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仇討禁止令! 明治6年2月7日発令

 NHKの早朝AMラジオ放送の「毎朝ラジオ」で、「今日は何の日?」というコーナーがあります。

今朝、「1873年の今日、2月7日は、仇討禁止令が発令された日です」とのアナウンスが流れ、すごくびっくりしました!

自分は「仇討禁止令」なんて知りませんでしたし、

何より、「仇討禁止令」が出たということは、「それまでは仇討が認められていた」ということになりますよね?!

もちろん、「仇討が認められていた」なんて、自分には信じられないことでした。

 

<仇討とは?>

 主君・親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすこと。

江戸時代、武士階級で慣習として公認されていた(!)そうです。

 

<なぜ、仇討が認められていたのか?>

 江戸時代において殺人事件の加害者は、原則として公的権力(幕府・藩)が処罰することとなっていた。

しかし、加害者が行方不明になり、公的権力が加害者を処罰できない場合には、

公的権力が、被害者の関係者に、加害者の処罰を委ねる形式をとることで、仇討ちが認められた。

 

つまり、公的権力が力及ばずというか、機能していないケースがあったんでしょう。

そんな時は、公的権力の代わりが処罰をしても良い、ということなんでしょうね。

ここまでは、そうかもしれないな、と思います。

しかし、その公的権力の代わりが、当事者の被害者側というのが凄いですね!

被害者側の、消えることのない、悔しく悲しい気持ちに配慮している、ということなのか?

現代ではあり得ない法ですが、気持ち的には理解できるような気がするんです。