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2011年3月11日

 平成23年3月11日、自分は東松山市の高校に勤務していました。

その日は卒業式で、すでに式典は終わり、別会場で謝恩会が催されている時間でした。

そして、午後2時50分頃あの東日本大震災の揺れが東松山にも到達したんです。

「あ、大きい!」とすぐに感じたものの、少し待てばおさまるだろうと様子をうかがっていました。

ところが、おさまるどころか、揺れはどんどん大きくなっていきました。

建物が揺れと共に突き上げられるような感じで、信じがたいような強さの揺れが続いていきました。

もうさっきと違って、「ああ、これでオレは死ぬな・・・これが本当の地震なんだな・・・」と思ったことをはっきり覚えています。 

でも、その時自分はとっさに、「サーバーの電源を切らなくちゃ!」とコンピュータを守ろうと駆け回ったんです。

当時自分はIT関係コンピュータ関係の担当だったので、全生徒のデータ、先生方の仕事の大部分のデータを守らなければならない立場でした。

でも、責任があるから動かなくちゃいけないと思ったのではありません。

そういう時は体が反射的に動いてしまうものでしょう。

これらのデータは、失われれば学校の機能がストップしてしまうほど重要なものですから。

今なら埼玉県のセンターに一括してデータ保管を任せていますが、当時は各学校による管理でした。

もちろん、サーバーのバックアップも常時取っていましたが、そのバックアップサーバーもクラウドではなく学校内にあったんです。

その時の東松山の震度は「5強」を記録しました。

 

 その後、長かった揺れがやっとおさまり、死の不安とデータの破壊からはとりあえず解放されました。

しかし、職員室のテレビに映し出された映像は信じがたいものでした・・・

ゆっくりとゆっくりと、海面の盛り上がりが大きく大きくなっていき、海は河口を遡り、堤防を乗り越え、

船、車、そして建物、大きな施設などもあっけなく呑み込まれ、今度はそれらがゆっくりと押し流されていく・・・

船が、車が、そして大きな住宅までもが流されていき、その流れはどんどん早くなっていきました・・・

人々が一生懸命長い年月をかけて作り上げてきた街を、巨大な魔物が有無を言わせずに根こそぎ運び去っていくような光景でした・・・

その映像は、現実のものなのか、いや悪夢を見ているに違いないと、誰もが思っていたはずです・・・

 

 あれから9年後の今日、あらためて当時の津波の映像を見ることにしました。

見るのに少し躊躇がありましたが、Youtubeで再生してみました。

その映像をしばらく注視していましたが、突然涙がボロボロ出てきて、それ以上見ることは出来ませんでした・・・

この映像が目に映っている時の感覚は、胸全体を押さえつけられているような、底なしの絶望感のような・・・

最後はいつもおおらかに私たちを包んでくれるはずの自然が、突如、無言で恐ろしい牙をむいてきたんです!

この被災の悲しみを、怒りを、叫びを、いったいどこにぶつければいいのか・・・

 

 しかし

現地の方々の気持ちは、今でも、とても言葉で言い表せるようなものではないと思うんです・・・