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真っすぐな人間に味方がつく訳ではない・・・

 とうとう「麒麟がくる」の最終回の日になってしまいました。

放送まであと1時間ちょっとです。

山崎の戦いも描かれるのでしょうね。

自分は、詳しい史実は知らないんですが、ちょっと書かせて下さい。

 

 本能寺の変のあとの秀吉との戦いにそなえて、光秀は盟友の細川藤孝、筒井順慶に共に戦ってくれるよう働きかけました。

ところが、藤孝は頭を丸めて出家してしまい、順慶は迷ったあげく参戦を断ったのです。

この時の順慶の態度を表す「洞ヶ峠を決め込む」という諺が残っているほどです。

この諺は、順慶が光秀の求めに一旦は応じて洞ヶ峠まで兵を進めたものの、そこでどちらが優勢なのかを見極めて、結局は兵を引いてしまったという言い伝えによるものです。(事実は違うとも言われていますが)

順慶は日和見をしたということになっているのです。

しかし、自分が思うに、情勢は秀吉有利という状況がほぼ伝わっていたのではないでしょうか?

細川藤孝、筒井順慶だけでなく、明智光秀に加担する勢力が乏しかったのは、順慶だけでなく他の武将たちも日和見をしていたのではないかと思うのです。

「裏切者が成敗されるよう、皆が正義に加担した」という訳ではないんだと思っています。

情勢が有利な勢力に加担しただけだと思うのです。

ある意味、光秀の行動が正義だったと思っていた人間も多数いたはずですから。

 

 皆さんも経験したり見たりしたことがあるのではないでしょうか?

正しいことを言う人に必ず味方がつく訳ではないということを。

真っすぐな気持ちが必ずしも受け入れられる訳ではないということを。

 

 予想に反して助けてくれる勢力が少なかったこと。

何より盟友が味方についてくれなかったこと。

この時の光秀の心情を思うと・・・

 

 「本能寺の変の黒幕は秀吉」という説は証拠はないそうですが、

光秀が信長を討ちそうな気配があるということは、秀吉は事前に掴んでいたんだろうと、自分も思っています。

そして、本能寺の変の後のことへの対応も万全だったんでしょうね。

結局、上手に動いた秀吉が勝ち、明智一族は全て滅ぼされ、光秀の動機も想いも永遠の謎になってしまったのです。

 

 さて、このあと、光秀の想いをどのように現代の私たちに伝えてくれるのでしょうか?