音楽日記 自分の言葉で書いていきたい!

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後期3大交響曲以外も聴いて欲しい チャイコフスキー 交響曲第3番

チャイコフスキーの後期3大交響曲(第4~6番)は別格として、それ以前の3曲も魅力的な面をたくさん持っているんです!

惹かれるメロディーも次々に出てくるし、ドラマティックな場面もちょくちょく現れます。

いわゆる、これぞチャイコフスキー! というような個性をしっかりと持っていると思うんです!

その中でも第3番は、ダイナミックであっても、後期交響曲のように深刻ぶらず、よどまず、次々に魅力的な旋律が出てきます。

特に第3楽章の、アンダンテ・エレジアーコは、ドラマの中の感情が高ぶる一場面のようで、一度聞けばきっと忘れられないでしょう!

第1楽章は、「葬送行進曲のテンポで」という、ちょっとだけ深刻そうな序奏で始まりますが、すぐに、アレグロブリリアンテの輝かしく爽快な主部に続いていきます。

また、アレグロ・コン・フォーコ・テンポ・ディ・ポラッカの力強く華やかな終楽章も、とてもカッコイイんです!

終楽章フィナーレの壮大な輝かしさも、Highに盛り上がれます!

前期交響曲3曲の中では、最も平易な親しみ易さを持った曲だと言えるのではないでしょうか。

バランシン振付のバレエ「ジュエルズ」の最終幕「ダイヤモンド」では、この曲の第2楽章~第5楽章が使われたそうです。

前置きをちょっと長めに書いてみましたが、急にこの曲が聴きたくなり、bluetoothスピーカーでお風呂に浸かりながら、久しぶりに全5楽章を聴いてみました!

次回、ちょっとだけ、迷(?)ガイドをさせていただきますね。

おそるべき情熱のかたまり! シベリウス 交響曲第2番(2)

前回(1)からの続きです。

 

 この曲は、フィンランドの民衆の、解放への熱い想いを表現している! と言う人と、

いや、そのような表題性はなくて、絶対音楽なんだ。作曲者本人がその事を否定しているんだから、そうに決まってる! と言う人がいます。

もちろん、この曲に表題は付けられていませんし、副題もありません。

作曲者シベリウスが明確に表題性を否定しているんだから、これは決定的だと思いますよね?

皆さんにはどのように聴こえるでしょうか? この曲を聴いてどう感じるでしょうか?

 

自分は、今の自分は・・・

当時のフィンランドの人たちの、解放と自由への熱い想いの表現であると、強く確信しています!

もう、この音楽を聴いただけで、そうだ! としか言いようがない!

では、シベリウス本人はなぜ、表題性はないと公言したのか?

だって、もうこの音楽自体が語っているじゃありませんか! 熱く雄弁に! 

真実はそれだけでしょう!

だから作曲者自身が、あとで何を言っても、曲が訴えてくる真実は少しも変わらない。

聴き手が素直な心で聴きさえすれば、言葉なんて関係ない。

シベリウス本人もきっとそう思っていたような気がするんです。

 

昔から、特に自由の無い国のもとで、芸術家も弾圧を受けてきました。

そんな中で芸術家は作品に思いを込め、そして作品自体にだけ語らせる手を使ってきたと思います。

最も最近では、当時のソ連のショスタコーヴィッチがそうだったんじゃないでしょうか。

ショスタコーヴィッチも、あとになって自分の公言を否定したりしています。

 

さて、前回に続いて、

この交響曲第2番の第2楽章以降について、主観的にですが、書いてみたいと思います。

 

第2楽章は、ティンパニのトレモロのあと、低弦のピチカートが続き、ファゴットがほの暗い秘めた旋律を奏でます。

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc (10’ 28” から)

その後、音楽は大きく膨らんでいきますが、明るくはならず、苦悩と葛藤に満ちているようです。

でも熱い気持ちは少しも変わらない。

光明を目指すけど、まだ先が見えない。

その後、苦悩をいさめるような優しいメロディが一瞬現れます。とっても印象的です!

  (15’ 20” から)

しかし、また葛藤に戻り、解決しないまま、この長く暗く重苦しい楽章は終わります。

 

第3楽章スケルツォ、開始からの弦合奏は、実際の激しい闘争のようです。

  (24’ 43” から)

しばし闘争が続いたあと、それがハタと止み、現れるオーボエのメロディー! そしてそれを受け継ぐ弦合奏!

何と素晴らしい瞬間でしょう!

  (26’ 29” あたりから)

はっきりとした、解決と勝利の予感に聴こえるでしょう?!

ここまでの苦悩と葛藤が長かったので、喜びもひとしおです!

自分は、このオーボエが「そうだよ、そうだよ、来るんだよ! 春が!」と言ってるように聴こえるんです!

良く聴いてみて下さい! 他の楽器(チェロとか)も呼応していますね!

(つい最近気づいたんですが、このメロディーはステンハンマルの第2交響曲に引用されているんですね!)

  ( https://www.youtube.com/watch?v=8ey3wdhE1OI  (2’ 57” から繰り返し出てくる))

この勝利の予感は、闘争の弦合奏に中断されますが、

再びオーボエ、他の木管の希望のメロディーが戻り、チェロもはっきりと応え、金管のファンファーレ、弦合奏と受け継がれ、ついに確信に満ちた堂々たる終楽章に突入します!!

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc(29’ 20” あたりからそのまま聴いて下さい!)

この部分の素晴らしさは、もう何と言えばいいのか・・・

そして、大きな大きな大河のような流れになります!

このあとのオーボエ他木管の暗いメロディーは、まだ闘いが終わっていないことを表しているんでしょうか?

  (33’ 19” あたりから)

そして、穏やかで静かな、つかの間のやすらぎのような部分も現れます。

  (34’ 50” あたりから)

まだ不安げな表情も現れますが、そこから徐々に力を取り戻し、終楽章冒頭のメロディーが戻ります。

  (35’ 50” あたりから)

再度、不安でほの暗い部分と力強い部分が繰り返されますが、音楽は確実に勝利に向かっていきます。

そして、ついに、勝利に向かう息の長い盛り上がりのあと、

  (41’ 34” あたりから)

さらに息の長い(!)、勝利を確かめるような、ゆっくりとゆっくりと、巨大な、そして力強い足取りで圧倒的なクライマックスが築かれ、

  (43’ 43” あたりから)

さらに圧倒的な全合奏で、このおそるべき情熱的な交響曲は閉じられます!!

 

参考にさせていただいたリンク先ですが、

フィンランド独立100周年を祝う演奏会での、

ヤン・パスカル・トルトリエ指揮アイスランド交響楽団の演奏です。

 

おそるべき情熱のかたまり! シベリウス 交響曲第2番(1)

このシベリウスの第2交響曲について、うまく書けるかどうか・・・

 

この前、同じ北欧の作曲家ステンハンマルの交響曲ト短調(第2番)について書きました。

ステンハンマルは、自身の交響曲ヘ長調(第1番)を出版しようとしていた時、

シベリウスのこの第2交響曲を聴き、感銘とともに、自身のヘ長調の交響曲の出版を取りやめ、破棄してしまった・・・! と伝えられています。

 

シベリウスのこの第2交響曲は、明朗で春の息吹を全身で感じさせるような、清々しい開始で始まります。

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc

厳寒のフィンランドから初めて訪れたイタリアを、シベリウスは「魔法がかかった国」と呼んだそうです。

イタリアを訪れた作曲家が同様に感銘を受け、音楽として表現した例を、すぐにいくつか思い浮かべることが出来ます。

シベリウスの第2交響曲もイタリア旅行の産物としての音楽なんだな、としか思っていませんでした・・・

まったく何ということ!! こんな熱い音楽なのに、昔の自分は、いったいこの曲から何を聴いていたんでしょうか!

あれから、この曲について色々と調べて、知識が増えたとかで聴き方が変わった?

いいえ!! 絶対に違います!

目が覚めたんだと思っています! 

ちょうどそういう仕事に携わっていた時期だと思います。

願いを実現させよう、気持ちを持って行動しよう、熱く進んでいこう、なんて始終言ってた頃でした。

 

さて、第1楽章はもっと明るく大きく膨らんでいきます。

しかし・・・ 短い休止のあと、オーボエの秘めたテーマ(すでに出てきている)が現れると、熱心な聴き手は、はっとするはずです。

ほの暗い、それも熱を帯びた何かが秘められていると。

   (3’58”から)

明るく見えていたのに、明るいだけではない、何か秘めた情熱を持っている。

とっても惹かれるものがありませんか?

 

明るく開始された音楽は、情熱一色に変わっていき、大きな波となって、おそるべき熱いクライマックスを作り上げます・・・!!

  (5’48”あたりから)

この曲はただならぬものを内包していることが、ここで明らかになります!

まだ曲が始まったばかりなのに!

そして、第1楽章はやや落ち着きを取り戻しながら、穏やかな雰囲気も交えて静かに終わります。

 

また、頭がカッカしてきました。(笑) 今日はこれくらいにしておきますね。

この続きをまた書こうと思っています。

ステンハンマル 交響曲第2番 N.ヤルヴィ指揮

ステンハンマルに興味が湧いたので、交響曲2曲、ピアノ協奏曲2曲、その他が入っている3枚組を注文し、半月ほど経ってイギリスからの船便で届きました。

中古の輸入盤なんですが、送料込みで1680円ちょっと。

このような商品が検索によって探し出せて、しかも手が届く値段で買えるというのは、本当に、驚きと共にすごくワクワクするんです!

昔だったら、全く想像も出来なかったことなんですよ。

CDの通販はHMVに頼っていたんですが、最近はもっぱらAmazonです。

AmazonのImportでも見つからなかったら、Amazon.ukかAmazon.deで探しています。

Discogsも超マイナーなものが探せたりします。

ちょっと困るのは、Amazon.ukやDiscogsへの支払いの時です。

海外への支払いにクレジットカード使用は抵抗があるので、Paypalサービスを使っています。

 

さて、本題の購入CDの演奏についてです。

交響曲第2番は、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏です。

ネーメはパーヴォのお父さんです。また、この曲には「我が親愛なる友人達、エーテボリ交響楽団の団員達へ」との献呈の言葉が添えられています。

この曲に速いテンポはどうかな? 悪くはないんじゃないかな? と思っていましたが、今の自分にはダメでした。

 ゆったり構えてたっぷりと歌う、とか、じわじわと充分なクライマックスへ、とかの期待はほぼ裏切られました・・・

この曲には似合わないと思える、せっかちで乱暴な盛り上がりも随所に登場します。

ちょっと今の時点では、この演奏に手が伸びることはないでしょう。

 

ネットでも評判の Stig Westerberg(スティグ・ヴェステルベリ)の演奏は、やはりとても素晴らしい!

日本でほぼ無名のPetter Sundkvist(ペッター・スンドクヴィスト)の演奏も、自分はとてもいいと思いました!

それから、ブロムシュテットでしょうね。

自分の知っている限りですが、この3人の演奏には、曲に対する深い愛情が感じられます。

 

さて、これから、第2交響曲以外の曲をじっくりと聴いてみることにしますね!

シューベルト 交響曲第8番ハ長調 P.ヤルヴィ指揮 ドイツカンマーフィル

シューベルト 交響曲第8番(大ハ長調)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツカンマーフィルハーモニー管弦楽団

所沢ミューズ アークホール

 

予想以上の超速演奏で、始まると同時に、ああっ・・・と思いました。

どの部分もすごく速めに進んでいく・・・

第2楽章の、あの素晴らしく美しい部分でさえも。

強弱の差は大きいけど、強弱の変化が速い。じわじわと盛り上がったりしない。

弦合奏は、柔らかさより、常にソリッドな感じが強く、また厚みがない。

その割には金管の音量が大きく、金管だけが突出して聞こえることが多い。

弦と金管は融け合うというより、お互いが原色の音で提示される感じ。

最近の古楽器合奏のイメージに近いかもしれません。

ということで、今まで慣れ親しんできた、また感動させられた演奏のスタイルとはまるで違います!

 

しかし・・・

今日の演奏には、生命力、活力が充分に宿っていました!

燃える炎(決して大きな音とかのことではない)も見えました!

音楽を届けてもらう時、この輝きをいつも待っています。

瞬間でもいいんです。粗削りでもいいんです。

完成されたとか、スマートで小綺麗なだけとかの演奏は要らないんです!

今日のオーケストラは、小柄ながら、心意気を充分に感じさせてくれたと思います!

また、アンコールの、シベリウス アンダンテフェスティーヴォは初めて聴きましたが、とても美しい曲でした!

 今日の演奏に感謝します!

はるか彼方を見つめるシューベルトの交響曲第8番ハ長調

今日、ぜひ書いておきたいことがあります。

明日、所沢ミューズでの、シューベルトの第8交響曲(大ハ長調)の演奏会を聴きに行きます!

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルハーモニーの演奏です。

この曲は自分にとって特別に思い入れのある曲なんです。(多分、この曲にそういう想いを持っているファンは多いと思っています!)

当時は曲名が分からないまま2楽章途中までで切れて録音したカセットテープを何度も何度も聴いていました。

ただ、「シューベルトの交響曲ハ長調・・・」だけは録音テープにアナウンスが残っていました。今ならネット検索で一発で分かりますよね。

ある日、テレビ放送からこの曲が流れてきて、「第7番の交響曲」だと分かり、また、曲の最後まで聴くことも出来ました!

この曲は、第7番、第9番、第8番、と番号付けが変わっていきました。そのいきさつは検索してもらえばすぐに分かります。自分が聴き始めた頃は第7番、現在のウィーンでは第8番と呼ばれているようですが、最近まで第9番と呼ばれることが長かったと思います。(すると、この時の第8番はロ短調未完成です。)

副題に、英語だと「The Great」と付いていますが、これは当初、2つあるハ長調交響曲を区別する意味合いしかなかったということです。

「The Great」が大ハ長調、「The Little」が小ハ長調(第6番)です。

 

自分は専門的なことは分かりません。

しかし、この曲は真に偉大で、ベートーヴェン以上だと思い込んでいます。

(専門家はだれもこんなことは言いません! シューマンは天国的な長さだと言った。それは冗長だからだ・・・)

この曲は前を向いた生命力溢れる音楽だ、というのはもちろんですが、自分は、遥か彼方を見つめているシューベルトの姿を思い起こしてしまうんです。

彼の手の届かない希望や未来を見つめているような気がするんです。

希望や未来に対する強いあこがれが、曲の生命力につながっていくのではないでしょうか?

この曲は最近まで、死の年1828年の作と言われてきました。自身の死を実感するほどの状況で、暗さなど微塵も無い、希望に満ちたあのような曲をどうして書けたんだろう?

死を否定し、希望や未来に対する強いあこがれで書かれたからではないか? と思っていました。

しかし、最近の研究で作曲年は1825年~1826年らしいとなったので、この考えは外れているかもしれません。(楽譜が1828年と書き換えられていたという説あり)

でも、シューベルトは貧乏で、まだ充分に認められてもいませんでした。

希望や未来に対する強いあこがれがあったはずだ、と思います。

なぜ、ベートーヴェン以上、などと言いたいのか?

ベートーヴェンはもっと身近な所での闘争と勝利、シューベルトのこの曲は遥か彼方へのあこがれ、という気が強くしていて、ちょっと感傷的な気持ちも加わって「真に偉大」だと強く思ってるんです。

なので、自分はこの曲はまさに「The Great」と呼ばれるにふさわしいと思っているんです!!

(英語だとゴージャスでちょっと安っぽい? 独語の「Die Große」の方がいいですね!)

 

うまく言えませんが、文章で理屈を述べるなんてどうでもいいですね。

明日の演奏は、ヤルヴィがさらりと流して演奏するんじゃないかという不安がちょっとあるんです。

第1楽章開始のホルンのテーマ、第1楽章終結部でこのテーマが堂々と再現される部分、第2楽章の天国から呼びかけられてくるような本当に美しい瞬間、波が繰り返し押し寄せるように力強い第4楽章、そして最後に、繰り返される低弦の強奏がより興奮を掻き立てるフィナーレ。

どのように演奏してくれるのでしょうか?

もしがっかりしたら、感想は書けないので、その前に書いておきました。

ビゼー作曲 ギロー編曲 「神の子羊 Agnus Dei 」のこと

この曲を聴いて、平静ではいられない気分です ・・・

けど、うなされるように、Jose Cura のテノールを何度も聴いている ・・・

https://www.youtube.com/watch?v=CUqyhayyG-4

 

ビゼーの原曲では、この情熱をサクソフォーンの調べの中に封じ込んでいる。

何気なく聴いいただけだと、通り過ぎてしまうような、時に控えめに、ただきれいに聴こえるだけ。

ギローの編曲は、封じ込められているビゼーの情熱を、そのまま表現した!

この曲を目の前にした歌い手は、冷静に歌おうなんて思わないはず。

 

さて、多くのレクイエム、ミサ曲にも出てくるAgnus Dei(神の子羊)の曲調と、この曲はまるで違います。

Agnus Deiの歌詞は、

 

 神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ

 あわれみ給え あわれみ給え われらを

 神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ

 あわれみ給え あわれみ給え あわれみ給え われらを

 子羊よ 神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ

 子羊よ 神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ

 われらに平安を与えたまえ

 神の子羊よ 平安を与えたまえ 神の子羊よ われらに平安を与えたまえ

 われらに与えたまえ 与えたまえ 平安を

 

ビゼーの曲と、この歌詞がどのように繋がっていくのでしょうか?

今の自分には、残念ながら、まだ分からないんです。 

ビゼーの「神の子羊」 朝からノックアウト・・・

ビゼーの劇音楽「アルルの女」は、彼自身の手でオーケストラ組曲に編曲されました。

また、ビゼーの死後、友人のギローは、別の曲を使って新たな組曲として編んでいます。

これらが、順に、第一組曲、第二組曲、というわけです。

この第二組曲に「インテルメッツォ(間奏曲)」があります。

サクソフォーンのメロディーは、一度聴けば忘れられないでしょう。

 

学校の放課後、吹奏楽部の練習は、部員一人ずつ個々の教室を使うことが多いんですが、

前の職場で、サクソフォーンの練習教室から、突然このメロディーが流れてきて、目を閉じて聴き入ったことを思い出しました。

 

たった数分の音楽ですが、美しいとか、崇高とか、そんな言葉では足りない・・・

いや、もっと違う感情が込められていると思うんです。

何気なく流れるように始まるソロが、すぐに熱を帯びてきます。

激しいもの、狂おしいものがこの音楽には込められていると自分は感じます。

序奏から聴けば、ああそうだ! ・・・ と、きっと感じられるでしょう。

このような音楽が生ぬるく聴こえる演奏は、絶対にイヤなんです。

(ごめんなさい ・・・ 録音のせいもきっとあるかもしれない)

 

ギローが、ビゼーの死後、この曲に歌詞をつけたのが「神の子羊」です。

サクソフォーンのメロディーをテノールが歌います。

自分は、このギローの編曲を聴いたことがなく、今朝、何気なく、初めて youtube で聴きました。

 

・・・ 参りました ・・・ 朝からノックアウトされた気分になってしまいました ・・・

 

https://www.youtube.com/watch?v=JXbE7uXz6Ks

バックのオケとずれても、さらに情感を込めようと歌っている。(この録音は序奏がかなりカットされています)

 

https://www.youtube.com/watch?v=VoBwBjBiInI

前半がビゼー原曲、2’ 27” あたりからギロー編曲

 

https://www.youtube.com/watch?v=GwXy-J0j-j4

さすがのパヴァロッティ

 

https://www.youtube.com/watch?v=CUqyhayyG-4

素晴らしい!!

徐々に、徐々に、感情を高めていく ・・・

Jose Cura の熱唱 ・・・ !!

バックのオケ、合唱共にいいです!

スウェーデン、ステンハンマルの交響曲第2番

ここ数日、このシンフォニーが頭の中でエンドレスで響いています・・・

 

ステンハンマル 交響曲第2番 ト短調

https://www.youtube.com/watch?v=8ey3wdhE1OI

 第1楽章冒頭からイイです! そして、そのまましばらく聴いて下さい。1' 30" すぎからの深い憂愁をたたえた表情・・・

 第3楽章(22' 40" すぎから)のノーブルで力強いスケルツォ、さらに 23' 32" からしばらく聴いて下さい!

 極めつけは、終楽章のココ!!(42' 10" すぎから そして 45' 40" すぎからのフィナーレ!!)

 

決して、気難しいとか、とっつきにくいとかないですから、聴いてみて。

10月のN響定期で今年91歳になる、ヘルベルト・ブロムシュテットがこのシンフォニーを振りました!

ブロムシュテットはアメリカ生まれですが、スウェーデン人の指揮者です。

同郷の名作を広く知ってもらいたい、ステンハンマルの気持ちを音にしたい、という願いが強かったはずです。

ちなみに北欧のシンフォニーと言っても、同世代のシベリウス(フィンランド)、ニールセン(デンマーク)が演奏されているばかりだと思います。

この曲は、ロシアでもドイツでもなく、また、シベリウスでもニールセンでもないと感じられます。

終楽章ラストの息の長い、うねるような弦合奏主導の大きな表現は、熱く、胸がいっぱいになります!!

自分も知らなかった曲で、またスウェーデンの交響曲もベルワルド以外は初めて聴きました。

ロマン派の枠を超える新しい音楽ではないと思いますが、素晴らしい曲をまた一つ教えてもらいました!

エアチェック

1970年代の音楽の楽しみ方にエアチェックがあり、夢中になったなあと、とても懐かしく思い出しました。
と言うのは、当時と違った方法で曲を摑まえるように考え、とりあえず安定して録音が出来るようになり、エアチェックを始めた頃を思い出したんです。

エアチェックとは、「テレビ、ラジオの音楽などの放送を録音して楽しむ」趣味でした。
FMラジオ放送では、音楽がそれなりの音質で流されており、
海外国内のライブ、新譜のレコードなんかも聴けました。
当時ナマの音を除けは、音質の良さは、
(1)マスターテープ、(2)LPレコード、(3)FM放送
という順位付けでした。そう言えば、カセットテープに録音された商品も少しだけどありました。
マスターテープは入手不可能だし聴く機会なんてありません。LPレコードだって子どもには高価すぎて買えません。
そんな中で、FM放送はまさに音楽の宝庫と言っていいものでした。
大の大人でも、ライブ放送をテープレコーダー(オープンリール38センチ2トラック!)で録音するんだ! というマニアがいたんですよ。
自分は、中学2年のころから、ずっとこのFMエアチェックに没頭していました。
知らない曲を無料で聴いていけるという、こんな有難い手は他にありませんでした。
当時、オープンリール7号テープにテープ速度9.5cm/sで毎日録音していました。
(ちなみにカセットテープは4.75cm/sです)
ライブ放送がある時は、1cm/sの速さで録りましたね。
FMラジオとテープレコーダーをケーブルでつなぎ、録音レベルを勘で合わせて、曲の始まりを逃さないよう集中するんです!
 録音中も結構真剣でした。(笑) 
家の中の電気製品のオンオフでも雑音が入ったし、ブレーカーが落ちたりしたらもうアウト!
でもテープの残りが少なくて曲が入りきらなかった、っていうのが一番多かったです!(笑)
録音テープだって新しく買ってもらえませんから、ライブ以外の曲は、「この曲は覚えたな」というものから順に消して、次の曲を録音していくんです。というか、お金が無い子どもに出来ることはこれ以外にありませんでした。
テープは何回も録音再生し痛んでいったし、テープが切れて、セロテープで繋いだこともありました。
テープレコーダーのヘッドも摩擦ですり減っていきました。
ヘッドが摩耗し切り、回転系のメカもへたり切ってそのレコーダーはついに使えなくなりました。
次は、親に頼み込んで
安いラジカセ(CDまだない時代です)を買ってもらいました。
結局、このラジカセも、同じように使い込んで壊れてしまうんです。
(大事に使いましたよ。動かなくなるまで愛用しました)
自分でレコードプレイヤー等ステレオ一式を揃えるまで、ラジカセを何台消耗したかもう覚えていません。
カセットテープがワカメ状になっちゃったり、メカに巻き付いたり、カセット内部のハブあたりまで食い込んだりした経験ありませんでしたか?
自分は、カセットケースのねじ止めを外して、修理しました。やはり、テープを切ったり繋いだりして何とか使えるように直しました。
とにかく、子どもには買い替えなんて出来ないんです。
まあ、当時は大人だって、物を修理しながら大切に使うのが当たり前だったと思うんですが。
(続く)