音楽日記
この自粛期間に繰り返し聞いた音楽
自分は、この新型コロナウィルス対策自粛期間に、
暗から希望を経て明に至る、ロマン派の典型のような音楽を元気づけに何回も聴いてはいるんですが、
それよりも真っ先に聴こうとした音楽があるんです。
そういう気持ちになった理由の一つは、今回の事件は正に現代特有の問題を内包していると言えると思うからです。
ここ数か月で何回も繰り返し聴いたのは、
L・バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」と交響曲第2番「不安の時代」です。
自分が大学時代から、最初はLPレコードで何度も聴いた曲です。
第1番の標題のエレミアについて
「エレミア」はテーマが古代で現代とずれている? と思われたかもしれませんが、
この内容は普遍的で、正に現代のかかえる問題の核の部分ではないかと感じています。
紀元前7世紀ごろ、ユダ王国は、台頭してきたバビロニアの勢いに恐れをなしていた。
そこで、ユダ国王はエジプトと手を結んで自国の生き残りを図り、だんだんとエホバへの信仰も失っていった。
このとき王を諌めたのがエレミヤであった。
しかし、王はむしろエレミヤ疎んじて殺そうとしたため、彼は身を隠した。
それからしばらくしてバビロニアがユダ王国に侵攻、王国は滅んだ。
エレミヤはこれを神罰だと叫び、今こそ信仰を取り戻して正しい生活を送る時だと説いた。
しかし、誰もエレミヤの言葉に耳を貸す者はなかった。
この曲は、そんなエレミヤの生涯を表現した曲と言われています。
自らの予言の通りにバビロニアに侵攻され、荒れ果てた故国を前に、為す術がなかった自身の無力さを嘆くエレミヤ。
「エホバよ、願わくば我らをして汝にかえしたまえ」というエレミヤの絶望が歌われます。
しかし、音楽は、そんなエレミヤの生涯が未来に多くの共感を呼ぶことを暗示して終わります。
バーンスタイン自身の指揮による渾身のライブ演奏のリンクを貼っておきました。
彼がベルリン芸術週間にイスラエルフィルを率いて、あのベルリンのフィルハーモニーで熱演した記録です!
説明の箇所から聴けるようにリンクしてありますので、良かったら聴いてみて下さい!
第1楽章「予言」
第2楽章「冒涜」
力感に満ち肯定的に聞こえますが、預言に耳をかさない異教徒の祭礼を描いているようです。
第3楽章「哀歌」
冒頭。最後の楽章では、旧約聖書の「エレミヤ哀歌」がメゾソプラノ独唱で歌われます。
21’38’”あたりから最後までのひっそりとしたシンプルな表現。目を閉じて聴いてみて下さい。
特定の宗教のみが救済をもたらすというテーマではないと自分は思っています。
自分には、日本人が大昔から試行錯誤で得てきた生活や心(文化)を見直すべきではないか? がテーマになります。
この曲は解決を示す音楽ではないのに、気持ちが沈んで終わるという表現に自分は聞こえないのです。
皆さんはどうだったでしょうか?
クラシック音楽ファンに突きつけられた警鐘 テオドール・クルレンツィス
1972年ギリシャ生まれ。今年48歳になる話題の指揮者、テオドール・クルレンツィス。
もうYoutubeでも彼の演奏を聴くことができます。
一聴した感じでは、アグレッシヴで切れ味鋭い。大音量と小さな音の差が際立つ。
しかし、まだ精緻な表現になっているとは言えないのでは?
自分だって、お行儀のいい綺麗なだけの表現なんて聞きたくもないけれど、
鳥肌が立つような真のエキセントリックな表現とは、もっと深みのあるものだと感じる。
今日、チャイコフスキーの悲愴交響曲全曲を聴いてみた自分の感想です。
でも、彼の言いたいことの本質はその通りだと思うし、これから先、コマーシャリズムに乗らない本当の仕事をしていけるのなら、彼が真の表現者になっていくんだと思います!
今、色々と言われても、時間が真の評価を下すでしょう。
以下、インタビューで彼の語ったことをいくつか紹介してみます。
「僕たちの演奏にはいつも賛否両論の反応があるんだけど、自分たちはどちらかといえば保守的だと考えているんだ。
なぜなら僕たちは、作曲家が何を求めていたか、それを信念を持って追求しているのだから。
今は世の中全体が商業的だから、信念を持たずに仕事をしている人たちが多いんじゃないかな。
だから信念を持って何かをする僕たちが奇妙に映るのかもしれない」
「僕にとって理想的なのは、ムジカエテルナのメンバーたちと一緒に修道院にこもって、朝日が昇るのとともに瞑想しリハーサルをする生活。
そこに、僕たちの音楽を聴きたい人たちだけが聴きにくる。
そして3か月に一度ぐらいは外に出て、僕たちのスピリチュアルを街の人に聴いてもらう。そんなコミュニケーション」
「僕たちのミッションは、まずはスコアに書かれている音を再現すること。
でもそれだけではなく、音楽に書かれているスピリットを表現しなければならない。
残念ながら音楽大学の学生たちが学んでいる99パーセントは、『正確に音を出す』ということ。
そして、『こう弾けばこういう感情に聴こえる』というテクニックだ。
けれども、自分自身がスピリチュアルを持っていなければ、音の本当の意味は伝わらない。
それを自分で感じなければならない」
「僕はミュージック・ラヴァーだからね。いい音楽を聴いてきたよ(笑)。
ロックもかなり聴いた。ヨーロッパ、アメリカ、日本のアンダーグラウンドの音楽には素晴らしいものがたくさんあるんだ。そしてワールド・ミュージック。たとえば1960年代のグアテマラの音楽とかね。
僕はそういう新しい表現にとても興味があったんだけど、そんな率直さが現在のクラシック音楽にはちょっと欠けているんじゃないかな。
見せかけだけの偽物になっているような気がする。
プロフェッショナルな音楽家が、毎日毎日同じようなものを再現してお金をもらう。
結婚式のうわべの祝辞みたいに、何の意味も込められていない。
僕にとってはロックやオルタナティヴ・ミュージックのほうが、偉大なシンフォニー・オーケストラの音楽よりもよっぽど楽しい。
ワールド・ミュージックのミュージシャンたちのほうが、アカデミックな音楽家たちよりも、クラシック音楽に対する理解が深いと思うんだ」
そんなあなたがどうしてクラシックの世界にとどまったのかと問われると、
「もちろんクラシックがベスト・ミュージックだからさ」と即答した。
「そんなの、ジャンキー(麻薬中毒者)に、なぜクスリをやめないんだ?と訊くのと一緒だよ(笑)」
そのうえで、現状のお行儀のいいクラシックに警鐘を鳴らすのだ。
「僕は音楽的な家庭で育つことができた。5歳の頃からセックス・ピストルズを聴き、そしてクラシックの教育も受けた。
とてもオープンに音楽を聴き、理解していたんだ。
でも他の子供とは違って、街で聴かれている音楽と先生が教えてくれる音楽が違うということに気がついた。
その両方を理解することが、僕にとってはとても大きかったと思う。
アカデミーに走ってしまう人は、世間の音楽をあまり経験することがない。
音楽が何を伝えたいのかという生の声を見失ってしまっているように思う」
ウィーンフィルハーモニー・2020ニューイヤーコンサート
今年のウイーンフィルニューイヤーコンサートは、アンドリス・ネルソンスがタクトを振りました。
ネルソンスは、今年41才の新鋭指揮者で、昨年末惜しくも病で急逝したマリス・ヤンソンスと同じラトビア出身です。
今回の演奏ですが、彼のシンフォニーコンサートで強く感じられるアグレッシブな輝きをここでも感じ取ることが出来ました!
ウィンナワルツは伝統的なドイツオーストリアの本拠地の古典音楽ですから、独墺系の昔ながらの演奏スタイルで再現される、又は再現しようとすることが多いでしょう。
しかし、このような音楽にも新風を吹き込む演奏が必要なのではないかと自分は感じています。
もちろん、エキセントリックな、小手先だけの手法では上手くいかないのは当然です。
オーケストラと指揮者が入念なリハーサルを経たあと、本番で、
いかに感興に乗れるか、いかに興奮出来るか、いかに狂気を出せるか、特に指揮者は、最後にこの「輝き」「生命力」をプレイヤーから引き出そうとするのではないでしょうか?
多くのリハーサルを積み、最後は奏者の魂を解放させるということではないでしょうか?
もちろん、演奏はこの要素だけで成り立っている訳ではありませんが、この魂の解放を何より大切にした指揮者を思い出します。
ハンス・クナッパーツブッシュ、シャルル・ミュンシュ、レナード・バーンスタイン、カルロス・クライバー・・・そして最近では、ベルリンフィルのシェフに就任したキリル・ペトレンコ。
ネルソンスからも、そのような方向の演奏を聴きたいと願っています!
ブリテン キャロルの祭典
クリスマス・イヴにまさにピッタリの曲を聴いて欲しいと思います!
ベンジャミン・ブリテンの「キャロルの祭典」という、合唱とソロハープの曲です。
自分は、昔、器楽曲に反して、人の声の音楽が好きではありませんでした。今はもちろん、抵抗なく大好きなんですが。
でも、この曲は聴いたとたん、好きになりました!
そして、それまで自分が聴いたいかなる音楽とも異なっていたし、いつも大好きな情熱あふれる音楽でもありませんでした。
日常から遠く離れた、清らかな別世界に連れていってくれる音楽です。
1. 入堂 Procession
2. 主の降誕を歓迎! Wolcum Yole!
3. そのようなバラはない There is no Rose
4a. あの幼児が That yonge child
4b. 子守り歌 Balulalow
5. 四月の露のように As dew in Aprile
6. この赤子が This little Babe - 聖Robert Southwell, 1595
7. 間奏曲 Interlude - ハープ独奏
8. 凍りつく冬の夜に In Freezing Winter Night - 聖Robert Southwell, 1595
9. 春のキャロル Spring Carol
10. 神に感謝 Deo Gracias
11. 退堂 Recession
Youtubeでは紹介したい演奏が見つかりませんでした。
このニコニコ動画も広告が入っていますが最初だけだと思うんです・・・
そして、画面は見ずに音だけ聴いて下さい。(ちょっと音がボケてますが、うるさいのよりはいいと思います)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm6956541
それでは、皆様に良いクリスマスでありますように・・・
夏が行ってしまう前に、紹介したい曲
ここ数日、早朝から涼しかったり、雨が降っていたりです。
日の出が遅くなっているのも、はっきりと分かります。
あれほど暑かった今年の夏も、ゆっくりと去っていこうとしています・・・
今朝林にさしかかると、ヒグラシの静かだけど大勢の合唱が聞こえてきました。ヒグラシって夕方だけじゃないんですよね。
そして雨がポツポツと降ったり止んだり。
その中を傘を差したり閉じたりしながら速足で職場に向かいました。
この空気なら確実に快適なんだけど、やっぱりさみしい・・・
自分は、スピードウォーキングの時、人通りがまばらな時間ならYoutube その他を使って音楽を小さい音で聞いています。
イヤフォンは使わず、腰ポケットのスマホから聞こえてくる小さな音を聞きます。
馴染んでいる曲なら、途切れ途切れに聞こえるだけでも音楽を追っていけるんです。
今年の夏が行ってしまう前に、若々しく、とびっきり情熱的なワンシーンを紹介したいと思います。
マーラーの交響曲第1番「巨人」の、第4楽章開始からちょっと過ぎた部分です。
39 ′ 27 ″ からのところです!
長い長い呼吸の盛り上がり!
そして 41 ′ 22 ″ ~ 42 ′ 21 ″ のクライマックス!
さらに、そこから43 ′ 06 ″ まで長い時間をかけてゆっくりとゆっくりと波が引いていく部分!
馴染んだら、目を閉じて音だけに集中して聴いて欲しいんです。
若々しく素晴らしく、いつ聴いてもとても熱い音楽だと感じます!!
・・・ この部分のあとは、劇的な音楽が展開されていきます!
最後に、フィナーレの凄い熱狂をどうぞ!!
53 ′ 00 ″ から聴いて下さい!
ヒンデミットの音楽はとっつきにくいけど・・・
ヒンデミットの「画家マチス」をFM放送で久しぶりに聴いて、ヒンデミットの他の曲も聴いてみようと思い立ちました。
自分のCDを探してみたら、弦楽と金管のための演奏会用音楽、ウェーバーの主題による交響的変容、室内音楽第2番、等が見つかりました。
ヒンデミットについて、「ロマン派の次の時代の音楽を造ったが、無調には向かわなかった」とありますが、今までの自分には、まだすんなりと馴染めていなかったんです。
でも、今回改めて聴いてみて、特に、弦楽と金管のための演奏会用音楽、室内音楽第2番には興味が湧き、ピアノ協奏曲の形態である室内音楽第2番は、ちょっと面白さを感じました。
あ、まだ「これ聴いてみて」とか言える段階ではないんですが。
自分は、中学生のころ、馴染みやすい音楽とか馴染みやすいメロディーとかが元々あって、そうでないものは馴染みにくいんだと思っていました。
まあ、このことは少しは当たっているんでしょうか?
でも、そのあと自分なりにですが、大きな発見をしたんです!
それは、全く無意識の間それもかなり長い間に繰り返し聞いた音楽が、自然に自分の中に浸み込んでいるという事実でした!
最初に馴染みにくいと感じた音楽に、無意識のうちに馴染めていたということです!
これは自分にとって凄いことで、驚きでもあったし、とっても嬉しいことでもありました。
あまり意識せずに色んな曲を聴いていけば、多くの未知の曲が自分の中に浸み込んできて、また好きになれるというはっきりとした実感が湧いてきたんです!
でもこれって、特別なことのようですが、実は全く普遍的なことではないでしょうか?
たとえば、ある初対面の人のことを理解しようとしたとします。
意識して短い時間の中でその人のことを知ろうと努力しても、その人と普段同じ時間を普通に過ごしてきた人の方が、はるかにその人のことを深く理解していると思います。
無意識の長い時間を一緒に過ごしてきた家族とか同じ職場の人については、ごく自然に深く理解しているのではないかと思うんです。
特にクラシック音楽(この言い方は好きではないのですが)を難しいとか、とっつきにくいとか思っている人がいたら、一度、無意識に長い時間付き合ってみることを強くお薦めしたいと思います!
そこには、簡単には言い表せない、とても多くの世界が広がっています!
たかが音楽のくせに、決して小綺麗なんかじゃない、激しい情熱も、狂気さえも、この世界の中には表現されていると、はっきりと感じることができるんです!
そうです!
「たかが音楽」なんかじゃないんです!!
スペイン アルベニスの組曲イベリア
この頃、かーっと暑くなる陽射しが、時々ですが顔を出すようになってきました。
こんな時、自分は、アルベニスのイベリア組曲を良く聴きたくなります。
ああ、この「イベリア」を聴く季節が来たなぁ、と思うんです。
この曲に対する自分のイメージは、もう焼けるような陽射しの夏の田舎の港町なんです。
暑くて外に出る人もいない頃の、海が目の前にある港町。
海面は陽の光を反射してキラキラと輝いている。
焼けるような陽射しの中、ひっそりと佇む質素な家たちとその間の路地。
そんな中で、イベリアの第1曲エヴォカシオンが瞑想的に静かに聞こえてきます・・・
自分が生まれた長崎の小島と景色がだぶるんです。
(続く)
NHK大河ドラマ「国盗り物語」の主題曲!
車で出かける時に、色々なCDを持って行くんですが、
今日は、「NHK大河ドラマ主題曲集」を数枚の中に入れて出かけました。
このCDは、自分が高校時代に夢中になって観た「国盗り物語」のテーマ音楽が入っているんです!
ドラマの中身の素晴らしさはもちろん(!)なんですが、このテーマ音楽に自分はぞっこんだったんです!!
ドラマは、戦国時代に天下の制覇を夢見た斎藤道三が主人公で、野望半ばで倒れた道三の意思を継ぐ織田信長、明智光秀も活躍します。
今日、出かけた道中、車の中でこのテーマ音楽を久しぶりに聴いたんですが・・・
参りました・・・!!
今聴いても、とってもいいんです! カッコいいんです!
ぜひとも、皆さんにも聴いて欲しいです!
そうなんです! 特に、1′ 18″ からのこの部分!!
熱い希望に満ち溢れた若者の心を、これ以上ない男らしい力強さと優しさで、そしてロマン溢れる響きで表現している、とでも言えばいいんでしょうか!
音楽が熱いんです!!
何度聴いても、胸がいっぱいになります!
この幸せな春の日にふさわしい音楽!
今日も晴れています!
柴犬コータも自分の帰宅をすごく喜んでくれて、朝の散歩もいつものように再開しました!
昨日の素晴らしい陽気の中で、本当にごく自然に脳裏に響いてきた音楽を紹介します!
イギリス、R.ヴォーン ウィリアムスのWasp(すずめばち)序曲です。
この曲の中の、2つめのテーマです!
https://www.youtube.com/watch?v=5FzSt1oulfA
すずめばちの羽音の描写のあと、勇壮な行進曲風の部分に続き、まずは1’30’” 付近から聴いてみて下さい。
そして、・・・ もう、体全体が包み込まれるような音楽・・・ 3’09” あたりからです!!
胸がいっぱいになります!
この、春の最高に幸せな日にピッタリだと感じませんか?
そして、悲しい気持ち、辛い気持ちから、一瞬でも解放されていくのをしっかりと実感できるんです!
音楽の底知れぬ力! 自分は音楽の持っている、まさに生命力だと思っています。
PrimeSeat 2019年シーズンのベルリンフィル配信
PrimeSeatは、
株式会社インターネットイニシアティブが提供する、デジタル高音質音楽配信サービスです。
24Bit96kHzPCMデータをネットで無料配信するというのですから、ちょっと凄いことなんです!
PCMということは、もちろん非圧縮音源です。
その上、超目玉なのは、ベルリンフィルのライブ配信などを定期的にやってくれるところです!!
ライブ配信以外に、聞き逃し配信期間もしばらくあります。
キリル・ペトレンコの就任記念コンサートなんかも配信してくれました!
R.シュトラウスのドンファン、死と変容、それにベートーヴェンの第7番でした。
このコンサート、凄かったんですよ!!
2019年シーズンのベルリンフィルアワーの配信が、今日から開始されました!
ハイティンクの指揮で、シューベルトの未完成交響曲、それにマーラーの大地の歌です。
(テノールはクリスティアン・エルスナー、バリトンはクリスティアン・ゲルハーヘル)
ただし、この録音は2016年10月のもので、新しい録音や今年のライブ配信の予定は、まだ全部決まっていないようです。
すごく楽しみな、ネット上の番組なんです!
シベリウス 交響詩「吟遊詩人」
この曲を初めて聴いたのは、自分が大学生の時でした。
とても強く、この曲に惹かれました!
自分は、昔から自己表現がすごく下手でした。
大切にしたい気持ちは持っていましたが、それを表せないまま過ごしていたように思います。
低い音域の控えめな弦合奏、
そして、つぶやくようなそれでいて何かを秘めているようなハープの調べ。
そして、突如、熱いものがこみ上げてきます!
大きな広がりを伴いながら。
それがおさまると、またハープのつぶやきが戻り、静かに曲が終わります。
派手さとは全く無縁の音楽です。
8分ほどの曲ですから、ぜひ最後まで聴いてみて下さい!
https://www.youtube.com/watch?v=CwRFit-2Bsc
普段は静かだけど、熱い心を失わずに持っていたいという気持ちは、昔より強くなってきたような気がします。
後期3大交響曲以外も聴いて欲しい チャイコフスキー 交響曲第3番
チャイコフスキーの後期3大交響曲(第4~6番)は別格として、それ以前の3曲も魅力的な面をたくさん持っているんです!
惹かれるメロディーも次々に出てくるし、ドラマティックな場面もちょくちょく現れます。
いわゆる、これぞチャイコフスキー! というような個性をしっかりと持っていると思うんです!
その中でも第3番は、ダイナミックであっても、後期交響曲のように深刻ぶらず、よどまず、次々に魅力的な旋律が出てきます。
特に第3楽章の、アンダンテ・エレジアーコは、ドラマの中の感情が高ぶる一場面のようで、一度聞けばきっと忘れられないでしょう!
第1楽章は、「葬送行進曲のテンポで」という、ちょっとだけ深刻そうな序奏で始まりますが、すぐに、アレグロブリリアンテの輝かしく爽快な主部に続いていきます。
また、アレグロ・コン・フォーコ・テンポ・ディ・ポラッカの力強く華やかな終楽章も、とてもカッコイイんです!
終楽章フィナーレの壮大な輝かしさも、Highに盛り上がれます!
前期交響曲3曲の中では、最も平易な親しみ易さを持った曲だと言えるのではないでしょうか。
バランシン振付のバレエ「ジュエルズ」の最終幕「ダイヤモンド」では、この曲の第2楽章~第5楽章が使われたそうです。
前置きをちょっと長めに書いてみましたが、急にこの曲が聴きたくなり、bluetoothスピーカーでお風呂に浸かりながら、久しぶりに全5楽章を聴いてみました!
次回、ちょっとだけ、迷(?)ガイドをさせていただきますね。
おそるべき情熱のかたまり! シベリウス 交響曲第2番(2)
前回(1)からの続きです。
この曲は、フィンランドの民衆の、解放への熱い想いを表現している! と言う人と、
いや、そのような表題性はなくて、絶対音楽なんだ。作曲者本人がその事を否定しているんだから、そうに決まってる! と言う人がいます。
もちろん、この曲に表題は付けられていませんし、副題もありません。
作曲者シベリウスが明確に表題性を否定しているんだから、これは決定的だと思いますよね?
皆さんにはどのように聴こえるでしょうか? この曲を聴いてどう感じるでしょうか?
自分は、今の自分は・・・
当時のフィンランドの人たちの、解放と自由への熱い想いの表現であると、強く確信しています!
もう、この音楽を聴いただけで、そうだ! としか言いようがない!
では、シベリウス本人はなぜ、表題性はないと公言したのか?
だって、もうこの音楽自体が語っているじゃありませんか! 熱く雄弁に!
真実はそれだけでしょう!
だから作曲者自身が、あとで何を言っても、曲が訴えてくる真実は少しも変わらない。
聴き手が素直な心で聴きさえすれば、言葉なんて関係ない。
シベリウス本人もきっとそう思っていたような気がするんです。
昔から、特に自由の無い国のもとで、芸術家も弾圧を受けてきました。
そんな中で芸術家は作品に思いを込め、そして作品自体にだけ語らせる手を使ってきたと思います。
最も最近では、当時のソ連のショスタコーヴィッチがそうだったんじゃないでしょうか。
ショスタコーヴィッチも、あとになって自分の公言を否定したりしています。
さて、前回に続いて、
この交響曲第2番の第2楽章以降について、主観的にですが、書いてみたいと思います。
第2楽章は、ティンパニのトレモロのあと、低弦のピチカートが続き、ファゴットがほの暗い秘めた旋律を奏でます。
https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc (10’ 28” から)
その後、音楽は大きく膨らんでいきますが、明るくはならず、苦悩と葛藤に満ちているようです。
でも熱い気持ちは少しも変わらない。
光明を目指すけど、まだ先が見えない。
その後、苦悩をいさめるような優しいメロディが一瞬現れます。とっても印象的です!
(15’ 20” から)
しかし、また葛藤に戻り、解決しないまま、この長く暗く重苦しい楽章は終わります。
第3楽章スケルツォ、開始からの弦合奏は、実際の激しい闘争のようです。
(24’ 43” から)
しばし闘争が続いたあと、それがハタと止み、現れるオーボエのメロディー! そしてそれを受け継ぐ弦合奏!
何と素晴らしい瞬間でしょう!
(26’ 29” あたりから)
はっきりとした、解決と勝利の予感に聴こえるでしょう?!
ここまでの苦悩と葛藤が長かったので、喜びもひとしおです!
自分は、このオーボエが「そうだよ、そうだよ、来るんだよ! 春が!」と言ってるように聴こえるんです!
良く聴いてみて下さい! 他の楽器(チェロとか)も呼応していますね!
(つい最近気づいたんですが、このメロディーはステンハンマルの第2交響曲に引用されているんですね!)
( https://www.youtube.com/watch?v=8ey3wdhE1OI (2’ 57” から繰り返し出てくる))
この勝利の予感は、闘争の弦合奏に中断されますが、
再びオーボエ、他の木管の希望のメロディーが戻り、チェロもはっきりと応え、金管のファンファーレ、弦合奏と受け継がれ、ついに確信に満ちた堂々たる終楽章に突入します!!
https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc(29’ 20” あたりからそのまま聴いて下さい!)
この部分の素晴らしさは、もう何と言えばいいのか・・・
そして、大きな大きな大河のような流れになります!
このあとのオーボエ他木管の暗いメロディーは、まだ闘いが終わっていないことを表しているんでしょうか?
(33’ 19” あたりから)
そして、穏やかで静かな、つかの間のやすらぎのような部分も現れます。
(34’ 50” あたりから)
まだ不安げな表情も現れますが、そこから徐々に力を取り戻し、終楽章冒頭のメロディーが戻ります。
(35’ 50” あたりから)
再度、不安でほの暗い部分と力強い部分が繰り返されますが、音楽は確実に勝利に向かっていきます。
そして、ついに、勝利に向かう息の長い盛り上がりのあと、
(41’ 34” あたりから)
さらに息の長い(!)、勝利を確かめるような、ゆっくりとゆっくりと、巨大な、そして力強い足取りで圧倒的なクライマックスが築かれ、
(43’ 43” あたりから)
さらに圧倒的な全合奏で、このおそるべき情熱的な交響曲は閉じられます!!
参考にさせていただいたリンク先ですが、
フィンランド独立100周年を祝う演奏会での、
ヤン・パスカル・トルトリエ指揮アイスランド交響楽団の演奏です。
おそるべき情熱のかたまり! シベリウス 交響曲第2番(1)
このシベリウスの第2交響曲について、うまく書けるかどうか・・・
この前、同じ北欧の作曲家ステンハンマルの交響曲ト短調(第2番)について書きました。
ステンハンマルは、自身の交響曲ヘ長調(第1番)を出版しようとしていた時、
シベリウスのこの第2交響曲を聴き、感銘とともに、自身のヘ長調の交響曲の出版を取りやめ、破棄してしまった・・・! と伝えられています。
シベリウスのこの第2交響曲は、明朗で春の息吹を全身で感じさせるような、清々しい開始で始まります。
https://www.youtube.com/watch?v=Z6iNaFWV3tc
厳寒のフィンランドから初めて訪れたイタリアを、シベリウスは「魔法がかかった国」と呼んだそうです。
イタリアを訪れた作曲家が同様に感銘を受け、音楽として表現した例を、すぐにいくつか思い浮かべることが出来ます。
シベリウスの第2交響曲もイタリア旅行の産物としての音楽なんだな、としか思っていませんでした・・・
まったく何ということ!! こんな熱い音楽なのに、昔の自分は、いったいこの曲から何を聴いていたんでしょうか!
あれから、この曲について色々と調べて、知識が増えたとかで聴き方が変わった?
いいえ!! 絶対に違います!
目が覚めたんだと思っています!
ちょうどそういう仕事に携わっていた時期だと思います。
願いを実現させよう、気持ちを持って行動しよう、熱く進んでいこう、なんて始終言ってた頃でした。
さて、第1楽章はもっと明るく大きく膨らんでいきます。
しかし・・・ 短い休止のあと、オーボエの秘めたテーマ(すでに出てきている)が現れると、熱心な聴き手は、はっとするはずです。
ほの暗い、それも熱を帯びた何かが秘められていると。
(3’58”から)
明るく見えていたのに、明るいだけではない、何か秘めた情熱を持っている。
とっても惹かれるものがありませんか?
明るく開始された音楽は、情熱一色に変わっていき、大きな波となって、おそるべき熱いクライマックスを作り上げます・・・!!
(5’48”あたりから)
この曲はただならぬものを内包していることが、ここで明らかになります!
まだ曲が始まったばかりなのに!
そして、第1楽章はやや落ち着きを取り戻しながら、穏やかな雰囲気も交えて静かに終わります。
また、頭がカッカしてきました。(笑) 今日はこれくらいにしておきますね。
この続きをまた書こうと思っています。
ステンハンマル 交響曲第2番 N.ヤルヴィ指揮
ステンハンマルに興味が湧いたので、交響曲2曲、ピアノ協奏曲2曲、その他が入っている3枚組を注文し、半月ほど経ってイギリスからの船便で届きました。
中古の輸入盤なんですが、送料込みで1680円ちょっと。
このような商品が検索によって探し出せて、しかも手が届く値段で買えるというのは、本当に、驚きと共にすごくワクワクするんです!
昔だったら、全く想像も出来なかったことなんですよ。
CDの通販はHMVに頼っていたんですが、最近はもっぱらAmazonです。
AmazonのImportでも見つからなかったら、Amazon.ukかAmazon.deで探しています。
Discogsも超マイナーなものが探せたりします。
ちょっと困るのは、Amazon.ukやDiscogsへの支払いの時です。
海外への支払いにクレジットカード使用は抵抗があるので、Paypalサービスを使っています。
さて、本題の購入CDの演奏についてです。
交響曲第2番は、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏です。
ネーメはパーヴォのお父さんです。また、この曲には「我が親愛なる友人達、エーテボリ交響楽団の団員達へ」との献呈の言葉が添えられています。
この曲に速いテンポはどうかな? 悪くはないんじゃないかな? と思っていましたが、今の自分にはダメでした。
ゆったり構えてたっぷりと歌う、とか、じわじわと充分なクライマックスへ、とかの期待はほぼ裏切られました・・・
この曲には似合わないと思える、せっかちで乱暴な盛り上がりも随所に登場します。
ちょっと今の時点では、この演奏に手が伸びることはないでしょう。
ネットでも評判の Stig Westerberg(スティグ・ヴェステルベリ)の演奏は、やはりとても素晴らしい!
日本でほぼ無名のPetter Sundkvist(ペッター・スンドクヴィスト)の演奏も、自分はとてもいいと思いました!
それから、ブロムシュテットでしょうね。
自分の知っている限りですが、この3人の演奏には、曲に対する深い愛情が感じられます。
さて、これから、第2交響曲以外の曲をじっくりと聴いてみることにしますね!
シューベルト 交響曲第8番ハ長調 P.ヤルヴィ指揮 ドイツカンマーフィル
シューベルト 交響曲第8番(大ハ長調)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツカンマーフィルハーモニー管弦楽団
所沢ミューズ アークホール
予想以上の超速演奏で、始まると同時に、ああっ・・・と思いました。
どの部分もすごく速めに進んでいく・・・
第2楽章の、あの素晴らしく美しい部分でさえも。
強弱の差は大きいけど、強弱の変化が速い。じわじわと盛り上がったりしない。
弦合奏は、柔らかさより、常にソリッドな感じが強く、また厚みがない。
その割には金管の音量が大きく、金管だけが突出して聞こえることが多い。
弦と金管は融け合うというより、お互いが原色の音で提示される感じ。
最近の古楽器合奏のイメージに近いかもしれません。
ということで、今まで慣れ親しんできた、また感動させられた演奏のスタイルとはまるで違います!
しかし・・・
今日の演奏には、生命力、活力が充分に宿っていました!
燃える炎(決して大きな音とかのことではない)も見えました!
音楽を届けてもらう時、この輝きをいつも待っています。
瞬間でもいいんです。粗削りでもいいんです。
完成されたとか、スマートで小綺麗なだけとかの演奏は要らないんです!
今日のオーケストラは、小柄ながら、心意気を充分に感じさせてくれたと思います!
また、アンコールの、シベリウス アンダンテフェスティーヴォは初めて聴きましたが、とても美しい曲でした!
今日の演奏に感謝します!
はるか彼方を見つめるシューベルトの交響曲第8番ハ長調
今日、ぜひ書いておきたいことがあります。
明日、所沢ミューズでの、シューベルトの第8交響曲(大ハ長調)の演奏会を聴きに行きます!
パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルハーモニーの演奏です。
この曲は自分にとって特別に思い入れのある曲なんです。(多分、この曲にそういう想いを持っているファンは多いと思っています!)
当時は曲名が分からないまま2楽章途中までで切れて録音したカセットテープを何度も何度も聴いていました。
ただ、「シューベルトの交響曲ハ長調・・・」だけは録音テープにアナウンスが残っていました。今ならネット検索で一発で分かりますよね。
ある日、テレビ放送からこの曲が流れてきて、「第7番の交響曲」だと分かり、また、曲の最後まで聴くことも出来ました!
この曲は、第7番、第9番、第8番、と番号付けが変わっていきました。そのいきさつは検索してもらえばすぐに分かります。自分が聴き始めた頃は第7番、現在のウィーンでは第8番と呼ばれているようですが、最近まで第9番と呼ばれることが長かったと思います。(すると、この時の第8番はロ短調未完成です。)
副題に、英語だと「The Great」と付いていますが、これは当初、2つあるハ長調交響曲を区別する意味合いしかなかったということです。
「The Great」が大ハ長調、「The Little」が小ハ長調(第6番)です。
自分は専門的なことは分かりません。
しかし、この曲は真に偉大で、ベートーヴェン以上だと思い込んでいます。
(専門家はだれもこんなことは言いません! シューマンは天国的な長さだと言った。それは冗長だからだ・・・)
この曲は前を向いた生命力溢れる音楽だ、というのはもちろんですが、自分は、遥か彼方を見つめているシューベルトの姿を思い起こしてしまうんです。
彼の手の届かない希望や未来を見つめているような気がするんです。
希望や未来に対する強いあこがれが、曲の生命力につながっていくのではないでしょうか?
この曲は最近まで、死の年1828年の作と言われてきました。自身の死を実感するほどの状況で、暗さなど微塵も無い、希望に満ちたあのような曲をどうして書けたんだろう?
死を否定し、希望や未来に対する強いあこがれで書かれたからではないか? と思っていました。
しかし、最近の研究で作曲年は1825年~1826年らしいとなったので、この考えは外れているかもしれません。(楽譜が1828年と書き換えられていたという説あり)
でも、シューベルトは貧乏で、まだ充分に認められてもいませんでした。
希望や未来に対する強いあこがれがあったはずだ、と思います。
なぜ、ベートーヴェン以上、などと言いたいのか?
ベートーヴェンはもっと身近な所での闘争と勝利、シューベルトのこの曲は遥か彼方へのあこがれ、という気が強くしていて、ちょっと感傷的な気持ちも加わって「真に偉大」だと強く思ってるんです。
なので、自分はこの曲はまさに「The Great」と呼ばれるにふさわしいと思っているんです!!
(英語だとゴージャスでちょっと安っぽい? 独語の「Die Große」の方がいいですね!)
うまく言えませんが、文章で理屈を述べるなんてどうでもいいですね。
明日の演奏は、ヤルヴィがさらりと流して演奏するんじゃないかという不安がちょっとあるんです。
第1楽章開始のホルンのテーマ、第1楽章終結部でこのテーマが堂々と再現される部分、第2楽章の天国から呼びかけられてくるような本当に美しい瞬間、波が繰り返し押し寄せるように力強い第4楽章、そして最後に、繰り返される低弦の強奏がより興奮を掻き立てるフィナーレ。
どのように演奏してくれるのでしょうか?
もしがっかりしたら、感想は書けないので、その前に書いておきました。
ビゼー作曲 ギロー編曲 「神の子羊 Agnus Dei 」のこと
この曲を聴いて、平静ではいられない気分です ・・・
けど、うなされるように、Jose Cura のテノールを何度も聴いている ・・・
https://www.youtube.com/watch?v=CUqyhayyG-4
ビゼーの原曲では、この情熱をサクソフォーンの調べの中に封じ込んでいる。
何気なく聴いいただけだと、通り過ぎてしまうような、時に控えめに、ただきれいに聴こえるだけ。
ギローの編曲は、封じ込められているビゼーの情熱を、そのまま表現した!
この曲を目の前にした歌い手は、冷静に歌おうなんて思わないはず。
さて、多くのレクイエム、ミサ曲にも出てくるAgnus Dei(神の子羊)の曲調と、この曲はまるで違います。
Agnus Deiの歌詞は、
神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ
あわれみ給え あわれみ給え われらを
神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ
あわれみ給え あわれみ給え あわれみ給え われらを
子羊よ 神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ
子羊よ 神の子羊 この世の罪を消し去るお方よ
われらに平安を与えたまえ
神の子羊よ 平安を与えたまえ 神の子羊よ われらに平安を与えたまえ
われらに与えたまえ 与えたまえ 平安を
ビゼーの曲と、この歌詞がどのように繋がっていくのでしょうか?
今の自分には、残念ながら、まだ分からないんです。
ビゼーの「神の子羊」 朝からノックアウト・・・
ビゼーの劇音楽「アルルの女」は、彼自身の手でオーケストラ組曲に編曲されました。
また、ビゼーの死後、友人のギローは、別の曲を使って新たな組曲として編んでいます。
これらが、順に、第一組曲、第二組曲、というわけです。
この第二組曲に「インテルメッツォ(間奏曲)」があります。
サクソフォーンのメロディーは、一度聴けば忘れられないでしょう。
学校の放課後、吹奏楽部の練習は、部員一人ずつ個々の教室を使うことが多いんですが、
前の職場で、サクソフォーンの練習教室から、突然このメロディーが流れてきて、目を閉じて聴き入ったことを思い出しました。
たった数分の音楽ですが、美しいとか、崇高とか、そんな言葉では足りない・・・
いや、もっと違う感情が込められていると思うんです。
何気なく流れるように始まるソロが、すぐに熱を帯びてきます。
激しいもの、狂おしいものがこの音楽には込められていると自分は感じます。
序奏から聴けば、ああそうだ! ・・・ と、きっと感じられるでしょう。
このような音楽が生ぬるく聴こえる演奏は、絶対にイヤなんです。
(ごめんなさい ・・・ 録音のせいもきっとあるかもしれない)
ギローが、ビゼーの死後、この曲に歌詞をつけたのが「神の子羊」です。
サクソフォーンのメロディーをテノールが歌います。
自分は、このギローの編曲を聴いたことがなく、今朝、何気なく、初めて youtube で聴きました。
・・・ 参りました ・・・ 朝からノックアウトされた気分になってしまいました ・・・
https://www.youtube.com/watch?v=JXbE7uXz6Ks
バックのオケとずれても、さらに情感を込めようと歌っている。(この録音は序奏がかなりカットされています)
https://www.youtube.com/watch?v=VoBwBjBiInI
前半がビゼー原曲、2’ 27” あたりからギロー編曲
https://www.youtube.com/watch?v=GwXy-J0j-j4
さすがのパヴァロッティ
https://www.youtube.com/watch?v=CUqyhayyG-4
素晴らしい!!
徐々に、徐々に、感情を高めていく ・・・
Jose Cura の熱唱 ・・・ !!
バックのオケ、合唱共にいいです!
スウェーデン、ステンハンマルの交響曲第2番
ここ数日、このシンフォニーが頭の中でエンドレスで響いています・・・
ステンハンマル 交響曲第2番 ト短調
https://www.youtube.com/watch?v=8ey3wdhE1OI
第1楽章冒頭からイイです! そして、そのまましばらく聴いて下さい。1' 30" すぎからの深い憂愁をたたえた表情・・・
第3楽章(22' 40" すぎから)のノーブルで力強いスケルツォ、さらに 23' 32" からしばらく聴いて下さい!
極めつけは、終楽章のココ!!(42' 10" すぎから そして 45' 40" すぎからのフィナーレ!!)
決して、気難しいとか、とっつきにくいとかないですから、聴いてみて。
10月のN響定期で今年91歳になる、ヘルベルト・ブロムシュテットがこのシンフォニーを振りました!
ブロムシュテットはアメリカ生まれですが、スウェーデン人の指揮者です。
同郷の名作を広く知ってもらいたい、ステンハンマルの気持ちを音にしたい、という願いが強かったはずです。
ちなみに北欧のシンフォニーと言っても、同世代のシベリウス(フィンランド)、ニールセン(デンマーク)が演奏されているばかりだと思います。
この曲は、ロシアでもドイツでもなく、また、シベリウスでもニールセンでもないと感じられます。
終楽章ラストの息の長い、うねるような弦合奏主導の大きな表現は、熱く、胸がいっぱいになります!!
自分も知らなかった曲で、またスウェーデンの交響曲もベルワルド以外は初めて聴きました。
ロマン派の枠を超える新しい音楽ではないと思いますが、素晴らしい曲をまた一つ教えてもらいました!
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