音楽日記
バルトーク ピアノ協奏曲第3番
以前紹介したPrimeseatベルリンフィル配信で、バルトークの第3ピアノ協奏曲、それにステンハンマルの第2交響曲がブロムシュテットの指揮で聴けるというので、心待ちにしていました。
昨年、2曲とも48kHz24bit 配信が行われ、バッチリ全曲録音させてもらいました!
どちらの曲も、力で押すような演奏だと台無しになってしまう曲だとすごく思っています。
特にバルトークの方は、死の床にあった作曲者が協力者の応援を得ながら、最後の力を振り絞って書き続けた曲なんです。
このデリケートな陰影に富んだ音楽を、ちょっとでも力任せに演奏して欲しくない!
バルトークは、息子に次のように手紙に書いています。
私はお前の母さんのためにピアノ協奏曲を書くつもりだ。
長い間計画が宙に浮いていたものだ。
もしこれを彼女が3、4カ所で演奏できたら、私が断った委嘱作1作分くらいのお金にはなるだろう。
この第3協奏曲が、優れたピアニストであった妻への誕生日プレゼントになるように、とも考えていたようです。
この曲の作曲当時のバルトークは、白血病の末期段階を迎えていたのですが、本人が自分の健康状態をどこまで自覚していたかどうかは分かっていない、と言われています。
いや、彼ははっきりと分かっていたと思います。
白血病の辛さは最近の報道でも知られている通りだし、彼が病名を知らされていなかったとしても、死期を感じていなかったとは考えにくいでしょう。
そう推測させる根拠があります。
この曲の草稿には、最後のページに "vége"(ハンガリー語で「おしまい」)と書き込まれているんです。
病の苦しさと闘いながら、「やっとこれで最後だ!」
この曲も、作曲の仕事も、そして自分も ・・・ これで終わりなんだ、と。
スケッチを完成させた夏頃から急速に健康の悪化したバルトークは、
家族や知人の作曲家らに手伝ってもらい、病床で必死にオーケストレーションを続けました。
しかし、完成まであとわずかの9月に病院に担ぎ込まれ、作業は中断したまま、数日後ついに帰らぬ人となってしまうんです。
文字通りの絶筆になってしまいました。(その後、協力者たちによってこの曲は補筆完成されています)
実は、たった今、Primeseat でこの曲の配信を聴きながら書いています!
前回と同じピアノ独奏はアンドラーシュ・シフ、それにブロムシュテット指揮ベルリンフィルの演奏で、今日の最後のメインはブラームスの第1交響曲なので、前回とは別の演奏会かもしれません。
バルトークと言うと、いかにも難しくとっつきにくく、またピアノ協奏曲第2番などは過激で攻撃的と言える興奮を煽り立てるような音楽なんです。
そんな音楽を書いてきた人の最後の作品がこんなに simple になるとは・・・
とても同じ人が書いた音楽とは思えない・・・
この曲を紹介する時、自分だったら、「まずは、第1楽章の終わりのところから第2楽章全部を聴いてみて下さい」と言うと思います。
この曲の第2楽章を、夏の夜に明かりの周りを飛び交うかげろうに例えている評論家がいました。
翌朝には一生を終えるかげろうが、最後の夜に小さいながらに力を振り絞って優雅に飛び回っている。
最後に一瞬の輝きを放って儚く散っていく命・・・
自分はこのこじんまりした華やかさと儚さをいつも頭に浮かべてしまいます。
そして、特に、第2楽章の終結部。
こんなシンプルな楽章の、そして最後のたった2つの和音がどうしてこんな表現力を宿しているのでしょうか・・・
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