何でも雑記
頑張れ!! 被災地の受験生!
頑張れ!
受験生!
頑張れ!!
被災地の受験生!!
本当に頑張ったことだけが身になって残る。
皆さんが力を出し切れるよう、最後まで応援しています!!
畠山重忠像(1月13日夕刻撮影)
お正月の玄米もち
ちょっと間抜けなタイミングになってしまいましたが、お正月の玄米餅についてです。
昨年も餅つき機で作ってみたんですが、仕上がりが今一つでした。
そこで、今年は2合ずつ2回に分けて作ってみました。
1回目の様子を観察しておけば、2回目は改良版が出来るんじゃないかと。
昨年は、蒸し水の量とつき時間は普通の白餅と同じでやりました。
蒸し時間は蒸し水が蒸発して無くなるまでなので、こちらでは設定できません。
蒸し時間を長くしようと思ったら、蒸し水の量を増やせばいいんです。
さて、今年の1回目は、温湯に2時間ほど浸してから、蒸し水は標準量で蒸しました。
つき時間は、標準時間の1.5倍ほど。
このやり方だと、餅米の粒がかなり残っていて芯まである状態でした・・・
でも、これは鏡餅にしようと決めていたので、この状態のまま形を整えてお供えしました。
次の2回目ですが、
まず、前日、洗った餅米を熱湯に浸し、1晩置いておきます。
炊飯のように加熱し続けるのではなく、熱湯に浸してそのまま置いておくんです。
翌日、蒸し水2倍量、つき時間2倍でやってみました。
蒸し水2倍量入りきらなかったら、1回目の蒸しが終わったあと水を追加して2回蒸しします。
このやり方で、餅米の芯も残らず柔らかい餅が出来ました!
ただ、つき時間が長すぎるのはダメみたいです。
意外なことに、腰の無い柔らかい餅になってしまうようです。
今回も、もう少し餅にコシがあった方がいいかな? って感じでした。
なので、つき時間は、標準の1.5倍くらいの方がいいかもしれません。
地震でやけどの5歳児 入院できず亡くなる
石川県志賀町に住んでいた中川叶逢くん(5歳)
「オムライスとから揚げとか好きでした。
『ママ作ったご飯おいしい』って。
スーパーで仕事の服を着ている人に会うと
『お仕事お疲れさま』と、全く知らない人にも言っていました。
すごく優しい子でした」
「元気に生まれまして、大きくて」
スマホの中に詰まった息子とのたくさんの思い出。
叶逢くんは、能登半島地震に命を奪われました。
「生まれてきてくれてありがとうとか、
叶逢のママでよかったよとか、
もっと色々したかったとか、
もっとどこでも連れて行ってあげればよかったとか、
時間をもっと作ってあげればよかったという後悔があります」
元日の夕方、大きな揺れが石川県を襲いました。
2人は志賀町の親戚の家にいて、石油ストーブでお餅を焼いていましたが、
地震でのせていたやかんが倒れ、熱湯が叶逢くんにかかりました。
やけどの範囲がおしりや足など広範囲に及んでいたため、すぐに救急車を呼びましたが・・・
「救急車が来ないので自分の車で行こうと思って。
道路も割れているし、怖かったんですけど。
おしりのやけどだったので、車に乗ったら『痛い』と言って乗ってくれなくて」
「やけどでは出動できない」と一度は断られるも、
自力で移動できず、再度119番して別の町にある病院に搬送されました。
しかし・・・
「処置したら終わりって感じ。
すごく泣いていました。
『痛い』って。
薬も塗るけど痛がるし、皮もめくれていて肉が見える状態だったので、
危険な状態なのになんで入院させてもらえなかったのかな・・・」
入院出来ず、自宅での治療を余儀なくされた叶逢くん。
3日の朝に高熱を出し、同じ病院の集中治療室に入りました。
しかし、その時も・・・
「部屋があくまでずっと救急の入り口で待っていて、
顔もちょっと青白くなっていて、色変わっていて、もう息がとまっていることがわかって・・・」
待機をさせられた叶逢くん。
5日に息を引き取りました。
「熱湯が私に全部かかっていたら無事やったのかなとか考えたりしています・・・」
12月に建てたばかりの娘夫婦の新居も全壊 オレ泣きました
寒ブリ漁の盛んな珠洲市三崎町寺家地区だが、漁船はことごとく流され、大破し、使い物にならない。
「まぁ、想定外やね。
この辺りの寒ブリは、みんな船流されたり裏返ったりして、もうダメですわ。
でも、もうダメになったもんをどんだけ悲観しても変わんない」
辻さんは地震のあった元日は、能登半島の最先端にある須須神社にいたという。
「私は須須神社の氏子総代もやっとるもので、受付のお手伝いで上がっとったんよ。
それで『今日の神楽は終わり』と告げた途端にガーッと揺れ出した。
隣の区の集会所の高台に避難して、波が落ち着いてから歩いて自宅に戻ったんだけど、
道なんかずっと、水が高い位置まできとったから、やっとで家までたどり着いたわ。
ただおかげさまで怪我人はでましたが、寺家には犠牲者はいません。
犠牲者は出なかった。
しかし、津波が奪ったものはあまりにも大きかった。
娘夫婦の新築したばかりの家が、壊滅したのだ。
「ウチの娘と婿さんがクリスマス前に沿岸部に家を新築して、
12月10日に完成して入居したばっかのとこでよ。
娘は妊娠中で高台にあった実家に来とって、助かったんだけど、新築の家はダメになってますわ。
新居見てきてくださいよ。
俺泣きましたよ。
泣きました、俺。
娘と婿に『ここに土地あるさかいにこっちこいや』て建てさせたのに。
俺が呼んださかいにこんなんなってしもうた。
娘と婿は2日に大事なものだけ取り行くと新居行って、2人で泣いて帰ってきて・・・
『保険入っとんたんか』って俺もそこまで聞かれへんでね。
今は娘は金沢のほうに避難して、赤ちゃんも来月出産予定で落ち着いてるんだけどね。
娘さんはまだ20代で、大工の夫と直前までは珠洲市の飯田地区で暮らしていたという。
「3年前に結婚して、新居は大工の婿さんが自分で建てた家なんよ。
こだわって、でかいサッシ使ったり自分でいろんなもん選んで建てた家だったからなぁ」
氷見で積雪 つらい朝 避難所は毛布1枚に2、3人
能登半島地震から1週間を迎えた8日、
最大震度5強の揺れに襲われた氷見市では断続的に雪が降った。
寒さの厳しさが増し、
避難所に身を寄せる市民からは
「朝の冷え込みがつらい」
との声が漏れた。
家屋の倒壊・損壊が激しい姿地区では
「雪の重みでさらに崩れていないだろうか」
と自宅の確認に訪れる避難者も。
被災者は見通せない先行きに苦悩を深めている。
石川県境に近い姿地区は午前10時ごろ、雪が降っていた。
「何もかもわやくそや(めちゃくちゃや)」
桑原桂子さん(88)は、雪の積もった全壊の母屋前で大きなため息をついた。
鉄筋コンクリート造の増築部分は形を残すが、断水で台所も風呂も使えない。
自宅は大工だった夫が生前に建てた。
「下手な父ちゃんが住民に協力してもらってできた家なんよ」
と寂しさを募らせた。
桑原さんは自主避難所となっている姿集落農事集会所に、長男とともに発災時から身を寄せている。
外出していて無事だったが、生活用品や貴重品は全てつぶれた家の中。
この1週間、着替えることができず、風呂にも入れていない。
集会所では避難者や集落の女性が交代で料理を作るなど住民が支え合っている。
「感謝でみんなに気の毒な」
と桑原さん。
今後は市が検討を進める避難住宅への入居を考えているとし
「自宅はつぶすしかない。周りに迷惑がかかり、早くしたいが、お金がなくどうしようか」
と途方に暮れた。
姿自治会集会所に避難している上田章枝さん(62)は、自宅が半壊した。
「きょうまで毛布は2,3人で1枚だった。
寒さと断水がきつい」
と厳しい表情。
飲料水の支援はあるが、
お湯を自由に使えず、冷水での洗い物に苦しんでおり、生活再建のめども立っていないという。
指定避難所の市ふれあいスポーツセンターには63人が避難している。
中央町の女性(81)は降雪による寒さに悩み
「重ね着してコートも着て、毛布と布団をかけて寝ても背中がゾクゾクする」
と漏らした。
市によると、センターには保健師2人が常駐しているが手一杯の状況。
高齢者ケアなど福祉面に課題があり、市が対策を考えている。
高岡市伏木地区では、住民や業者が復旧に追われた。
住民らは
「雪が積もる前に進めたい」
と黙々と作業に励んだ。
金物屋を営む鍛治勇さん(79)は
「除雪も加わると負担が増える。このまま積もらないでほしい」
と話した。
伏木古国府中部自治会では、麦谷久雄会長(73)が住民宅を訪ねてごみの出し方などを伝えた。
道路の液状化で融雪装置が埋まっているとし、
「雪が積もれば動けない可能性もあった。これから心配だ」
と語った。
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