めぐみちゃん、こんにちは。
昭和52年11月15日。
あなたが北朝鮮に拉致されたあの日から、45年の月日が流れてしまいました。
13歳だっためぐみは58歳。
今、どんな姿なのか、もはや想像することもできません。
お母さんは最近、限られた時間を実感して、身のすくむ日々を送っています。
闇の奥底に捕らわれた被害者も、日本で待つ家族も、老い、体を病み、残された時間は本当にわずかです。
決してあきらめない。
あきらめたくない。
お母さんたちは、人生のすべてをかけた最後の闘いに臨んでいます。
日本は木々の色づきが深まり、少しずつ、底冷えを感じる日が増えてきました。
自然が大好きだったあなたに、祖国の美しい風景を一刻も早く見せてあげたい。
同時に、過酷すぎる北朝鮮の冬を乗り越えることができるのか、心配でなりません。
いらだちは募ります。
明確で非道な国家犯罪を、なぜ解決できないのか。
日本に工作員を侵入させ、子供たちを縛り、船倉の暗闇に閉じ込め、北朝鮮へと連れ去る。
国家主権の侵害そのもので、人権を踏みにじる悪行の極みにほかなりません。
拉致事件が解決され、被害者が祖国の土を踏むのは「正義」です。
それが実現されず、理不尽な状況がひたすら続く。
だからこそ、解決できなければ、日本国の恥です。
そして、これを看過すれば禍根を残し、ふたたび同じような惨禍を招くのではないか。
お母さんは、それが心配でなりません。
次世代に明るい未来をつなぐためには、
私たちの世代で拉致事件という「宿業」をすっきりと解決するしかありません。
すべての政治家、官僚は同じ決意をもっていただきたい。
そして、国民は被害者を思い、声に出し、後押しをしていただきたいのです。
私たち家族はどこにでもいる庶民です。
自らの手で被害者を救い出すことは到底、かないません。
だからこそ、日本国、世界中の皆さまの助けが必要です。
岸田文雄首相は、北朝鮮の最高指導者、金正恩氏と直接対面する決意を示されています。
首脳会談を実現させ、毅然とした態度で、解決に向けた一歩を踏み出していただきたい。
政治は、家族の窮地を直視してください。
「言葉ではなく、具体的な『成果』が欲しい」。
これは、家族すべての共通した宿願です。
切れそうな心の糸を必死につなぎながら、
一日でも早く、その日が来ることを祈る毎日を送っています。
「どこにいるの」「返事をして」。
昭和52年11月15日。
新潟市で、忽然と姿を消したあなたを捜して、必死に声をからしたことを鮮明に覚えています。
まだ小さかったあなたの双子の弟、拓也と哲也を連れ、海岸線を歩きました。
あなたを呼ぶ声が鉛色の海に吸い込まれる絶望感を、今でも忘れません。
あなたに姿が似た女性を見かけると、追いかけて顔を確認しました。
テレビの尋ね人のコーナーに出演して情報を求めたこともあります。
平成9年、あなたが北朝鮮に拉致されたことが分かるまでの20年は、まさに「地獄」でした。
国民の声は少しずつ、でも着実に大きくなり、14年の日朝首脳会談で期待は高まりました。
でも、北朝鮮はあなたが「死亡」したと主張し、偽の遺骨や、噓の経緯を伝え、その主張を変えていません。
首脳会談からさらに20年がたちましたが、事態は進みませんでした。
その間に、多くの家族が逝去し、お父さんも2年前、天に召されました。
「私たちの大切な娘を奪った悪には、徹底的に立ち向かう」
お母さんはいつも、この思いを訴えています。
そして、同じ思いを政治にも持ってほしいのです。
北朝鮮は最近、弾道ミサイルを相次いで発射しています。
核開発を加速させる可能性もあるようです。
複雑に絡まった国際情勢は、理解を超えていますが、
日本国の主体的行動がなければ、拉致事件の膠着を打開するのは難しいはずです。
お母さんは来年2月、誕生日を迎えると、お父さんが亡くなった87歳と同い年になります。
1人で暮らす中で、外に買い物に出かけ、ご飯を作り、風呂の掃除をする。
健康のため、できるだけ体を使うようにしていますが、
ふとしたときに転んだり、よろけたりして、衰えを実感してしまいます。
拓也、哲也に心配をかけることも多くなってきましたが、
日常のささいな困りごとを伝えると、すぐに顔を出してくれます。
私たち親世代が、救出運動の一線に立てなくなり、
子供たちの世代が先頭に立つことになってしまった現実が、ふがいなく、無念でなりません。
だからこそ今一度、微力でも渾身の力で声をあげ、行動し、
残された被害者すべてを祖国に取り戻したいのです。
家族、地域、信仰をともにする方々、拉致の解決に思いを寄せるすべての皆さまに感謝しています。
めぐみちゃん。
きっとあなたのことだから、さまざまな苦難の中でも、必死に頑張っていることでしょう。
お父さんは天から見守ってくれています。
お母さんは、残された時間の全てを、あなたとの再会のためにささげます。
その思いが揺らぐことは決してありません。
生きて必ず、また会いましょう。
その日まで、どうか、待っていてね。
