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ウクライナの青年 一度は断念した大学院進学 断ち切れず日本へ

 

 2022年2月24日、

アントンさんがリビウの自宅にいるとき爆発音が聞こえました。

驚いて外に出てみると、ミサイル攻撃による黒煙が上がっていました。

恐怖を覚えました。

ロシアの行動に対して怒りを感じています。

彼らは罪のない人々に攻撃をはじめました。

ロシアは防衛の一環としてというが、それは嘘です。

ウクライナの人たちは、平和に暮らしたいし、国としてさらに発展したいのに、

その発展する自由がロシアによって奪われました。

 

アントンさんは昨年6月、「イワン・フランコ記念リビウ国立大学」を卒業しました。

勉強熱心なアントンさんは、大学院に進学し、博士号を取得することを目指していました。

しかし、軍事侵攻を受け、「このままでは研究を続けられない」と一時は大学院進学を諦めました。

その後、自らインターネットで海外の大学を検索しました。

そして見つけたのが広島大学です。

数ある大学の中から広島大学を選んだのは、自分の研究したい分野の教授が複数いるからです。

広島大学にメールをし、オンライン面接などを経て、受け入れが決まりました。

今は理学部の外国人研究生として、大学院進学を目指す日々です。

 

アントンさんが学びたいと希望した古宇田教授のもとで、日本の学生とともに学んでいます。

同じ研究室の川上竜乃進さんは、アントンさんに刺激を受けているといいます。

「アントンさんはめちゃくちゃ真面目だと思います。

この短期間でこんなに数学のレベルが高くなってるのは、

相当勉強してるんだなと思って、自分も頑張らなきゃとすごく思っています」

 

実は、アントンさんはウクライナの大学では工学を専攻していました。

軍事侵攻が学問への考え方を一変させたのです。

「私は、工学は武器製造に使われるという重要な部分に注目していなかったことにショックを受けました。

将来、そのような侵略の責任を負いたくないので、

もっと平和的な数学を選ぶべきだと思いました」

 

広島大学大学院の古宇田悠哉教授は、

「目標はまず大学院の入試をパスすることで、それに向けてやっています。

レベルとしてはかなり高いところにもういっているかなと思います。

この調子で続ければ、研究の方にもシフトしていけるんじゃないかなというふうには思っています」

専攻ではない数学の授業についていけるのか不安でしたが、それは杞憂に終わりました。

アントンさんは今、学べる幸せをかみしめています。


日本での暮らしも慣れ、観光にも出かけています。

平和公園では冷静ではいられませんでした。

原爆ドームは、戦争の惨禍を今に伝えています。

折れ曲がった鉄骨や散乱するがれきに、ウクライナの光景が重なりました。

原爆資料館には足を踏み入れることができませんでした。

 

「広島は原爆を落とされて悲惨な結果になった。

残虐だった。

とても悲しいことですが、歴史上『ヒロシマ』を繰り返すことは許されません。

私は核兵器を禁止すべきだと思います。

人間にとってあまりにも危険すぎて持つべきではありません」


両親と祖母、弟は今も戦渦のウクライナで暮らしています。

家族への心配は絶えません。

ミサイル攻撃により発電所が被災しました。

インターネット回線も不安定で、連絡がとれない時があり、もどかしさを感じます。

「今は家族も無事ですが、心配です。何か起こるのではないかと不安です」


はじめのうちは慣れない異国の地での生活に、緊張が解けず苦労しました。

しかし、もしウクライナで生活を続けていればさらに大きな不安と警戒感、恐怖を抱えていました。

自分が日本で感じているものとは比べものになりません。

日本で頑張ることが、自分にとって、国にとってもプラスになる。

今置かれている環境に感謝し、前を向くことにしました。

 

「私にチャンスを与えてくれた広島大学のような美しく平和な場所で、

緊張することなくできる限りの研究や努力を続けようと思います」