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アメリカ人の友人から言われた「終戦記念日」に対する意外な一言

 8月15日の終戦記念日。

アメリカの主要メディアでも、毎年8月上旬になると必ずや第2次世界大戦の回顧や日本での戦没者追悼式典などがニュースになる。

ただし原爆投下や終戦について、人々の会話の中で話題に上るかと言うと、筆者の周りを見てもそれほど議論の対象にはなっていない。  

デリケートな内容であるが故、万が一話題に持ち出す際には、政治問題同様に細心の注意が必要なのだ。

 2000年初頭にアメリカに移住した筆者は、ふとしたきっかけでアメリカ人の友人と太平洋戦争の話になったことがある。

その友人はそれまで数年間日本に在住経験があり、知友にも恵まれどちらかと言うと日本びいきだ。

しかし、話が太平洋戦争、特に原爆投下のことになると目の色が変わった。  

筆者の出身地は福岡県の小倉近くで、そこは本来、原爆投下予定地だった。

「『もし小倉に落ちていたら私たちは今ここにいないかも』という話を両親からされたことがある」という話を何の気なしにしたところ、普段はおっとりした性格のその友人はこう言い放った。  

「降伏を促したにもかかわらず日本は戦争を続行した。あの原爆が落ちなかったら戦争はもっと長引き、自分の祖父をはじめさらに多くの犠牲者が出ただろう。自分も今ここにいないかもしれない」  

売り言葉に買い言葉だったのかもしれないが、気心知れた仲だからこそ冷や汗が出る出来事だった。

それ以来、友人との会話に戦争の話題を持ち出す際は、十分すぎるほど配慮するようにしている。  

原爆投下の是非については日米で受け止め方が大きく異なっており、しばしば議論の俎上に載せられる問題である。  

『ナガサキ―核戦争後の人生』の著者でもあるノンフィクションライターのスーザン・サザード氏は、「原爆が戦争を終わらせたという考えは許容できない」とし、改めて被爆者の声を聞き、悲劇を二度と繰り返してはならないと綴った。  

またオリバー・ストーン氏も自身が監督した2012年のドキュメンタリー番組『語られていないアメリカ史』を通し、原爆投下不可避論者に異議を唱えている。

しかしそれらの意見は少数派だ。

あくまでも多数派は筆者の友人のような意見であり、一般的なアメリカ人の原爆投下に対する代表的な意見と言っても過言ではない。