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「本能寺の変に至る経緯」がどのように描かれるのか?

 大河ドラマ「麒麟がくる」も終盤にさしかかっていますが、終わりは2月のようで少しホッとしています。

というのも、主人公の明智光秀つまり長谷川博己さんが戦死してしまうのを見たくないんですね・・・

彼の演じる光秀が観ている人たちの心に入り込んでいるからだと思いますが、志半ばで散っていく勇者に感情移入してしまうのは自分だけではないと思います。

でも、志半ばで散っていく勇者と言うのなら織田信長だって同じですよね。

織田信長を演じる染谷将太さんの演技も本当に凄いですよね!

しかし今回も、やはりというか、「信長は周りから多くの恨みをかっていたんだろう。だから成敗されてもしょうがない」という流れになっているのではないでしょうか?

この織田信長の真の姿も知りたいですよね?

今回の大河ドラマでは、今までの「エキセントリック一辺倒の性格」ではなく信長の冷静で落ち着いた面も描かれているように感じます。

しかし、こんな考察がネット上にありました。

明智光秀が「信長を討ったあとの計画を綿密に考えていなかったようだ」というのは、本能寺の変が光秀自身の野心ではなく、信長の暴走を止めるための行動で、自分の行動は周りから「裏切りというより正義だと評価されるのではないか」と考えていたからではないか? と。

しかし実際は、明智光秀に加勢しようとする勢力はほとんど現れなかったのですね・・・

それも羽柴秀吉の行動があまりにも素早かったから?

明智光秀に協力する勢力がもう少しあったなら、彼の描いていた理想の国、彼が目指していたもの、そして彼の真意を私たちは見れていたんだと思うと、やはり明智光秀という人物に感情移入してしまうんですね。