「稀勢の里の引退が物語るもの」
ある論評 <稀勢の里の「潔さゼロ」の引退が物語るもの> を紹介したいと思います。
題に一瞬ドキッとしましたが、ライターの稀勢の里への強い想いがこもっていました!
道を究めようとした一人の男の想いに焦点があてられています。
黙々と頑張り続けた人間を、いつもこのような視点で理解したいと、強く思います。
引退会見で、17年間の土俵生活で貫いた信念は何かと問われた稀勢の里は、
「絶対に逃げない。その気持ちです」と答えた。
稀勢の里が土俵上で体現し続けた、まっすぐ当たって前に出る、愚直な相撲は、まさしく「逃げない」信念の現れだ。
それは得難い個性として多くのファンを引き付け、初優勝、横綱昇進、新横綱場所での大ケガを乗り越えての劇的の優勝として結実した。
そして、大ケガをきっかけに不振が続いても、引退せず、休場して出直すという道を選び続けたのもまた、「このまま引退したら逃げることになる」という思いからではないか。
「横綱らしくない」「潔くない」という非難は、当然、その耳に届いていたはずだ。
しかし、稀勢の里は、葛藤の末に、横綱の理想像に反することを承知の上で、「逃げない」という自分の信念と心中する覚悟を決め、散ったのだろう。
歴代横綱を見渡してみても、理想の横綱像を体現したといえる者は数えるほどしかいない。
しかし、それぞれの横綱には、得難い個性がある。
芸術品のような技能を誇る横綱もいれば、破天荒な相撲や言動が魅力の横綱もいる。
体に恵まれなくとも、精いっぱいの相撲でファンを喜ばせた横綱もいる。
横綱とは、一つの美しい理想像として描かれるものではなく、歴代の72人の横綱というピースが集まってできたモザイクのようなものではないか。
72のピースの一つひとつに、同じものはない。
色も形も違うピースが、それぞれの輝きを放つ。
その集合体こそが横綱であり、理想の横綱像とは、その輝きをいっそう増すための装置に過ぎないように思える。
稀勢の里の魅力は、「絶対に逃げない」という信念を貫いたことにある。
苦しみぬいたこの2年間は、その魅力にさらに違った彩りを与えた。
引退して完成した稀勢の里という横綱のピースは、ほかの71のピースにはない、唯一無二の輝きを放ち続ける。
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