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後期3大交響曲以外も聴いて欲しい チャイコフスキー 交響曲第3番

チャイコフスキーの後期3大交響曲(第4~6番)は別格として、それ以前の3曲も魅力的な面をたくさん持っているんです!

惹かれるメロディーも次々に出てくるし、ドラマティックな場面もちょくちょく現れます。

いわゆる、これぞチャイコフスキー! というような個性をしっかりと持っていると思うんです!

その中でも第3番は、ダイナミックであっても、後期交響曲のように深刻ぶらず、よどまず、次々に魅力的な旋律が出てきます。

特に第3楽章の、アンダンテ・エレジアーコは、ドラマの中の感情が高ぶる一場面のようで、一度聞けばきっと忘れられないでしょう!

第1楽章は、「葬送行進曲のテンポで」という、ちょっとだけ深刻そうな序奏で始まりますが、すぐに、アレグロブリリアンテの輝かしく爽快な主部に続いていきます。

また、アレグロ・コン・フォーコ・テンポ・ディ・ポラッカの力強く華やかな終楽章も、とてもカッコイイんです!

終楽章フィナーレの壮大な輝かしさも、Highに盛り上がれます!

前期交響曲3曲の中では、最も平易な親しみ易さを持った曲だと言えるのではないでしょうか。

バランシン振付のバレエ「ジュエルズ」の最終幕「ダイヤモンド」では、この曲の第2楽章~第5楽章が使われたそうです。

前置きをちょっと長めに書いてみましたが、急にこの曲が聴きたくなり、bluetoothスピーカーでお風呂に浸かりながら、久しぶりに全5楽章を聴いてみました!

次回、ちょっとだけ、迷(?)ガイドをさせていただきますね。

おそるべき情熱のかたまり! シベリウス 交響曲第2番(2)

前回(1)からの続きです。

 

 この曲は、フィンランドの民衆の、解放への熱い想いを表現している! と言う人と、

いや、そのような表題性はなくて、絶対音楽なんだ。作曲者本人がその事を否定しているんだから、そうに決まってる! と言う人がいます。

もちろん、この曲に表題は付けられていませんし、副題もありません。

作曲者シベリウスが明確に表題性を否定しているんだから、これは決定的だと思いますよね?

皆さんにはどのように聴こえるでしょうか? この曲を聴いてどう感じるでしょうか?

 

自分は、今の自分は・・・

当時のフィンランドの人たちの、解放と自由への熱い想いの表現であると、強く確信しています!

もう、この音楽を聴いただけで、そうだ! としか言いようがない!

では、シベリウス本人はなぜ、表題性はないと公言したのか?

だって、もうこの音楽自体が語っているじゃありませんか! 熱く雄弁に! 

真実はそれだけでしょう!

だから作曲者自身が、あとで何を言っても、曲が訴えてくる真実は少しも変わらない。

聴き手が素直な心で聴きさえすれば、言葉なんて関係ない。

シベリウス本人もきっとそう思っていたような気がするんです。

 

昔から、特に自由の無い国のもとで、芸術家も弾圧を受けてきました。

そんな中で芸術家は作品に思いを込め、そして作品自体にだけ語らせる手を使ってきたと思います。

最も最近では、当時のソ連のショスタコーヴィッチがそうだったんじゃないでしょうか。

ショスタコーヴィッチも、あとになって自分の公言を否定したりしています。

 

さて、前回に続いて、

この交響曲第2番の第2楽章以降について、主観的にですが、書いてみたいと思います。

 

第2楽章は、ティンパニのトレモロのあと、低弦のピチカートが続き、ファゴットがほの暗い秘めた旋律を奏でます。

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc (10’ 28” から)

その後、音楽は大きく膨らんでいきますが、明るくはならず、苦悩と葛藤に満ちているようです。

でも熱い気持ちは少しも変わらない。

光明を目指すけど、まだ先が見えない。

その後、苦悩をいさめるような優しいメロディが一瞬現れます。とっても印象的です!

  (15’ 20” から)

しかし、また葛藤に戻り、解決しないまま、この長く暗く重苦しい楽章は終わります。

 

第3楽章スケルツォ、開始からの弦合奏は、実際の激しい闘争のようです。

  (24’ 43” から)

しばし闘争が続いたあと、それがハタと止み、現れるオーボエのメロディー! そしてそれを受け継ぐ弦合奏!

何と素晴らしい瞬間でしょう!

  (26’ 29” あたりから)

はっきりとした、解決と勝利の予感に聴こえるでしょう?!

ここまでの苦悩と葛藤が長かったので、喜びもひとしおです!

自分は、このオーボエが「そうだよ、そうだよ、来るんだよ! 春が!」と言ってるように聴こえるんです!

良く聴いてみて下さい! 他の楽器(チェロとか)も呼応していますね!

(つい最近気づいたんですが、このメロディーはステンハンマルの第2交響曲に引用されているんですね!)

  ( https://www.youtube.com/watch?v=8ey3wdhE1OI  (2’ 57” から繰り返し出てくる))

この勝利の予感は、闘争の弦合奏に中断されますが、

再びオーボエ、他の木管の希望のメロディーが戻り、チェロもはっきりと応え、金管のファンファーレ、弦合奏と受け継がれ、ついに確信に満ちた堂々たる終楽章に突入します!!

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc(29’ 20” あたりからそのまま聴いて下さい!)

この部分の素晴らしさは、もう何と言えばいいのか・・・

そして、大きな大きな大河のような流れになります!

このあとのオーボエ他木管の暗いメロディーは、まだ闘いが終わっていないことを表しているんでしょうか?

  (33’ 19” あたりから)

そして、穏やかで静かな、つかの間のやすらぎのような部分も現れます。

  (34’ 50” あたりから)

まだ不安げな表情も現れますが、そこから徐々に力を取り戻し、終楽章冒頭のメロディーが戻ります。

  (35’ 50” あたりから)

再度、不安でほの暗い部分と力強い部分が繰り返されますが、音楽は確実に勝利に向かっていきます。

そして、ついに、勝利に向かう息の長い盛り上がりのあと、

  (41’ 34” あたりから)

さらに息の長い(!)、勝利を確かめるような、ゆっくりとゆっくりと、巨大な、そして力強い足取りで圧倒的なクライマックスが築かれ、

  (43’ 43” あたりから)

さらに圧倒的な全合奏で、このおそるべき情熱的な交響曲は閉じられます!!

 

参考にさせていただいたリンク先ですが、

フィンランド独立100周年を祝う演奏会での、

ヤン・パスカル・トルトリエ指揮アイスランド交響楽団の演奏です。

 

おそるべき情熱のかたまり! シベリウス 交響曲第2番(1)

このシベリウスの第2交響曲について、うまく書けるかどうか・・・

 

この前、同じ北欧の作曲家ステンハンマルの交響曲ト短調(第2番)について書きました。

ステンハンマルは、自身の交響曲ヘ長調(第1番)を出版しようとしていた時、

シベリウスのこの第2交響曲を聴き、感銘とともに、自身のヘ長調の交響曲の出版を取りやめ、破棄してしまった・・・! と伝えられています。

 

シベリウスのこの第2交響曲は、明朗で春の息吹を全身で感じさせるような、清々しい開始で始まります。

  https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc

厳寒のフィンランドから初めて訪れたイタリアを、シベリウスは「魔法がかかった国」と呼んだそうです。

イタリアを訪れた作曲家が同様に感銘を受け、音楽として表現した例を、すぐにいくつか思い浮かべることが出来ます。

シベリウスの第2交響曲もイタリア旅行の産物としての音楽なんだな、としか思っていませんでした・・・

まったく何ということ!! こんな熱い音楽なのに、昔の自分は、いったいこの曲から何を聴いていたんでしょうか!

あれから、この曲について色々と調べて、知識が増えたとかで聴き方が変わった?

いいえ!! 絶対に違います!

目が覚めたんだと思っています! 

ちょうどそういう仕事に携わっていた時期だと思います。

願いを実現させよう、気持ちを持って行動しよう、熱く進んでいこう、なんて始終言ってた頃でした。

 

さて、第1楽章はもっと明るく大きく膨らんでいきます。

しかし・・・ 短い休止のあと、オーボエの秘めたテーマ(すでに出てきている)が現れると、熱心な聴き手は、はっとするはずです。

ほの暗い、それも熱を帯びた何かが秘められていると。

   (3’58”から)

明るく見えていたのに、明るいだけではない、何か秘めた情熱を持っている。

とっても惹かれるものがありませんか?

 

明るく開始された音楽は、情熱一色に変わっていき、大きな波となって、おそるべき熱いクライマックスを作り上げます・・・!!

  (5’48”あたりから)

この曲はただならぬものを内包していることが、ここで明らかになります!

まだ曲が始まったばかりなのに!

そして、第1楽章はやや落ち着きを取り戻しながら、穏やかな雰囲気も交えて静かに終わります。

 

また、頭がカッカしてきました。(笑) 今日はこれくらいにしておきますね。

この続きをまた書こうと思っています。

ステンハンマル 交響曲第2番 N.ヤルヴィ指揮

ステンハンマルに興味が湧いたので、交響曲2曲、ピアノ協奏曲2曲、その他が入っている3枚組を注文し、半月ほど経ってイギリスからの船便で届きました。

中古の輸入盤なんですが、送料込みで1680円ちょっと。

このような商品が検索によって探し出せて、しかも手が届く値段で買えるというのは、本当に、驚きと共にすごくワクワクするんです!

昔だったら、全く想像も出来なかったことなんですよ。

CDの通販はHMVに頼っていたんですが、最近はもっぱらAmazonです。

AmazonのImportでも見つからなかったら、Amazon.ukかAmazon.deで探しています。

Discogsも超マイナーなものが探せたりします。

ちょっと困るのは、Amazon.ukやDiscogsへの支払いの時です。

海外への支払いにクレジットカード使用は抵抗があるので、Paypalサービスを使っています。

 

さて、本題の購入CDの演奏についてです。

交響曲第2番は、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏です。

ネーメはパーヴォのお父さんです。また、この曲には「我が親愛なる友人達、エーテボリ交響楽団の団員達へ」との献呈の言葉が添えられています。

この曲に速いテンポはどうかな? 悪くはないんじゃないかな? と思っていましたが、今の自分にはダメでした。

 ゆったり構えてたっぷりと歌う、とか、じわじわと充分なクライマックスへ、とかの期待はほぼ裏切られました・・・

この曲には似合わないと思える、せっかちで乱暴な盛り上がりも随所に登場します。

ちょっと今の時点では、この演奏に手が伸びることはないでしょう。

 

ネットでも評判の Stig Westerberg(スティグ・ヴェステルベリ)の演奏は、やはりとても素晴らしい!

日本でほぼ無名のPetter Sundkvist(ペッター・スンドクヴィスト)の演奏も、自分はとてもいいと思いました!

それから、ブロムシュテットでしょうね。

自分の知っている限りですが、この3人の演奏には、曲に対する深い愛情が感じられます。

 

さて、これから、第2交響曲以外の曲をじっくりと聴いてみることにしますね!

シューベルト 交響曲第8番ハ長調 P.ヤルヴィ指揮 ドイツカンマーフィル

シューベルト 交響曲第8番(大ハ長調)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツカンマーフィルハーモニー管弦楽団

所沢ミューズ アークホール

 

予想以上の超速演奏で、始まると同時に、ああっ・・・と思いました。

どの部分もすごく速めに進んでいく・・・

第2楽章の、あの素晴らしく美しい部分でさえも。

強弱の差は大きいけど、強弱の変化が速い。じわじわと盛り上がったりしない。

弦合奏は、柔らかさより、常にソリッドな感じが強く、また厚みがない。

その割には金管の音量が大きく、金管だけが突出して聞こえることが多い。

弦と金管は融け合うというより、お互いが原色の音で提示される感じ。

最近の古楽器合奏のイメージに近いかもしれません。

ということで、今まで慣れ親しんできた、また感動させられた演奏のスタイルとはまるで違います!

 

しかし・・・

今日の演奏には、生命力、活力が充分に宿っていました!

燃える炎(決して大きな音とかのことではない)も見えました!

音楽を届けてもらう時、この輝きをいつも待っています。

瞬間でもいいんです。粗削りでもいいんです。

完成されたとか、スマートで小綺麗なだけとかの演奏は要らないんです!

今日のオーケストラは、小柄ながら、心意気を充分に感じさせてくれたと思います!

また、アンコールの、シベリウス アンダンテフェスティーヴォは初めて聴きましたが、とても美しい曲でした!

 今日の演奏に感謝します!