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東京オリンピック開催問題に、なぜ日本メディアは沈黙を続けるのか

 皆さんもオリンピックに関する今の状況に、何だかすっきりしない、不可解な、または恐ろしささえも感じている人がいるのではないでしょうか?

もちろん、この気持ちはアスリートの方たちへのものでは全くないのです。

自分の感じている「恐ろしさ」とは、感染拡大ということより、大衆の声とは全く別の方向に誘導していこうとしている得体のしれない闇の力のようなものに対する恐ろしさです。

こんなことが、戦時中以外で今まであったのでしょうか?

 

以下の記事をじっくり読んでみて下さい。

 

 私たちが実感している通りコロナ禍に終わりが見えていない。

予定されていたイベントの多くが、残念なことに中止を余儀なくされてきた。

若い世代もあおりを受け、学校では対面授業に制約がかかり、学校行事や部活動が大幅に縮小されている。

このような状況であるのに、東京五輪だけが特別扱いされていると多くの人が思っている。

このコロナ禍のなかで、数万人の選手と関係者を海外から受け入れて大会を実施することに、ほぼためらいなくゴーサインが下っている。

極めて異常な事態だ。

だが、それに輪をかけて異常なことがある。日本の主流メディアがこの状況を、まったくと言っていいほど批判しないのだ。

最大の問題は、主流メディアが東京五輪開催の是非について、自らの立場を明確にしていないことだ。

最新の世論調査では市民の7〜8割が今夏の開催に反対しており、ツイッターは政府や組織委員会やIOCへの批判にあふれている。

だが主流メディアはそうした状況について、開かれた議論を展開するイニシアチブをとろうという姿勢を見せない。

いったいなぜなのか。

東京五輪開催について、これまでメディアはただ「起きたこと」を伝えるだけだった。

開催に反対する市民の声を代弁して、「五輪は中止すべき」と主張することなどなかった。

これでは7〜8割の市民の意見を無視しているとみなされても仕方がない。

東京五輪開催問題について、メディアはその重要な働きと想定されている「アジェンダ・セッティング(議題設定)」の機能を放棄しているのだ。

いま何が重要な問題なのかを、受け手に向けて設定できないなら、メディアの基本的な責務を放り出しているとみられてしまう。

それは健全なジャーナリズムではない。

 

世界の一流紙は東京五輪について、こぞって「中止すべき」と主張する記事やコラムを掲載している。

ニューヨーク・タイムズは東京五輪が「3週間の一大感染イベントになる」と書き、

ワシントン・ポストはIOCのトーマス・バッハ会長を「ぼったくり男爵」と揶揄した。

こうした外国メディアの報道を、日本の主流メディアはきちんと伝える。

しかし、自らの立場は明らかにしない。

東京五輪の開催問題について、外国メディアの懐疑論・反対論は積極的に紹介しながら自分たちの意見は明らかにしない本当の理由はわからない。


ここしばらくIOCの要人たちから東京五輪開催の可否にかかわる発言が相次ぎ、大きな注目を集めた。

5月21日にはコーツ調整委員長が、東京に緊急事態宣言が出されている状況下でも五輪は開催できるという見解を示した。

「緊急事態宣言下でも開催するのか」という問いへの答えはイエスだ」と、コーツは語った。

翌22日にはバッハIOC会長がコーツの発言を後押しする形で、東京五輪は予定どおり開催されると宣言した。

「東京五輪がようやく間近に迫った今、最後のカウントダウンが始まった。

五輪の夢を実現するために、私たちはいくらかの犠牲を払わなくてはならない」と、バッハは語った。

五輪開催のために「犠牲」を払うことまで持ち出した発言に対し、SNS上では怒りと反発が渦巻いた。

ここでも日本の主流メディアはこの発言に目立った論評を加えていない。

コーツとバッハの発言は非常に重い。

とくに「緊急事態宣言が出ていても五輪を開催する」というコーツの言葉は、日本社会の安全に責任を持たない人物が口にすべきことではないように思える。

ところが、主流メディアは彼の発言に表立った批判をしていない。

これはどういうことなのか。

 

東京五輪の開催可否の問題について、主流メディアは既成事実を追うだけで、自身の意見を発しないのだ。

世論調査で市民の7〜8割が反対している五輪の今夏開催について立場を明らかにしなければ、7〜8割の意見を無視しているということになる。

世論調査で7〜8割が反対しているイベントが開かれることについてメディアが何ら意見を表明しないのは、自らの義務と責任を放棄していることにならないか。

 

五輪を開催すべきかどうかがこれだけ議論になっているときに、開催を前提としたニュースが伝えられると、自分のいる世界の足元が、ふらっと揺らぐような感覚さえおぼえる。

主流メディアはこのまま、どっちつかずの姿勢を続け、開催支持とも中止とも唱えずに、7月23日の開会式を迎えるのか。

大会が幕を開けたら、それまで自らの責務をほとんど果たさなかったことなど意に介さず、いつものようにアスリートの感動の物語だけを流すつもりなのか。

 

ここまで国民的な関心が高まっている問題についてメディアがはっきりとした立ち位置を示さないのは、異常事態と言っていい。

何も言わない裏には、何か理由や意図があるのかと思われても仕方がない。

このまま口をつぐんでいたら、メディアへの不信がさらに高まる要因にもなりうる。

 

だから、最後に書いておく。

 

あなたたちは、この問題に関して、まだ、しかるべき仕事をしていない。

それを残された時間で、やってくれないか。

まだ遅くない。

ギリギリではあるが、間に合う。

 

そう願いたい。