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被災映像から受ける感情、そして私たちが考えたいこと

今回の風水害で、住宅が濁流に飲まれていく映像を目にしました。

無残に潰された住宅や車、かろうじて屋根だけが見える水没した大きな施設なども。

3.11大震災、特に大津波の時もそうでした。

自分にとって、音楽は言いようのない湧き上がるような力を与えてくれるものなんですが、

被災の映像を目にすることは、まさにこれと正反対の感情を与えられることであり、その感情に否応なく覆われてしまうことだと、今更ながらに気付きました・・・

もちろん誰よりも被災された方こそが、この言いようのない打ちのめされたような感情に覆われてしまうのだろうと思うのですが・・・

何があっても、掟さえ守っていれば最後は人間の見方をしてくれる自然の力に、激しくそれも続けて翻弄されているのですから。

これほど人の気持ちを打ち砕くことがあるでしょうか?

 

地球は本当に温暖化しているのか? という疑問の答を待たずに、そして社会や生活が変わっていくことだけに頼らずに、個々で出来ることを実践していきたいと、この前書きました。

こんな本を中古で手に入れました。

「地球を救う365の方法」です。

前書きを読んでみると、現在の特に途上国以外の人間は、1人あたり明治時代に比べて45倍のエネルギーを使いながら生活していることが書かれています。

このエネルギーの使用とは、照明や冷暖房だけではない訳です。

私たちが使いながら捨てている物、はるか遠方から運ばれてくる食べ物、時間短縮のために利用する交通機関、物を手早く入手するための流通サービス、などなど・・・

身の回りの大部分のことにエネルギーの利用が関係していて、自分自身もこれらのサービスをフルに利用していることに気付かされます。

 

少しづつでも、まずは不完全なままでも、何か実行していきたいと思っています。

この、地球を救う行動について、実行しながらここに書いていけたらいいなと思っています。