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この記事を是非読んで欲しいと思います!(2)

リーダーの“英断”がいま求められている(2)

(1)からの続き

 

まさにそうしたウイルスが、かつて人類を襲いました。

1918~1920年に世界で大流行した「スペインかぜ」です。

これは、当時の「新型インフルエンザ」で、世界人口が約20億人であったところ、5000万人以上もの死者を出しました。

ちなみに、スペイン・インフルエンザは、その後、通常のインフルエンザとして流行し、“ソ連型”とも呼ばれました。

2009年にメキシコから発生した「新型インフルエンザ」も同じ型です。

「スペインかぜ」の際に、当時の人々はこの型のウイルスを初めて経験したことになり、しかも病原性が強かったため、激甚な被害となったと考えられています。

 

<致死率2%でも甚大な被害>

歴史人口学者の速水融氏によると、日本での被害は、当時、人口約5500万人だったところ、「感染率42%」「死者45万人」にも達し、火葬場もパンク状態となりました。

速水氏はこう述べています。

「スペイン・インフルエンザは、多数の罹患者を出しながら、割合でいえば、罹患者のせいぜい2パーセント、人口の0.8パーセントという死亡率で、ペストやコレラのように罹患者の数10パーセントが死亡するような病気より『軽く』見られることとなった。

そのことは『スペイン風邪』という呼称によく示されていよう。

しかし『風邪』とは全く異なる恐ろしい病気なのである」

WHOは、「新型コロナウイルスの致死率は2%」と発表しましたが、スペイン・インフルエンザも「致死率2%」です。

感染症の流行は、一国内でも地域ごとに違った様相を呈しますが、地域の行政機関の対応次第で、被害に天と地ほどの違いが出てきます。

現在、中国における新型肺炎の致死率は、武漢だけが突出していますが、スペイン・インフルエンザの際にも大きな違いが見られました。

米国の都市セントルイスとフィラデルフィアの死者数の推移(1918年9月下旬から12月にかけて)を比較したグラフがあります。

 

この間、フィラデルフィアの死亡率が0.73%なのに対し、セントルイスは0.3%で、他の大都市と比較しても、最低水準に抑えられました。

これは、セントルイス市長のリスクも伴う英断によるものです。

セントルイスでは、市内に最初の死者が出ると、市長がただちに「緊急事態宣言」を出し、1週間以内に、全学校、劇場、教会、大型販売店、娯楽施設などを閉鎖し、葬儀を含む集会を禁止しました。

会議も、フットボールの試合も、結婚式もすべて延期されたのです。

当然、こうした「集会規制・行動規制」に対しては、商売に悪影響を及ぼすとして、市民や企業家から大きな反対がありました。

しかし、市長は、「私は市民が死亡することは望まない」として、みずからの“政治決断”で断行したわけです。

市中の発症率がまだ2.2%の早期に「集会規制・行動規制」を実施した結果、セントルイスでは、グラフが示すように、大流行のピークが生じず、患者発生数は平坦なカーブを描いて、医療サービスや社会機能の破綻も起こらず、最終的に犠牲者も少なくて済みました。

これに対して、社会活動への行政の介入が遅れたフィラデルフィアでは、市中発症率が10.8%となってから、ようやく「集会規制・行動規制」が開始され、その結果、8週間にわたって大流行の波が市民を襲い、凄惨な被害を出したのです。

このセントルイスの事例は、多くの教訓に満ちています。

 ①国の対策だけでなく、「地域での流行」に対する自治体の迅速で柔軟な対応が重要だということ。

 ②「集会規制・行動規制」は、初期対応のタイミングが重要だということ。

フィラデルフィアのケースでは、流行発生から3、4週間で急速に拡大しており、「集会規制・行動規制」も、遅きに失すれば何ら効果がない。

 

(3)に続く