音楽日記 自分の言葉で書いていきたい!

2020年5月の記事一覧

バルトーク ピアノ協奏曲第3番

 以前紹介したPrimeseatベルリンフィル配信で、バルトークの第3ピアノ協奏曲、それにステンハンマルの第2交響曲がブロムシュテットの指揮で聴けるというので、心待ちにしていました。

昨年、2曲とも48kHz24bit 配信が行われ、バッチリ全曲録音させてもらいました!

どちらの曲も、力で押すような演奏だと台無しになってしまう曲だとすごく思っています。

特にバルトークの方は、死の床にあった作曲者が協力者の応援を得ながら、最後の力を振り絞って書き続けた曲なんです。

このデリケートな陰影に富んだ音楽を、ちょっとでも力任せに演奏して欲しくない!

 バルトークは、息子に次のように手紙に書いています。

 

 私はお前の母さんのためにピアノ協奏曲を書くつもりだ。

長い間計画が宙に浮いていたものだ。

もしこれを彼女が3、4カ所で演奏できたら、私が断った委嘱作1作分くらいのお金にはなるだろう。

 

 この第3協奏曲が、優れたピアニストであった妻への誕生日プレゼントになるように、とも考えていたようです。

この曲の作曲当時のバルトークは、白血病の末期段階を迎えていたのですが、本人が自分の健康状態をどこまで自覚していたかどうかは分かっていない、と言われています。

いや、彼ははっきりと分かっていたと思います。

白血病の辛さは最近の報道でも知られている通りだし、彼が病名を知らされていなかったとしても、死期を感じていなかったとは考えにくいでしょう。

そう推測させる根拠があります。

この曲の草稿には、最後のページに "vége"(ハンガリー語で「おしまい」)と書き込まれているんです。

病の苦しさと闘いながら、「やっとこれで最後だ!」

この曲も、作曲の仕事も、そして自分も ・・・ これで終わりなんだ、と。

スケッチを完成させた夏頃から急速に健康の悪化したバルトークは、

家族や知人の作曲家らに手伝ってもらい、病床で必死にオーケストレーションを続けました。

しかし、完成まであとわずかの9月に病院に担ぎ込まれ、作業は中断したまま、数日後ついに帰らぬ人となってしまうんです。

文字通りの絶筆になってしまいました。(その後、協力者たちによってこの曲は補筆完成されています) 

 

 実は、たった今、Primeseat でこの曲の配信を聴きながら書いています!

前回と同じピアノ独奏はアンドラーシュ・シフ、それにブロムシュテット指揮ベルリンフィルの演奏で、今日の最後のメインはブラームスの第1交響曲なので、前回とは別の演奏会かもしれません。

 バルトークと言うと、いかにも難しくとっつきにくく、またピアノ協奏曲第2番などは過激で攻撃的と言える興奮を煽り立てるような音楽なんです。

そんな音楽を書いてきた人の最後の作品がこんなに simple になるとは・・・

とても同じ人が書いた音楽とは思えない・・・

 

 この曲を紹介する時、自分だったら、「まずは、第1楽章の終わりのところから第2楽章全部を聴いてみて下さい」と言うと思います。 

 https://www.youtube.com

 この曲の第2楽章を、夏の夜に明かりの周りを飛び交うかげろうに例えている評論家がいました。

 

 翌朝には一生を終えるかげろうが、最後の夜に小さいながらに力を振り絞って優雅に飛び回っている。

最後に一瞬の輝きを放って儚く散っていく命・・・

 

自分はこのこじんまりした華やかさと儚さをいつも頭に浮かべてしまいます。

そして、特に、第2楽章の終結部。

こんなシンプルな楽章の、そして最後のたった2つの和音がどうしてこんな表現力を宿しているのでしょうか・・・

 https://www.youtube.com

この自粛期間に繰り返し聞いた音楽

 自分は、この新型コロナウィルス対策自粛期間に、

暗から希望を経て明に至る、ロマン派の典型のような音楽を元気づけに何回も聴いてはいるんですが、

それよりも真っ先に聴こうとした音楽があるんです。

そういう気持ちになった理由の一つは、今回の事件は正に現代特有の問題を内包していると言えると思うからです。

 

 

 ここ数か月で何回も繰り返し聴いたのは、

L・バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」と交響曲第2番「不安の時代」です。

自分が大学時代から、最初はLPレコードで何度も聴いた曲です。

 

第1番の標題のエレミアについて

「エレミア」はテーマが古代で現代とずれている? と思われたかもしれませんが、

この内容は普遍的で、正に現代のかかえる問題の核の部分ではないかと感じています。

 

 紀元前7世紀ごろ、ユダ王国は、台頭してきたバビロニアの勢いに恐れをなしていた。

そこで、ユダ国王はエジプトと手を結んで自国の生き残りを図り、だんだんとエホバへの信仰も失っていった。

このとき王を諌めたのがエレミヤであった。

しかし、王はむしろエレミヤ疎んじて殺そうとしたため、彼は身を隠した。

それからしばらくしてバビロニアがユダ王国に侵攻、王国は滅んだ。

エレミヤはこれを神罰だと叫び、今こそ信仰を取り戻して正しい生活を送る時だと説いた。

しかし、誰もエレミヤの言葉に耳を貸す者はなかった。

 

この曲は、そんなエレミヤの生涯を表現した曲と言われています。

自らの予言の通りにバビロニアに侵攻され、荒れ果てた故国を前に、為す術がなかった自身の無力さを嘆くエレミヤ。

「エホバよ、願わくば我らをして汝にかえしたまえ」というエレミヤの絶望が歌われます。

しかし、音楽は、そんなエレミヤの生涯が未来に多くの共感を呼ぶことを暗示して終わります。

 

バーンスタイン自身の指揮による渾身のライブ演奏のリンクを貼っておきました。

彼がベルリン芸術週間にイスラエルフィルを率いて、あのベルリンのフィルハーモニーで熱演した記録です!

説明の箇所から聴けるようにリンクしてありますので、良かったら聴いてみて下さい!

 

第1楽章「予言」

 冒頭

 4’38”あたりからの弦合奏の悲痛な表現。

第2楽章「冒涜」

 冒頭。この楽章だけ単独で吹奏楽などでも演奏されるようです。

 10’44”からのたとえようのない美しい瞬間もあります!

 力感に満ち肯定的に聞こえますが、預言に耳をかさない異教徒の祭礼を描いているようです。

第3楽章「哀歌」

 冒頭。最後の楽章では、旧約聖書の「エレミヤ哀歌」がメゾソプラノ独唱で歌われます。

 16’14”あたり静かな悲しみと嘆き。素晴らしい・・・

 18’33”からも心に染み入ってくるようです。

 20’20”あたりからの叫び。最後のクライマックスです。

 21’38’”あたりから最後までのひっそりとしたシンプルな表現。目を閉じて聴いてみて下さい。

 

特定の宗教のみが救済をもたらすというテーマではないと自分は思っています。

自分には、日本人が大昔から試行錯誤で得てきた生活や心(文化)を見直すべきではないか? がテーマになります。

 

この曲は解決を示す音楽ではないのに、気持ちが沈んで終わるという表現に自分は聞こえないのです。

皆さんはどうだったでしょうか?