミーから追放された。
「現在ウクライナを攻撃しているロシア政府と緊密に連携している」
ということを理由に、
スウェーデン王立音楽アカデミーから除名された。
ゲルギエフ氏は、プーチン大統領と親しいことで知られている。
モスクワで生まれ、現サンクトペテルブルクでキャリアを築いた人物だ。
2014年のクリミア併合の際には、
いち早く支持を表明し、ロシアの世論に影響を与えた。
また、2012年の大統領選では、
プーチン陣営のテレビCMにも登場し、支持を呼び掛けていた。
ドイツのミュンヘン・フィルで主席指揮者を務めていたが、
すでに解任されている。
フランス、イタリア、アメリカ、オランダなど、欧米のコンサートホールからすでに
「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として扱われていた。
タス通信によると、彼は6月16日、以下のように発言したという。
「私はマリインスキー劇場の責任者」であり、
「マリインスキー劇場には多くの若手演奏家がいるが、
その人たちに時間を割くことができるようになりました」
ウクライナ戦争については、彼はノーコメントを通している。
ミュンヘン・フィルは、
「プーチン大統領に対して、公に距離を置くように」
という要請をしたのに、彼から返事がなかったため、解任したのだ。
ちなみに、
ボリショイ劇場の音楽監督兼首席指揮者を務めるロシア人のトゥガン・ソヒエフ氏は、
同じ状況に置かれているのに、まったく別の選択をした。
フランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督でもあった彼は、
やはり、ウクライナ侵攻に対する態度表明を迫られた。
そして
「最愛のロシアとフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶ」
という不可能な選択を迫られたために、
ボリショイ劇場もトゥールーズのほうも、両方辞任したのである。
今年3月のことだった。
2022年4月、
反骨の反体制ジャーナリスト・アレクセイ・ナヴァルニー氏のチームが、
マリインスキー劇場の若い才能を支援するはずの音楽家名義の慈善基金を通じて、
ゲルギエフ氏が資金流用を行っていたという調査結果を発表した。
慈善基金自体は、
国営企業から4年間で約40億ルーブル(約3800億円)の寄付を受けている。
ゲルギエフ氏は、
その口座を個人の財布として、レストランへの旅行、高級酒や葉巻、飛行機代、医者代、光熱費など、あらゆるものの支払いに使っているという。(!)
また、ゲルギエフ氏は、外国にも1億ユーロ以上の資産を、多数所有しているという。
しかし、これらの財産はすべてゲルギエフ氏の申告書に記載されていないというのだ。
今、若手の教育に本当に時間を割けるというのなら、
ぜひきっちり3800億円分行って欲しい、と言うべきである!
政治と芸術
この問題をどのように咀嚼するべきだろうか。
人々は、才能ある有名な人々の生きざまを、よく見ているものだ。
特に戦時の今は、
人々が良心に従って芸術家を非難し、疎外することは当然あり得る。
たとえ非難され排斥されても、
40年以上経てば、
もし芸術家に本物の才能があり、人々が同情できる隠されていた理由があったり、その難しい立場に理解を示したりできるような要素があれば、
彼らは再評価を受けるだろう。
非難された出来事の当時に若かった芸術家なら、
その後の生き方も人々は見ているだろう。
埋もれてそれっきり、ということはないだろう。
才能がある人に甘くなる気持ちだってあり得る。
でも、どんなに才能があるからといって、
非人道的なことをして良いという理由にはならない。
ルネサンスの時代の昔から、この人間の掟は変わっていない。
才能があるなら許されると思っているなら、それは思い上がりであると思う。
「The Old Chisholm Trail」歌詞の意味
60年ぶりに見つけたレコードの曲は、幼児のために作曲された音楽だと今までずっと思い込んでいました。
ところが、特に子守唄以外は全くそうではなかったのです!
この中の「The Old Chisholm Trail」を前回紹介しましたが、歌詞はどんな内容なんでしょう?
Chisholm Trail(チザム・トレイル)は、
昔テキサスからオクラホマを経て、カンザス州の鉄道駅ウィチタやアビリーンまで牛を運ぶルートに使われた道で、
この歌は、その道中でのカウボーイの日常を何でもかんでも歌にして面白おかしく歌っているんです。
単純だけど調子がよくて、楽しい(時には自嘲的な)ものなんです・・・
歌う人によって内容はさまざまなんですが、代表的なものを挙げてみると、
「みんな傍に来て俺の話を聴いてくれよ
チザム街道での話しをよお~
10ドルの馬と40ドルの鞍にまたがって、
牛たちを追ってテキサスを行くう~
食事とくりゃあ、来る日も来る日もベーコンと豆ばっかり。
ちょっとしかないし、アッという間に食っちまわぁ~
朝から晩まで牛追いでクタクタだってのに、
給料は少ないとくらぁ!
もうあんなbossのためになんか働きたくないってんだ!・・・
早く女房を見つけて、落ち着きたいなぁ~!」
といった、辛い仕事や不満を歌にしてうっぷんを晴らす・・・
みたいな内容なんですね。
でも、そこには陽気なアメリカ気質も顔をのぞかせていて、
ユーモラスなところもあるんですね!
まさに、古き良き時代のアメリカの、
活気に満ちた男たちの歌だったんですね!
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