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杜子春(2)

 この「杜子春(とししゅん)」も父に朗読してもらった全集の中にあったんですが、教科書にも出てきたような覚えがあるんです。

 

芥川龍之介の作として有名ですが、話の終わりが全く異なっている原作があるということを最近知りました。

さて、芥川龍之介作の最後のところをここに引用させていただこうと思います。

皆さんにも、ここのところを思い出してもらって、より深く味わって欲しいのです。

 

・・・ 

 

 「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐っていたか、

まっすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ」

 杜子春はこうおどされても、やはり返答をせずにいました。

 

「この不孝者めが。

その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合がよければ、よいと思っているのだな」

 閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。

「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」

 鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上がると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。

 

鞭はりうりうと風を切って、所嫌わず雨のように、馬の皮肉を打ち破るのです。

馬は、畜生になった父母は、苦しそうに身をもだえて、眼には血の涙を浮べたまま、見てもいられない程いななき立てました。

 

「どうだ。まだその方は白状しないか」

 閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。

もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏していたのです。

 

 杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、かたく眼をつぶっていました。

するとその時彼の耳に、ほとんど声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。

 

「心配をおしでない。

私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。

大王が何とおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで」

 

 それは確かに懐しい、母親の声に違いありません。

杜子春は思わず、眼をあきました。

そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れたまま、

悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。

母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、

鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。

大金持になれば御世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、

何という有難い志でしょう。

何という健気な決心でしょう。

杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、

両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、

「お母さん」と一声を叫びました。

 

 

 その声に気がついて見ると、

杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。

霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、

すべてがまだ峨眉山へ行かない前と同じことです。

 

「どうだな。おれの弟子になった所が、とても仙人にはなれはすまい」

片目すがめの老人は微笑を含みながら言いました。

 

「なれません。

なれませんが、しかし私はなれなかったことも、かえって嬉しい気がするのです」

 杜子春はまだ眼に涙を浮べたまま、思わず老人の手を握りました。

 

「いくら仙人になれた所が、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳にはいきません」

 

「もしお前が黙っていたら」

と鉄冠子は急におごそかな顔になって、じっと杜子春を見つめました。

「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。

お前はもう仙人になりたいという望みも持っていまい。

大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。

ではお前はこれから後、何になったらよいと思うな」

 

「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」

 杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもっていました。

 

「その言葉を忘れるなよ。

ではおれは今日限り、二度とお前には遇わないから」

 鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、

急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、

「おお、幸い、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。

その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうがよい。

今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」

と、さも愉快そうにつけ加えました。