2020年12月の記事一覧
アンモニア合成の発明者ハーバー 「栄光と影」(2)
ベルギー西部のイーペルは、第一次世界大戦中の1915年4月、史上初めて本格的な毒ガス戦の舞台の町となりました。
催涙ガス弾などはそれまでにも使われていましたが、ドイツ軍はイーペルの草原で4月22日、致死性の高い大量殺傷用ガスを初めて用いたのです。
人の粘膜を破壊し、呼吸困難などに陥れて殺害する塩素ガスです。
これをきっかけに、ドイツ軍に限らず英仏など連合国側もたがが外れたように化学兵器を使い始めました。
双方はホスゲンなど新種の兵器を次々に投入。
第一次大戦での毒ガスによる死者は約10万人に上り、市民も含む100万人以上が負傷したといわれています。
戦争と科学の発展は切っても切れないのですが、その陰で戦闘員ではない大量の一般市民が命を落としてきました。
こうした兵器を開発した人は、どんな思いで生涯を過ごしたのでしょうか。
「平時は人類のため、戦時は祖国のため」
この塩素ガスを兵器として開発したのが、「化学兵器の父」と呼ばれるドイツの化学者フリッツ・ハーバー博士(1868~1934)だったのです。
「科学というものは、平時は人類のため。戦時は祖国のため」
それが愛国者だった彼のモットーでした。
開発に成功した時、ドイツ国内ではほとんど反対の声もなく、彼はまさに英雄でした。
彼はドイツのエリート層、特にドイツの皇帝に認められたい一心だったのです。
第一次大戦が終わった年の1918年には、過去に手掛けたアンモニア合成法の業績が認められてノーベル化学賞まで受賞しています。
もっともこの受賞には戦時中の敵国だった英国やフランスから激しい非難の声が上がりました。
ですが、ハーバーの名声はノーベル賞を機にさらに高まっていきました。
今も続く追悼式
イーペルは毒ガス戦だけでなく激しい砲撃戦の舞台ともなりました。
今、この町には当時ドイツと戦った英国側の戦没兵の名前が刻まれた門「メニン・ゲート」があります。
大英帝国戦没者墓地委員会が1927年に建立したもので、54896人の名が残っています。
英国をはじめとした連合軍兵士は、この門を起点に戦場へ向かいました。
門にはオーストラリアやインド、カナダなどからの出征兵士の名前も多く刻まれています。
祖先の追悼のため、今も世界中から多くの人々が訪れる場所なのです。
イーペルでは毎晩、戦没者の追悼演奏が行われています。
式典を主催する民間団体「ラストポスト協会」はトランペット演奏をする楽団を含め、20人以上のスタッフ全員がボランティア。
各自、仕事が終わってから門に駆け付け、15分ほどの式典を行います。
この団体幹部のベノワ・モトリーさんによると、
「1928年以降、ナチス・ドイツによる占領時代を除いて毎日続けています。追悼の思いを一日たりとも忘れないためです」
2020年には新型コロナウイルスの影響でこのイベントの続行が危ぶまれました。
ですが欧州メディアによると、今も見物客の人数を制限し、互いの距離を取りながら、追悼演奏は続けられているということです。
「英雄」を待ち受けていた運命
さて、ドイツの英雄となったハーバーはその後どうなったのか。
1933年にヒトラー率いるナチスが政権を握ると、彼の人生は暗転していく。
彼はユダヤ人だったのだ。
ナチスのユダヤ人迫害政策の影響で、徐々にハーバーは「追われる身」となる。
ドイツを愛し、ユダヤ教からキリスト教に改宗までしたハーバー。
だが彼は結局そのドイツから裏切られ、1933年に研究機関を去ることになる。
フランスに住んでいた息子を頼り、まずハーバーはパリに逃げた。
さらに英国などを転々とした後、1934年1月にスイス・バーゼルで病死した。
ライン川が流れるこの町の目と鼻の先には、彼が愛し抜いた祖国ドイツがあった。
世界はその後も化学兵器を使い続けた。
第二次大戦、ベトナム戦争、イラクのクルド人が虐殺されたハラブジャ事件、化学テロである地下鉄サリン事件、そしてシリア内戦。
第一次大戦から100年以上たった今も、それは現在進行形で人類の脅威であり続けている。
シリアではアサド政権による猛毒神経ガス・サリンなどを使った化学兵器攻撃が何度も疑われている。
だが政権側はその度に使用を否定し、国際調査も進まない。
ハーバーは毒ガスの使用について、同僚にこう説明していたという。
「むしろ使用によって戦争を早く終結させ、多くの人の命を救える」
この論理は、のちに第二次大戦で広島、長崎への原爆投下を正当化した米国側の主張にそっくりだ。
しかし大量破壊兵器の使用はこうして21世紀の今も続き、多くの人が命を失い続けているのが現実でもある。
祖国ドイツのため、化学兵器開発を誇りに思っていたハーバー。
だが彼は死の直前、息子にこんな遺言を残している。
「クララと一緒の墓に埋めてほしい」
毒ガスを開発した男が人生の最後に思い出したのは、その毒ガスの使用に抵抗した最初の妻クララだったのだ。
二人は今、スイス・バーゼルの同じ墓に眠っている。
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