音楽日記 自分の言葉で書いていきたい!

2019年2月の記事一覧

シベリウス 交響詩「吟遊詩人」

この曲を初めて聴いたのは、自分が大学生の時でした。

とても強く、この曲に惹かれました!

自分は、昔から自己表現がすごく下手でした。

大切にしたい気持ちは持っていましたが、それを表せないまま過ごしていたように思います。

 

低い音域の控えめな弦合奏、

そして、つぶやくようなそれでいて何かを秘めているようなハープの調べ。

そして、突如、熱いものがこみ上げてきます!

大きな広がりを伴いながら。

それがおさまると、またハープのつぶやきが戻り、静かに曲が終わります。

派手さとは全く無縁の音楽です。

8分ほどの曲ですから、ぜひ最後まで聴いてみて下さい!

 https://www.youtube.com/watch?v=CwRFit-2Bsc

 

普段は静かだけど、熱い心を失わずに持っていたいという気持ちは、昔より強くなってきたような気がします。

後期3大交響曲以外も聴いて欲しい チャイコフスキー 交響曲第3番

チャイコフスキーの後期3大交響曲(第4~6番)は別格として、それ以前の3曲も魅力的な面をたくさん持っているんです!

惹かれるメロディーも次々に出てくるし、ドラマティックな場面もちょくちょく現れます。

いわゆる、これぞチャイコフスキー! というような個性をしっかりと持っていると思うんです!

その中でも第3番は、ダイナミックであっても、後期交響曲のように深刻ぶらず、よどまず、次々に魅力的な旋律が出てきます。

特に第3楽章の、アンダンテ・エレジアーコは、ドラマの中の感情が高ぶる一場面のようで、一度聞けばきっと忘れられないでしょう!

第1楽章は、「葬送行進曲のテンポで」という、ちょっとだけ深刻そうな序奏で始まりますが、すぐに、アレグロブリリアンテの輝かしく爽快な主部に続いていきます。

また、アレグロ・コン・フォーコ・テンポ・ディ・ポラッカの力強く華やかな終楽章も、とてもカッコイイんです!

終楽章フィナーレの壮大な輝かしさも、Highに盛り上がれます!

前期交響曲3曲の中では、最も平易な親しみ易さを持った曲だと言えるのではないでしょうか。

バランシン振付のバレエ「ジュエルズ」の最終幕「ダイヤモンド」では、この曲の第2楽章~第5楽章が使われたそうです。

前置きをちょっと長めに書いてみましたが、急にこの曲が聴きたくなり、bluetoothスピーカーでお風呂に浸かりながら、久しぶりに全5楽章を聴いてみました!

次回、ちょっとだけ、迷(?)ガイドをさせていただきますね。

おそるべき情熱のかたまり! シベリウス 交響曲第2番(2)

前回(1)からの続きです。

 

 この曲は、フィンランドの民衆の、解放への熱い想いを表現している! と言う人と、

いや、そのような表題性はなくて、絶対音楽なんだ。作曲者本人がその事を否定しているんだから、そうに決まってる! と言う人がいます。

もちろん、この曲に表題は付けられていませんし、副題もありません。

作曲者シベリウスが明確に表題性を否定しているんだから、これは決定的だと思いますよね?

皆さんにはどのように聴こえるでしょうか? この曲を聴いてどう感じるでしょうか?

 

自分は、今の自分は・・・

当時のフィンランドの人たちの、解放と自由への熱い想いの表現であると、強く確信しています!

もう、この音楽を聴いただけで、そうだ! としか言いようがない!

では、シベリウス本人はなぜ、表題性はないと公言したのか?

だって、もうこの音楽自体が語っているじゃありませんか! 熱く雄弁に! 

真実はそれだけでしょう!

だから作曲者自身が、あとで何を言っても、曲が訴えてくる真実は少しも変わらない。

聴き手が素直な心で聴きさえすれば、言葉なんて関係ない。

シベリウス本人もきっとそう思っていたような気がするんです。

 

昔から、特に自由の無い国のもとで、芸術家も弾圧を受けてきました。

そんな中で芸術家は作品に思いを込め、そして作品自体にだけ語らせる手を使ってきたと思います。

最も最近では、当時のソ連のショスタコーヴィッチがそうだったんじゃないでしょうか。

ショスタコーヴィッチも、あとになって自分の公言を否定したりしています。

 

さて、前回に続いて、

この交響曲第2番の第2楽章以降について、主観的にですが、書いてみたいと思います。

 

第2楽章は、ティンパニのトレモロのあと、低弦のピチカートが続き、ファゴットがほの暗い秘めた旋律を奏でます。

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc (10’ 28” から)

その後、音楽は大きく膨らんでいきますが、明るくはならず、苦悩と葛藤に満ちているようです。

でも熱い気持ちは少しも変わらない。

光明を目指すけど、まだ先が見えない。

その後、苦悩をいさめるような優しいメロディが一瞬現れます。とっても印象的です!

  (15’ 20” から)

しかし、また葛藤に戻り、解決しないまま、この長く暗く重苦しい楽章は終わります。

 

第3楽章スケルツォ、開始からの弦合奏は、実際の激しい闘争のようです。

  (24’ 43” から)

しばし闘争が続いたあと、それがハタと止み、現れるオーボエのメロディー! そしてそれを受け継ぐ弦合奏!

何と素晴らしい瞬間でしょう!

  (26’ 29” あたりから)

はっきりとした、解決と勝利の予感に聴こえるでしょう?!

ここまでの苦悩と葛藤が長かったので、喜びもひとしおです!

自分は、このオーボエが「そうだよ、そうだよ、来るんだよ! 春が!」と言ってるように聴こえるんです!

良く聴いてみて下さい! 他の楽器(チェロとか)も呼応していますね!

(つい最近気づいたんですが、このメロディーはステンハンマルの第2交響曲に引用されているんですね!)

  ( https://www.youtube.com/watch?v=8ey3wdhE1OI  (2’ 57” から繰り返し出てくる))

この勝利の予感は、闘争の弦合奏に中断されますが、

再びオーボエ、他の木管の希望のメロディーが戻り、チェロもはっきりと応え、金管のファンファーレ、弦合奏と受け継がれ、ついに確信に満ちた堂々たる終楽章に突入します!!

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc(29’ 20” あたりからそのまま聴いて下さい!)

この部分の素晴らしさは、もう何と言えばいいのか・・・

そして、大きな大きな大河のような流れになります!

このあとのオーボエ他木管の暗いメロディーは、まだ闘いが終わっていないことを表しているんでしょうか?

  (33’ 19” あたりから)

そして、穏やかで静かな、つかの間のやすらぎのような部分も現れます。

  (34’ 50” あたりから)

まだ不安げな表情も現れますが、そこから徐々に力を取り戻し、終楽章冒頭のメロディーが戻ります。

  (35’ 50” あたりから)

再度、不安でほの暗い部分と力強い部分が繰り返されますが、音楽は確実に勝利に向かっていきます。

そして、ついに、勝利に向かう息の長い盛り上がりのあと、

  (41’ 34” あたりから)

さらに息の長い(!)、勝利を確かめるような、ゆっくりとゆっくりと、巨大な、そして力強い足取りで圧倒的なクライマックスが築かれ、

  (43’ 43” あたりから)

さらに圧倒的な全合奏で、このおそるべき情熱的な交響曲は閉じられます!!

 

参考にさせていただいたリンク先ですが、

フィンランド独立100周年を祝う演奏会での、

ヤン・パスカル・トルトリエ指揮アイスランド交響楽団の演奏です。