はるか彼方を見つめるシューベルトの交響曲第8番ハ長調
今日、ぜひ書いておきたいことがあります。
明日、所沢ミューズでの、シューベルトの第8交響曲(大ハ長調)の演奏会を聴きに行きます!
パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルハーモニーの演奏です。
この曲は自分にとって特別に思い入れのある曲なんです。(多分、この曲にそういう想いを持っているファンは多いと思っています!)
当時は曲名が分からないまま2楽章途中までで切れて録音したカセットテープを何度も何度も聴いていました。
ただ、「シューベルトの交響曲ハ長調・・・」だけは録音テープにアナウンスが残っていました。今ならネット検索で一発で分かりますよね。
ある日、テレビ放送からこの曲が流れてきて、「第7番の交響曲」だと分かり、また、曲の最後まで聴くことも出来ました!
この曲は、第7番、第9番、第8番、と番号付けが変わっていきました。そのいきさつは検索してもらえばすぐに分かります。自分が聴き始めた頃は第7番、現在のウィーンでは第8番と呼ばれているようですが、最近まで第9番と呼ばれることが長かったと思います。(すると、この時の第8番はロ短調未完成です。)
副題に、英語だと「The Great」と付いていますが、これは当初、2つあるハ長調交響曲を区別する意味合いしかなかったということです。
「The Great」が大ハ長調、「The Little」が小ハ長調(第6番)です。
自分は専門的なことは分かりません。
しかし、この曲は真に偉大で、ベートーヴェン以上だと思い込んでいます。
(専門家はだれもこんなことは言いません! シューマンは天国的な長さだと言った。それは冗長だからだ・・・)
この曲は前を向いた生命力溢れる音楽だ、というのはもちろんですが、自分は、遥か彼方を見つめているシューベルトの姿を思い起こしてしまうんです。
彼の手の届かない希望や未来を見つめているような気がするんです。
希望や未来に対する強いあこがれが、曲の生命力につながっていくのではないでしょうか?
この曲は最近まで、死の年1828年の作と言われてきました。自身の死を実感するほどの状況で、暗さなど微塵も無い、希望に満ちたあのような曲をどうして書けたんだろう?
死を否定し、希望や未来に対する強いあこがれで書かれたからではないか? と思っていました。
しかし、最近の研究で作曲年は1825年~1826年らしいとなったので、この考えは外れているかもしれません。(楽譜が1828年と書き換えられていたという説あり)
でも、シューベルトは貧乏で、まだ充分に認められてもいませんでした。
希望や未来に対する強いあこがれがあったはずだ、と思います。
なぜ、ベートーヴェン以上、などと言いたいのか?
ベートーヴェンはもっと身近な所での闘争と勝利、シューベルトのこの曲は遥か彼方へのあこがれ、という気が強くしていて、ちょっと感傷的な気持ちも加わって「真に偉大」だと強く思ってるんです。
なので、自分はこの曲はまさに「The Great」と呼ばれるにふさわしいと思っているんです!!
(英語だとゴージャスでちょっと安っぽい? 独語の「Die Große」の方がいいですね!)
うまく言えませんが、文章で理屈を述べるなんてどうでもいいですね。
明日の演奏は、ヤルヴィがさらりと流して演奏するんじゃないかという不安がちょっとあるんです。
第1楽章開始のホルンのテーマ、第1楽章終結部でこのテーマが堂々と再現される部分、第2楽章の天国から呼びかけられてくるような本当に美しい瞬間、波が繰り返し押し寄せるように力強い第4楽章、そして最後に、繰り返される低弦の強奏がより興奮を掻き立てるフィナーレ。
どのように演奏してくれるのでしょうか?
もしがっかりしたら、感想は書けないので、その前に書いておきました。
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