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繁栄と引き換えに失った心

もう20年も前の、瀬戸内寂聴さんの文章ですが、読んでみて下さい。

自分は、現代人も多かれ少なかれ気付いていて、心に突き刺さっている内容だと思っています。

でも、現状に悲観せず、行動できることを実践していきたいと強く思っています!

そして、考え方についても、

変えていかなければならない点、または昔に戻った方がいい点があると思います。

失った心は、きっと取り戻せるはずです!

取り戻したいですよね!!

 

繁栄と引き換えに失った心(瀬戸内 寂聴)

 二十世紀を振り返ると、目覚ましい科学の進歩をあげなければならない。

八十年近くも生き、大正、昭和、平成三代を見てきた私は、自分の生涯の中で、今ほど悪い時代はなかったように思う。

あの愚かな戦争の時代さえ、聖戦だと教え込まれ、洗脳されきっていた私たちは、奇妙に明るい空気の中にいた。

正義の戦争に勝たねばならないという意気に燃え、張り切っていた。

だまされた国民の愚かさをわらう前に、戦後半世紀たった今の日本の、信じられない復興と繁栄を前にして、それとひきかえに失ったものの大きさに茫然(ぼうぜん)としてしまう。

私の子供時代は、四国の田舎町には、電話のある家は少なく、ラジオは金持ちの家にしかなく、扇風機の廻る家も数えるほどであった。

しかし、井戸水はおいしく、かまどで炊いたご飯はおかずがいらないほど美味で、つつましい食事で成人病はほとんどなかった。

学校は楽しく、テレビもない代わり、家庭には団欒(だんらん)と笑い声があった。

先生は頼もしく、医者は親切で、僧侶は博学で清らかだった。

今世紀もあと一年という今、それらのよき思い出はすべて消え果ててしまった。

人は与えられた定命にさからい、何としても長生きしようとあがき、臓器移植術はすすみ、クローン人間まで生まれそうな気配である。

人間の限りなき欲望のため、自然は破壊され尽くされようとしている。

目前の便利と利欲のため、人間は魂まで売り渡すようになってきた。

このままで、人間は二十一世紀に生き続けられるだろうか。

日本は滅びへの道を回避できるのか。

見失い、あるいは捨てられたあたたかな心を、取り戻すことが出来るのか。

こういう危機感に切実に怯えるのは、年寄りのたわいない老婆心と、嘲笑(ちょうしょう)を買うだけのものであろうか。